なんだか、いつの間にか2022年になってしまいましたね。今年はカレンダーの並びが悪く、ほとんどのサラリーマンも正月休みが4日とか5日しかありませんでした。あくまで東京近郊の感覚ですが、しめ飾りを買い忘れる人も多かったですし、初詣もそれほどもりあがりませんでした。

それでも、今年はようやくオリンピックも終わって(といっても2月から北京オリンピックがはじまりますが)、祝日もたくさん移動するようになったため三連休が8回もある年になります。なんとかコロナ騒動もさわぎすぎないようにして、旅行、宿泊、飲食などのサービス業さんには復活していただきたいですし、ことに高齢者の外出不足による健康寿命の低下が心配されます。

地域にもよりますが、介護施設は今の所ほぼ平常運転になりつつある、ので、ご高齢の親御さんをお持ちのかたは、地域包括支援センターに連絡をとって介護認定を受け、親御さんの運動機能の維持または向上を専門家におまかせするようにしてくださいね。というわけで、今回は、50世代のご子息さまたちへのお話です。

「毒親」判定をしてみましょう

自分の親が、いわゆる「毒親」であるか、を判定したり、チェックしたりするサイトが非常にたくさんあります。みなさまはネットの検索でこのサイトまでたどりついているわけですから、検索すれば、非常にたくさんのサイトが出てくるだろう、と思います。ぜひ、試していただきたいのですが、8050問題に陥っている親御さんの非常に多くは、きわめつきの毒親であるパターンが多いです。

とはいえ、ご兄弟様がこのテストをした場合には、「あまり当てはまらない」という場合があります。兄弟が大勢いる場合は、子供によって育てられ方、「甘えさせ方」が全然違うこと、がよくある、のですね。非常にいろいろなパターンがあるのですが、末っ子ほど過保護、で、長男には過干渉、というパターンは非常に多く見られます。

一人っ子は何しろ一人の子供に二人の親が目を光らせているわけですから、日常のほとんどの時間をまるでペットのように束縛することが少なくありません。わたしは子供の数が2人から3人の時代の人間ですが、その当時「一人っ子は変わっている」というのが子どもたちの間での通説になっていました。

年の少しだけ離れた兄弟の場合、お兄さんやお姉さんから見ると、弟や妹が、自分そっちのけ、でとても可愛がられているように錯覚する場合があります。ほとんどの子供は5才くらいまでの記憶はほとんどないので、自分が小さなときに可愛がられていた記憶がなく、ある程度物心ついたときには、若い兄弟のほうが可愛がられている印象が強くなるのです。

また、時代がどんどん文明化したこと、家庭環境が親が年を取るにつれてある程度穏やかになったり、収入が増えて生活にゆとりが出てくること、で「私が幼い頃にはあんなことしてもらえなかった」おけいこごとだったりおもちゃだったり、を買ってもらえるようになった、というようなことも関係するでしょう。

いずれにしても、兄弟姉妹で、親からの態度はかなり違います。親御さんに言わせると「はじめての子供だったので余裕がなかった」「自分がしつけられた通りにしつけないといけないと思った」「父親の給料が少なかった頃なのでぜいたくができなかった」という話を伺います。

そのいっぽうで、非常に幼稚な親御さんが多く、子供にライバル心敵愾心を持っていることにより、「子供が楽しそうにしていると憎らしい」「自分にできないことをしているとあざ笑われているように感じる」「自分が憎んできた人(主として実親)に似ているのが憎たらしい」などと考えていたりします。これは心理学の言葉で「アダルトチルドレン」(「AC」と略されます)といいます。

親なのだから親らしくしなければ、と思っても、地金が幼稚なので、しつけ、と称して暴力をふるったり、理不尽な要求をして、できないことに対して罰を与えたりします。子供が理不尽に叱られてなきわめくのを見て「自分は厳しいしつけをしている素晴らしい親だ」と自画自賛できた時代がありましたし、未だにそういう精神構造の親御さんも少なくありません。

「昔の戸塚ヨットスクールのようなところに入れて、鍛え直してもらえばまともになるだろう」と考え、いっけんそのような施設があるかのように見える「作業訓練施設」(宿泊設備のあるものは違法です)に50万円とか300万円、なかには1000万円以上も支払って「矯正」させたい、とのこと、で、このたぐいの詐欺があとをたちません。

人造人間じゃあるまいし、何十年もかかって形成された人格を数ヶ月や1年程度の、違法性を伴わない方法で、なにより本人にその意志がないのに「都合のいい人」「一人で生きられる人」「社会とうまくやっていける人」に作り変えることなど、現代の科学ではできるはずもありません。

しかし、なにせ親御さん自身が、あるときは「子供のくせにXXできるのがにくい」と言ったか、と思えば「幼稚すぎるのでつい手が出る」と支離滅裂な「教育方針」で育ててきたのですから、まず変わるべきは親の方であって、親御さんが、政治家に献金して国のお金で「出来損ないの(もはや中高年になっている)自分の子どもたちを(親御さんが思い描く昔の社会における)ふつうの人にしてほしい、などという活動にせいをだしているうちは、問題解決から遠ざかる方向にしかいきません。

すべての人に必要なのは「お金で買えない愛情であたたかく寄り添う他人」であり、親や兄弟に行動を制限されること、は「生きるチカラを奪う」以外の効果を生むことはありません。

自信が大きい人ほど毒親になる

ほとんどの引きこもりの親御さんが毒親であるにも関わらず、彼らのほとんどは、「自分が毒親なんかであるはずはない」という「絶対的」とも言える、実に根拠薄弱な自信を持っています。「毒親を変えるのは不可能」であるのは、毒親を毒親足らしめているものが、まさに、毒親の自我そのものでもある自信からくるもの、だからです。

