ようやく令和になりました。令和になる直前、カーラジオを聞いていましたら、どこかのえらそうな人が令和という年号をこういう風にディスっていました。
「これからはグローバリゼーションの時代でしょ。なんで今頃万葉集なんですか?」
本当に昭和オジサンには困ったものです。昭和の末期ごろ「これからはグローバリゼーションですよ」とマッキンゼーの大前研一氏が言っていたし、ジャパンアズナンバーワン、トヨタのカンバン方式、年功序列制度はアメリカが見習うべきとか、映画会社やニューヨークのビルを日本企業が買ったというニュースが新聞やテレビを賑やかしていたことを思い出しましたよ。
つまり昭和オジサンたちにとっては平成というのは「存在しない時代」「失われた三十年」だったんですね。上皇陛下にはまことに申し訳ない話なのですけれども、ひょっとすると55歳定年時代だったかもしれませんし、60歳定年で退職金を6000万円もらえ、年金も30万円以上出ていた時代に幅を利かせていた人たちからすると「これからはグローバリゼーション」なのだそうですよ。
平成生まれ、あるいは平成育ちの人たちが、そのグローバリゼーションとやらにどれだけ恩恵を受け、しかし結果として日本もヨーロッパの国々同様ガタガタになってしまった、ということを感じていない人はスマホとかコンピュータとか使ったことがないんでしょうか?
なんでもタダになっちゃった、あるいはタダ同然になっちゃった平成という時代の振り返りをすべきときにテレビで昭和のアイドルたちが踊ったり、あさま山荘事件とかの振り返りビデオを流していたりして、平成の終わりに昭和の終わりを感じました。ようやく新時代が到来したのです。ずいぶん時間がかかりました。
昭和という時代は画一性の時代でした。令和という時代はようやく多様性の時代ということになるでしょう。昭和には、「みんなが標準的」という幻想のもとにたいへんな差別、ねたみ、そねみ、理不尽なできごとが日常的におきていました。
平成に入っても、意識が変わらない昭和オジサンたちに翻弄されて、「なんちゃって昭和」「昭和もどき」「昭和礼賛」が続いていました。ビルの一室を古民家風にして、古いポスターとか貼って「昭和居酒屋」というのもはやりました。おぞましい昭和という時代を美しい物語にされてしまいました。
昭和オジサンはパレートの法則、というのが大好きでした。私どものように統計分析を行っているものからすると笑止千万な話ですが、昭和オジサンに言わせると、何でも物事は8対2に分かれるんだそうです。あるいは2対6対2に分かれるのだそうです。
もともとはどこかの偉い人が、売上の八割は二割の顧客によってもたらされる、と言ったのがはじまり、とかで、平成10年ぐらいに、勤めていた会社の収益が悪くなったので昭和の顧客リストにもう一度営業かけてこい、といわれ調べてみたら半分ぐらいの会社が倒産していた、ということがありました。
そりゃ、顧客の半数が倒産してしまったら、会社の景気も悪くなりますよ。景気が悪くなってからなにかやってもそれは遅いのであって。どこがパレートの法則なのかまるでわかりませんでしたが、ごますり社員が「これが2割の優良顧客のリストです」とか言っていましたっけ。
昭和オジサンは、オカルトも大好きでした。「101匹目の猿」という話と原発安全神話とは根っこは同じようなものでしょう。冷静に、普通の頭で考えて、危ないものはやっぱり危ないよね、って話なんですよ。でも昭和オジサンは「言霊」(ことだま)というのも大好きだったので、「危ないっていったら危なくなっちゃう」から「安全といいましょう」。それで通っちゃったのが昭和時代。
そんな時代にグローバリゼーションとか言っていたので、つまり「うちの地域では原発は安全てことにしようや」というムラ意識が当たり前だった時代にいきなり世界と戦おう、とかいったんで、まあ、見事にGAFAの時代です。(昭和オジサンはマイクロソフトの時代、とのたまいます)
「商店街のお店がなくなっちゃった、便利だったのになあ」とかいいながら、何の悪気もなくiPhoneでネット通販を利用してたりする昭和オジサンたち。「だってポイントつくからさ」と得意げに台湾製コンピュータで買い物をする人たち。それが悪いとはいいません。しかし何事にもチェーンリアクションというものがあるんですよね。
iPhone高いから買えないや、ってなって中国、台湾のスマートフォンが売れ出したら、iPhoneに部品供給していた台湾資本傘下のシャープと、全日本電機業界の液晶画面連合のJDIが業績不振で傾いて中国資本に入りました。もうどこで何がつながっているかわからないし、何が「正しい」のかもわからない。それがまさに令和という時代なんですね。
いろんなものがタダになったおかげで、たとえば、このホームページなどもタダ同然で作られています。実際には作業をいろいろしているわけですが、平成の時代は(というか今も、ですが)ホームページを制作しよう、というと、数百万円で発注したこともありました。
