相模原殺傷事件という名の、津久井湖というかなりひなびた地域で起きた非常に残念な事故は記憶に新しいですが、入所者に対する尊厳の意識が低い福祉施設というのはどこにでも存在します。というより、常にそうなる運命にあります。

例えば、比較的最近の映画「ある少年の告白」をご覧いただくと良いでしょう。ほとんどの施設、「ひきこもり矯正・社会復帰」「精神病社会復帰」「重度の症状の福祉施設」などでは、日常的にネグレクトが起きていて、しかし、その施設の中で起きていることを外部に言うことを禁じられているか、その能力が失われている人しか入れないという実態があります。

映画によればアメリカでは70万人のトランスジェンダーの矯正施設があり、そうした場所のどこでもそうした虐待が可能性を排除できない、ということでもあります。

愛情深いと自認する人間の弱さが虐待を行う

認知症や重度精神疾患の介護を希望して働いている人は、決して残虐な人ではありません。ほとんどは、まじめで、愛情深いことを自認していて、困っている人を助けずにはいられないような素晴らしい人たちなのです。もともとは。

もちろんそうでもない人が大半です。ほかに仕事がなかったからたまたまそういう仕事をさせられていたり、企業で追い出し部屋業務として、懲罰的にやらされている人たちまでいます。

ただ、こうした仕事は、「思い入れ」がない人のほうが、長続きしやすい仕事でもあります。淡々と、お給料分の仕事だけを決められたとおりに行うことができるからです。

そうではなく、「自分は優しい人間だ」「人として正しい」「愛情深い」「かわいそうな人には救いの手が必要だ」と自認している人は、最初はいいのですが。

残念ながら、重度認知症の人、重度精神疾患の人は、愛情が通じません。愛されていることがわかりません。いくら身を削って介護をしても、それが報われることはありません。そこで人間の弱さが出ます。

弱い人間か、強い人間か、ということを見抜くことは本当に難しいです。ほとんどの人間は弱い。宗教によっては強い人間はいない、という宗派がほとんどです。人間は弱いから宗教に助けられ、神を信じることで強くなる、というのが宗教の立場ですから、弱くないと信者にはなれないのですから。

生まれたときから何不自由なく、成功体験しか持っていない人、お金に困ったことがない人、わがままがすべて通ってしまったような人は、強い人のように見えます。しかしそれはただ傲慢なだけです。実際には非常に打たれ弱い人間です。

弱い人間は、自分の思い通りにならないことがあると憎しみをいだきます。憎しみというのは、愛情の逆のように思われがちですが、実はベクトルは一緒です。その人に対する興味関心が高い、そして、その人が自分と同一でないと気がすまない、と思っているのです。

ただ、自分とかけ離れて、自分と心を通わせてくれないな、と思った瞬間、弱い人間は、その相手を憎むのです。非常に自分勝手に、傲慢に。自己中心的なのです。常に、自分は他人に大きな影響を与える人間である。そういう思い込みが愛情豊かな人間を憎悪の塊にします。

それに近いことは家庭でも見られ、まさにひきこもりの引き金になっています。愛情が強いはずの親は、子供のあらゆることが気に入らず、愛しているにも関わらず憎まれ口を叩き続けます。無意識のうちに。自分と子どもを別の人格だと思えないからです。

虐待は表に出ない

さまざまな施設や家庭や、地域社会の中で虐待は日常化しています。あまりにも多すぎて、表に出ることがありません。口止めされている場合もありますが、それを外に発表することでメリットがないからです。

虐待からは逃げるしか方法がありません。家庭内虐待が起きていたら、とにかく助けを求めて逃げ出すしかありません。関わらないことです。迫害者は直せません。なぜなら、足を踏んでい人はふまれている人の気持ちは理解できないのです。

そうした人を構成させようという施設はなくなないのですが、ほとんど実効性がありません。たとえば刑務所です。他人の痛みを本当にわかる人はいません。他人の痛みがわからない人が他人の痛みをわかろうとしない人にどんなプログラムでいくら話をしたところで本当に無駄の積み重ねでしかないのです。

私どもが親との面談にそれほど重きをおいていないのはそうした理由もあります。親御さんには親の会というのがあり、そこでは、とにかく親は悪くない、という前提条件があります。それでは子どもの状態を変えることはできません。

親御さんが、自分の子どもが引きこもったのは社会のせいだ、学校のせいだ、施設のせいだ、他の子供のせいだ。いくら責任転嫁しようが、親が最大の責任であることは間違いないことです。保護者なのですから。親が心を入れ替えない限り子供のひきこもりを治すことはできません。

そう、保護者が虐待を隠しますから。そして保護者は弱い人を養っていて、弱い人からすべてを奪いますから。したがって虐待のほとんどが表に出ることはありません。児童相談所などに親が自分がDVをしていることを告白することはありません。恥ずかしいからです。

子どもをどう育てていいかわからない親御さんが多くいます。結果としてネグレクト、最悪の場合は捨てにいきます。コインロッカーに捨てる人もいれば、「引き出し屋」、スパルタスクールに捨てに行く人もいます。

矯正施設の目的はお金だけ

矯正施設は、親が見放した子どもたちを集めて作られます。施設は経営することが重要です。経営をうまく行うためには、どれだけ短期間に効率よくお金をすいとれるか、にあります。