彼らの中にある「毒親」のイメージは「アルコール(などの)依存症」「ギャンブルや浮気、なぐりあいや汚い言葉遣いで罵る」「子供を愛さない」「子供を捨ててしまう」などモラルや社会的常識に著しく欠ける人、だったりします。そうしたことも重要な要素の一つではありますが、必ずしも決定的でもありません。

毒親は「子供のためを思って、子供が立派な人間になるように教育やしつけをするのが親の努め」と、あらゆる暴力やマルトリートメントまでをも「しつけと教育」という美辞麗句に置き換えて正当化しています。しかし「立派な人間」や「正しい人」というコンセンサスはどこにあるのでしょうか? どこにもありません。それはご両親の中に、バラバラにデタラメに存在しています。

端的にいえば、親は子供に「自分にとって都合がいい」人間になってほしい、だけ、の話です。そのため、父親と母親が子供を奪い合ったりすることもあります。3人家族の場合は、子供を味方につけたほうが、多数決で決定権を取れるので、あらゆる手段を講じるし、負けた方は子供に辛く当たる、ということが散見されます。

専業主婦が当たり前だった時代には、母親のほうが子供に接する時間が長いため、母親のほうが多数決獲得票数を獲得しやすい、問題がありました。しかし、両親が仲が悪いのは決定的に子供の発育環境として良いはずがありません。愛情が便宜的なものでしかないわけですから。

多くの母親は子供ができると、母性本能がはたらき、夫より子供を大切にする傾向が知られています。ほとんどの人は異性の考え方を理解することが難しく、身体構造も違うため、どんなに仲が良いように見える親子でも、さまざまなトラブルを抱えています。よく言われるのは、女性が多い家の亭主は洋式便座をおろして小用をする、というものです。

毒親が一人の場合もあれば二人の場合もあります。ひどい場合には同居する祖父母までが毒親であったり、さらに年長の兄弟までがいろんな要求をしてくる場合もあります。彼らは「自分の正義」「自分の教育方針」「自分の価値観」「自分の子供への期待」「自分が果たせなかった到達目標」を子供に押しつけます。ときにはアメ(お金やごちそう)やムチ(僕力やいやがらせ)を使い分けて。

親の自信はどこからくるか、といえば、「実家が資産家で甘やかされて育った」「親(祖父)の社会的地位」「自分の社会的地位」などです。そのため、「社長の子供はドラ息子」「教師の子供はグレる」ということ、は、やはり通説になっていました。

親が政治家や立派そうにみえる映画俳優、著名な作家、「先生」と言われる人、固いと言われる職業の人、裁判官や上級国家公務員、仕事ができないことで出世した会社社長、など、で、ことに都会的でない地域、に住んでいる場合、小学生であっても「子供らしくしてはダメ。お父さんが恥をかくのよ」と言われ、その上、社会的地位という自信をバックにした親から厳しくしつけられ、多くの子供は、わたしから見てもつらそうでした。

しかし、そんな家庭であっても、驚いたことに、世間一般の常識すらない家庭が少なくなく、あいさつができない 、明らかに間違ったことをしても謝ったことがない、ありがとうが言えない、交渉ができない、他人にものを頼めない、言いなりにお金を払う、などの非常識が家庭内でまかり通っていたり、人間的に豊かでもなければ、教養があるようにみえて、世の中の常識を知らない(たとえばパチンコで勝つと現金が手に入ることを知らない)、ということがあります。

こういう家庭に育ってしまうと、家でも虐待され、社会でも「おぼっちゃまくん」とか陰口を叩かれ、ひどい仕打ちや暴行を受ける、ようなこととなり、つまりは社会性もなく社会に溶け込めない(そういう教育を受けていない)ので、ひきこもる、か、できるだけ他人と会話しないようにする、しか生きる方法がなくなってしまうのです。

今年こそ逃げてください

毒親が、過去の自分の非を自分の子供にわびて、なんらかの償いをするようにし、ふつうの「近くにいても遠くから見守り、影で子供を支える親になる」などということは、99%考えられません。間に人を立てて話し合いをする、にしても、何十年の話ですから、とても時間がかかりますし、いまさら「自称もうすぐ死ぬ人」から詫びられても、何も得るものはありませんし、なんの自信にもなりません。

とにかく、最小限のものだけを持って逃げることです。できれば数ヶ月くらせるお金を調達して、のほうがいいでしょう。あるいはもう少し暖かくなって、路上で寝起きできるくらいになってから、でもいいでしょう。まずは生活保護から、自分の人生を取り戻すようにチャレンジしてみましょう。

毒親と戦うのは、魂を吸い取られるだけです。本当に無駄なので、もうこれ以上時間を無駄にするのはやめましょう。最近傘寿前後の人たちは断捨離を始めています。しかし、現在80才前後の「自信がある」人たちは、「自分の死んだあとは誰かが後始末してくれる」と、どこまでも甘い考え方をしています。生活を小さくできていない80代の親ごさんを相手にしても無意味です。

50代のわたしたちに流行っているのは「バケツリスト」作りです。過去を捨てて、残りの人生でやりたいこと、をリストアップして、それを達成することを目標に生きる。そんな慣習を「バケツリスト」と呼びます。日本では「棺桶リスト」と訳されていて、ちょっとネガティブイメージですけれどもね。

来年、今年が良い年であった、ことを感じられるようになれますように。