世の中のほとんどのホームページがタダ同然で作られています。実際にはもちろん作業していますし、部品なども買っていますから、その作業代、工賃や部品代というのはかかってくるわけですが、原理的にはつい十年前に五百万円したものが、五万円ぐらいになっている、ともいえます。
私どもは、社会的信用を得るために、株式会社を母体としております。これは理事長をはじめ、出資金を募って株式会社になっているわけで相当度の資本金を積んでおりますし、多角経営をしています。これもNPO法人ですとごく安直に格安にできてしまいます。
ことに福祉分野ではNPO法人のほうが株式会社より優遇されている側面があることもありNPO法人が乱立している状況ですが、非営利法人をうたいながら営利事業を営み、結果にコミットしないというのはいかがなものかとも思うところではあります。
私どもは、今のところあえてできるだけ広告を控えております。私どものスタッフにはインターネットマーケティングの専門家もおりますし、8050問題で広告をさかんに出している法人さんもいらっしゃいます。
しかし、私どもはあえてそれをしません。「すべての費用の負担者はお客様」というマーケティングの大原則があるからです。確かにインターネット広告は地上派のテレビコマーシャルに比べればそこまでのお金がかからないのが普通です。しかし、広告に100万円使うなら、それを困っている人にわけてあげるべきではないのか? と思いませんか? そして、もしそうではないとすると、その100万円は誰が支払うのか? という話なんですね。
ネット広告の専門家によれば、そのかたが調べたときには、最高値がワンクリック5000円を突破していたそうです。ワンクリック1円から、という触れ込みですが、お金が儲かるようなビジネスや大金がうごくような話では、具体的に言えば不動産取引や美容整形の世界ではクリック広告でも非常に高額になります。
そう、なんでもタダ同然になったいっぽう、タダに見えるけど実はお金がたくさんかかる、とか、いつのまにかお金を盗まれている、というのも平成にはやったビジネスモデルというやつです。月2円とか108円とか300円とか500円ずついつの間にか盗まれていて、申し込んだつもりがないので解除方法もわからない、でもクレジットカードから引き落とされているなぞの費用というのがそれです。
他人の財布からお金を盗むなんて、日本ではありえない、とされていたはずだったんですが、平成時代には、国家規模でそういうことを平気でするようになりました。ごく身近な話では、携帯電話にかかるグローバルサービス料。なにかな? と思ったら、未だにまれに公園とかに置かれている公衆電話の維持管理費用にあてがわれているという話なんですが・・・。
サラリーマン定率減税がなくなり、社会保障費、健康保険料、さらには介護保険料など、サラリーマンの給料の平均支給額がほとんど変わらないのに、いつの間にか手取り額がすごい勢いで減っているのです。そしてそのことを昭和オジサンは知らないんですね。
若いころの武勇伝を語りたがる、今年すでに70歳台、80歳代になる立派なお父様には申し訳ないのですが、ごめんなさい、ぼくたちには1度もそういう時代がこないんですよ、というニートのかたが本当に大勢、おおぜいいます。
もう自己責任論を語る時代も終わりました。日本は「高齢化社会」とか「超高齢社会」という必ず来ることがわかりきっている時代に対して、何の策も持たずに突入してしまったオバカさんの集団だったんです。
第二次世界大戦で犠牲になった英霊たちのおかげで、昭和バブルというとてつもなく反映した時期がありました。そのため平成になってからも天皇陛下は、戦争で犠牲を強いられた場所場所をめぐる旅をたくさんなさっていらっしゃいました。
しかし、だとするならば、今日の日本の没落としかいいようがない姿は、誰のせいなのでしょうか? これからどうせよと? 過去になにか学ぶものはあるのですか?
私たちの未来は私たちが作るしかないのです。昭和オジサンの時代は終わりました。もうカッコつけるのはやめましょうよ。多少カッコ悪いかもしれませんけど、今の姿を受け入れましょうよ。こんなはずじゃなかった、という後悔は、ほとんどの日本人にありますよ。どこの国の老人に聞いてもみんな同じ答えなんですよ。
日本は令和になったけど、世界は2019年のままなんですね。2019年の世界中の年寄りで、「俺たちのおかげでこんなにわが国は発展した」と言っているのは、本当に一握りです。数億人いるかもしれませんが本当に一握りです。そしてそれもそんなに長くは続かない、ということを統計が示しています。
みんなでがっかりしよう、とか、みんなでやる気をなくそう、といっているわけではありません。世界中がそうなんですから、ありのままの自分たちや自分たちの家族たち、隣人たちを大事にしましょう、ということです。
そうしないと次に進むことができないですから。若者たちには常に明るい未来があります。この国にはオトナになりきれていない人がとても多いのですが、オトナは、少年・青年たちを陰で支え、口を出したくなっても見守る、我慢する、育てる。そして昭和オジサンの時代には許されなかった多様性ということを考えてみていただきたいな、と心から思います。