疫病が長引きとてつもない不況が始まってしまいました。私どもの今までのスタンスといたしましては、とにかく引きこもりのお子様(といっても社会的にはおじさんやおばさん)に、いったん家を出て、自活することを覚え、あるいは共同生活をしてみて、世の中の厳しさ辛さ、テレビドラマのようにはいかないんだ、ということを身に滲みてもらうことを通過儀礼にするための支援を行って参りました。

そのため、どんな地方にお住まいの方に対しても、死なない程度に働けるような選択肢を用意してまいりました。具体的には、人手が足りないけれども広告費を払えない、とか、常に人で不足の求人、あるいは個人的なコネクションを活かしての働き口の紹介もしていました。

突然来た底なし沼

現在、来年の今も確実に仕事がある、といえる人はどのくらいのパーセンテージでいるでしょう。たとえば、協力いただいていたイベント支援会社さんは、3ヶ月仕事がゼロになりました。

ただでさえ少ない給料を減らす会社もたくさんあります。社員数百人から数千人の会社は、突然地面に穴が空いたようなショックを受けています。具体的には4月から6月までの四半期で数億円から数十億円の赤字を出しています。

日本企業は商習慣的に辛くて半年、基本的には1年から2年単位での人事考課をしますし、決算も概ね3月末に行います(弊社は12月末決算です)。そのため、「第一クォーター」と呼ばれる期の最初の三ヶ月はあまり大きな問題になりませんが、外資系では四半期ごとに人事考課が行われ、突然社員IDを奪われ、ダンボール箱一つに私物を詰めて追い出されます。

いくつかの日本企業を定点観測していますが、しばしば経営陣が刷新され、しかし資産の切り売りが行われています。もはや国際的企業のほとんどは国際競争力がなく、ことに日本国内市場は非常に弱っているため、日本人の無期雇用を維持することが極めて困難になっています。

これは実際は来るべくして来た問題です。いわゆる「昭和バブル崩壊」は1991年ぐらいのことで、すでに平成だったのですが、外国にものを輸出して儲けていたのが内需拡大、箱物行政、ということで、しばらく「平成バブル期」というのがありました。それが2001年まで続いたのですが、September11で国際市場が大きく影響を受けました。

さらにリーマン・ショックが追い打ちをかけ、日本も不況に突っ込んだ、というのが教科書的です。しかし、実際には2000年ぐらいから、日本人経営者は非常に保守的になっており、愚鈍な経営者が多く、立ち行かなくなってしまいました。

これは日本全体を蝕んだ病です。バブル期に出世しすぎた人たちは経営謎できるはずがなかったのです。2005年ぐらいには「オフショア開発」という言葉が流行しました。これはコンピュータプログラムを外国の外国人、主には中国人、その後インドや東南アジア、に委託する、という致命的なものでした。

日本人はパッケージメディアと有線伝送、そして、選民意識、一部の選ばれしものだけが巨万の富を得る、という非常に自分勝手な思想にまみれていました。「ユナイト」協業、とか、協働、という言葉はよく用いられましたが、ほとんどの人は荘園貴族のようなもので、「働くのは運が悪いやつ」だったのです。

よいハードウェアを作れば大儲けできる。それは、1985年くらいまではそうだったのです。しかし、それ以降は実はハードウェアの中に入っているコンピュータプログラムの良し悪しが問題になっていたのです。実は日本はファミリーコンピュータで大成功したにも関わらず、魯鈍な人たちには外見しか見えなかったのです。

製造業は日本のお家芸と言われました。その後、中国や東南アジアのコピー商品を悪く言うようになりましたが、昔はメイドインジャパンは安かろう悪かろうのコピー商品だったのです。2000年くらいまでは「真似した電気」という言葉が使われていました。日本一の家電メーカー松下電器がPanasonicに社名変更したのはそれを嫌ったからとも言われています。

1990年代の日本の技術者は、新製品を買ってきては解体して、部品や回路を分析して、類似品を完成させて売るようなことを平気でしていました。その後、コンプライアンスとか、特許侵害問題が大きくなって、アップル社やサムスン社から訴えられたり訴えたりということで、リスクが大きすぎやらなくなってきましたが、そういう技術者しかいなかったので、彼らは全員リストラされてしまいました。