ですから、「治るまで面倒をみる」という私どものような通所形式はほとんどなく、短期間軟禁状態において強制労働を行い、子どもも親も呆れるか、納得するまでお金を吸い取り続ける、装置となってしまいます。

それはせいぜい3ヶ月から1年。何年も、ということはほぼありえません。短期で卒業させないと実績が出ていないように見えてしまうからです。私どもも、NPO法人を作ってそのような施設を運営することを考えもしました。

しかしそれを行うためには、1000万円の初期投資と、年間最低200万円のランニングコスト、そして最低五人の職員を常勤させないといけないのです。つまり、年に1億円稼ぐことができないと、たちまち経営に窮することになります。

ひきこもりのお子さんを治したい、というかたが提示されるのは50万円程度です。50万円ではほぼ何もできません。塾に通わせるのとはわけが違います。数年から40年ひきこもっていたり、仕事をしたことがろくにない人を自活できるように指導するのがどれだけ大変なことなのか?

しかし、50万円しか出せないというのですから、私どもは50万円でできることを行っています。それは着実に成果を出しています。ただ、正直私どもの持ち出しが大きすぎます。

民生委員がボランティアであるのと同様、私どものカウンセラーたちも、十分な費用対価をお支払いすることができないでおります。結果として、非常にむらのあるサービスになってしまっていたことから、現在は川島が、ゴール設定まではお話をお伺いして、その上で切り分けて、適切なカウンセラーにバトンを渡すようにしているのです。

しかしまたそれは、わたくしのキャパシティで打ち止めになってしまいます。現在のところ、わたくし自身もカウンセリングやヒアリングだけを行っているわけではありませんから、月に8人の新しいクライエントがいらっしゃった場合にパンクします。

矯正施設はさまざまな名称でさまざまなサービスを行っているように見えますが、実際は矯正することが目的なだけで、しかしそれには非人道的なことを行う場合も多いですし、結局は卒業生は自活できない場合も多く、とにかく「経営」と継続が第一であるため、「お金儲け」が目的とならざるを得ません。

それは、私立の場合だろう? 違います。非常に公的に見える機関ですらそういう状況です。一番怪しいのがNPO法人です。NPO法人は社会的責任を負っていません。非営利といいながら営利事業を行っています。さまざまな金銭的な優遇措置を受けやすいのでNPO法人という組織体をとっているだけで、非常に無責任です。そして、NPO法人と行政はべったりなのですが、行政や政治家も自己目的化しているため、本当に困っている人を助けるという立場にはありません。

行政がいかに頼りにならないかは、WHOが勧めていない、つまり、ウィルスがどら焼きの大きさだとしたら、網目はテレビ画面のように大きなマスクをたった2枚配布する、といったようなところでおわかりでしょう。

あるいは、爆弾を背負って、敵戦艦に体当たりするための兵士を募集する係だったりもするわけです。さらに言えば、いくら被害を受けたことを訴えても捜査もしてくれない警察だって行政官です。

施設を頼る前にまずはご相談を

以上、「施設を作った瞬間に儲からない」「継続するためにボッタクリが必要になる」「施設が立派であるほど適正なサービスは受けられない」などをお話しました。

たとえば、悩み事をきいてくれるサービスなども、時間4000円くらいします。占い師などはもっと高額であったりします。しかも困ったことに占い師のほとんどは詐欺商売を行っています。何か売りつけられたり宗教に勧誘されたりします。

居酒屋やバーのマスターなどは相談に乗ってくれることもありますし、相談をもちかけられることもあります。おおよそ、ほとんどの終夜営業のバーというのは儲かっていません。設備が重たすぎて儲からないのです。

バーを一軒維持するだけで、月に30万円ぐらいかかります。改装したり修繕したりしなくても、家賃と光熱費だけでかかってしまうのです。その他に、当然オーナー兼バーテンをしていたとしても人一人が生きるための最低限の人件費、そして食材や飲料などの仕入れ費用が必要です。

バーのドリンク代はタダから、せいぜい原価3割程度ですが、月に100万円の売上では赤字です。従業員を雇っているような店では、月に1000万円の売上でようやく利益が少しだけでます。

しかし、平日も平均で30万円の売上を獲得できるのは本当に限られた店だけです。一方で、何十年も改装しないで営業している店のようなところは、常連のお客さん三人だけで回せるような場合もあります。

いずれにしても、持ち家で固定資産税もお目溢しをもらっているような場合だけですね。私どもは、社長の持ち家を本社にしていることで固定費の圧縮をはかっているからサービスを継続できている、ですから、とにかく固定費や宣伝費、販売管理費が高くて、ボッタクリをやらざるを得ない業者さんの前に、まず私どもにお話をいただくのが一番だろうと存じます。

いずれ行政がタダ同然で素晴らしいサービスを提供してくれる、などということは絶対に起きません。行政は、平等なサービスしか提供できないので、たとえば週に3時間だけ、声がけにくる、とか、全国に1000箇所くらい「集会場」を作って、そこでままごとみたいなプログラムを実施するとか、その程度でしょう。

それではほとんどの親御さんが期待している、家を出て自立してほしい、という願いからは遠ざかるばかりです。まだ、子どもに小遣いをやって、昼間は映画館とかカラオケボックスに行っていてくれ、とお願いするほうが現実的ですよ。