連日、カルト宗教団体の話題がメディアで報じられています。元首相の襲撃というのは大きな事件でしたが、テロと表現するのはちょっと無理があるように感じます。政治的な暴力による革命でもなければ一般市民に対する攻撃でもなかったから、です。一般にテロ、とは、無差別的に市井の人たちが巻き込まれる、つまり、私たちが怖くて外出もできないし集会もできなくなるようなこと、を示します。地下鉄サリン事件はカルト宗教団体によるテロでした。

魂を救済するために、普通に一生懸命生活している人たちを殺してしまおう、というのもかなり手前勝手な理屈ですが、高額なお金を払うことで縄文時代までの先祖を供養することで自分が地獄に落ちることがない、という理屈もかなり乱暴な話に感じます。

自己愛性人格障害による家庭内洗脳の怖さ

あるアメリカの学者によれば、カルト宗教の教祖になる人の7つの条件というのがあり、その中に「激しい自己愛(ナルシスト)」というのが含まれています。自分は特別な人間である。もしくは神である。そして凡百な周りの人間は自分にかしづくのが当然である、という論理です。

この実にわがままで社会性のなさ、により、恐怖による洗脳を実施し、信者や信者の血縁者や友人たち、さらには布教と称して一般人をも洗脳してしまうわけ、ですね。

しかし、「毒親」と呼ばれる、8050問題にはまってしまう親御さんたちの少なからず、は、長らく自分の子供に対して、食事を与えない、殴るけるなどの恐怖を与えながら洗脳してきた過去がある場合があります。

毒親たちは「産んでやった」「育ててやった」と子供に言い放ち、自分に尽くせ、と命令します。あるいはその親御さんたちもそういう教育をしていたのかもしれませんし、鉄拳制裁が当たり前だった時代に教育を受けていると、子供の躾=暴力、と錯覚していた時代もあります。

親が宗教やマルチ商法にはまっていなかったとしても、家庭内洗脳が行われている場合、子供は、物心ついたときから親からののしられ、アルバイトで稼いだお金も取り上げられ、常に自尊心をつぶされ、「よその子を見なさい!」「親を尊敬しなさい!」とゆがんだ価値観を押しつけられ、しかも一貫性がないため、常に親の顔色をうかがう人間になってしまいます。

洗脳されている人、は深く付き合ってみると明らかに行動様式がおかしいのですが、ごく浅くつきあっている分にはその内面に気づくことはありません。

自己愛が強い人は常に周りからの称賛を期待しているのですが、そもそも褒められるためにXXする、というような姑息な方法で尊敬を集めることは難しくそれは実現しません。そのため無茶な要求を行ない、無茶な要求は達成不可能ですから、その事実をもって周りを攻撃することで自分の自尊心を満足させるようになります。

毒親が教祖さま、と違うのは、内弁慶であること、です。つまり、教祖様のように見える人、は、非常に自信があり、断定的に話をする上、かなり高度な話をしますから、その実力がともなっていなかったとしても浅いお付き合いではそれは知るところがないので、とても魅力的で優れた人のように思えてしまうのです。

しかし、一般人はそこまでの自信はなく、むしろ子供は厳しくしかりつけるのに、知らない人とのコミュニケーションはうまくできなかったり他人との距離を作ることができない人が少なくありません。そのため、他人に対しては自分がみじめになることが起きないように細心の注意を払ってこびへつらい、「いい人」であるように演出をします。

その会話の中では、自分がいかに子供を愛し、子供がいかに優秀であるか、という話をくどくどとします。そのため、「ちょっと溺愛しすぎているな」「子供の自慢話が多いな」と思いつつ、親としてとてもいいひと、という印象を周りの人は持ってしまうものなのです。

洗脳状態にあると常識が通用しない

洗脳状態にある子供は、常識や法律よりも、親の機嫌を損ねないことが第一優先順位になってしまいます。子供をアクセサリーのように思っている親は、子供の交際相手や友人まで自分の基準で選別し、服装やメイクや持ち物、もちろん言葉遣いや態度にまで細かく口を出してきます。子供の人格はどこにもありません。成人したなら、好きなように生活し、独立し、結婚し、自由に生きることができる、というのは社会のルールですが、日本人の場合は家庭のルールやムラ社会の掟のほうがはるかに厳しく、それを踏みにじることが許されない、もしくは、その外の世界が考えられない状態になります。

とはいえ、親御さん自体が社会性が低い場合が多く、だからこその内弁慶なのであって、そんな人からの厳しい躾を受けたとしても、社会では全く通用しないわけですね。ただ、誰かに飼いならされることに慣れてしまった人は、会社とかムラ社会とかあるいはマルチ商法や宗教団体などあらゆる、ふつうの社会からは乖離している小さなコミュニティに洗脳されてしまうようになってしまうのですね。

また、なんとか離脱して、独立をはかっても、ふつうの社会性を持ち合わせていないので、友人も作れないし恋愛もどうやっていいのかわからない、身体だけ大人だけれども、内面はなんとかバランスを保って生きている、という気の毒な状態になってしまいがちです。

社会性がないと、残念ながらできる仕事も限られます。他人が嫌がるような一人で黙々とする作業や、誰でもできるような仕事にしかつくことができません。スキルを身に着けても給料が上がっていくような仕事ではない、ということです。

魂を壊して実家に戻らざるを得ない人たち

もともと飛んでいけるだけの羽もなくて「外の世界」に飛び出していった自己愛性が強い親のもとに育った子供たちは、結局年齢相応の社会性を身に着けることができず、また洗脳も解けなかった場合、実家に戻ってくることになります。それを「子供部屋おじさん」「子供部屋おばさん」と揶揄するのは気の毒としかいいようがありません。

見事に子育てに失敗した親が罪を償っている。それが8050問題のステレオタイプの一つです。困ったことに親御さんは子供が巣立つことができなかったこと、を社会とか政治のせいにしてしまいます。やれ「失われた30年」とか「若者の自殺者急増」という、要するに自分に責任はないんだと。社会が悪いのだと。はたして本当にそうでしょうか?

悪いことは全部だれかのせい。自分にはなんの責任もない。自分は一生懸命やった。こういう親御さんとお話をすると、本当に気が遠くなります。お子さんのことを本当に何も知らないからです。出てくるのは自分の自慢話ばかり。仕事の話とかゴルフの話とか、自分の趣味の話とか。子供の話も自慢話はあるけれども、現実に苦しんでいる子供がなんで苦しんでいるのか、向き合って共感したことが一度もない、小さな子供のころはそうではなかった。かわいい子であった、自分は子供を愛している、と。

そうでしょうか。子供を愛しているなら、子供の好きなようにさせてあげるべきだったのでは? 子供のことを何も知らないでいて、愛していた、というのは、本当だとしても、子供よりも自分自身をもっと愛していたのでは? と感じます。責めることはしません。なんの役にも立たないから、です。

カルト宗教と引きこもりの中高年の子供の問題を一緒にしないでくれ、と思われるかもしれません。しかし、自由を奪われ途方にくれている子供と「信者が勝手にやった、教会や教義とは関係ない」と責任逃れをしている責任者に見える人、の構造はとても近しく見えてしまうのはきのせいでしょうか。