日本にはプログラムが書ける人がほとんど残りませんでした。そして、無料で提供して広告モデルで回収するというような、「未完成品でも面白いものをやったもん勝ちで投資マネーを集めれば勝ち」とか「シェアリングエコノミー」とか「横流しバッタモン」などを日本人が喜んで買うようになりはじめたのは2011年くらいからです。

それまでは家電メーカーも護送船団方式の内側にいましたが、それが弾けてしまったのです。しかしそうなる5年以上前から、日本の企業は世界に新しい価値提供をまったくできなくなってしまっていたのです。

「おもてなし」というのは、過剰包装や過剰な人手をかけて懇切丁寧にするということで、しかし、それは商品価格やサービス価格に転嫁されるか、利益を産まないかのどちらかだったのです。あろうことか日本の多くの会社が、拡大しつづけることによって資金調達をしつづけ、一見儲かっているように見せる、というネズミ講方式を取りました。

それがライザップでありソフトバンクです。投資マネーを集めれば勝ち、とか、大きくなりすぎれば潰せないだろう、という、資本主義の上での人質をとったような形なんですね。しかし、それがいよいよ立ち行かなくなろうか、というときに今回の騒動です。

私達はいきなり底なし沼に放り込まれましたが、まだ、頭が沼の上に出ているので、世の中に実感として伝わっていないだけなのですね。しかも、昭和バブル崩壊以降の入社組は、いいことなんかなんにもなく50歳になろうとしているので、危機感に麻痺しているところもあります。

もはや60代以上の言葉は、無価値です。彼らに何かをする力はありません。へらへら上司の靴をなめていれば出世できた世代だからです。

80世代との「正社員」ギャップ

年齢が50歳であっても、もし社会人デビューしていなければ18歳とか22歳と変わらない社会に直面しなければなりません。しかも彼らよりもかなり不利です。親のスネしかかじってない人を、ずっと苦労してなんとか自活してきた30代、40代の人は相手にしてくれません。

ところが80歳代の人たちは、半分寝ぼけているので、というのは新聞の文字は大きくなっているし、テレビも文字を大きなテロップにして流しているので、昭和がまだ続いているような幻想でいます。そして自分の若い頃や、中年期のことを忘れないでいます。

昭和バブルの終わり頃の初任給は22万円くらい。年収300万円から350万円くらいでした。それは今も数字的にはほぼ変わらないのですが、問題なのは、正社員で働いていても年に10000円くらいしか昇給しないことです。

バブル期の昔は昇格すると月収で3万円昇給したりしていたのです。年間で50万円昇格昇給したり、通常昇給でも月8000円昇給していたりしたのです。ボーナスは6ヶ月という会社もあれば年に3回も4回も出る会社もあり、年に15万円ずつ昇給したりもしたのです。

さらに、サラリーマン定率減税というのがあって、サラリーマンが優遇されていた時代もあります。また、消費税なんかありませんでしたし(高額なものには物品税という贅沢税相当のものが1割くらいかけられていた)、現在は40歳以上死ぬまで毎月払い続ける介護保険料などもありませんでした。

年金は積立方式で将来帰ってくると言われ、実際には昭和30年代は6倍になって帰ってくる、と言われましたが、倍以上になって帰ってくる程度。しかし、それでも払った分はもらえるのですから非常にいい制度でした。ところが制度破綻し、社会保険料がグングン上がりました。昔はボーナスから天引きがほとんどなかったのですが、税金がボンとかかるようになりました。

住居費や食費など生きるために最低限必要な費用を引いた残りを「可処分所得」という言い方をすることがありますが、それはとてつもなく減額されたことになります。また、買い物で消費税取られますから、実際には収入が1割減ったようなものです。

さらに昔の人は退職金が3000万円だと少ない、と言われたものです。5000万円以上の退職金をもらって辞める人がたくさんいました。今は定年まで勤めることも非常に困難な上、退職金はせいぜい7桁です。それは55歳以下がだいたいそんな感じです。

正社員になれば生涯年収は3億円どころかもっともらえて、可処分所得が3億円くらいあったんですね。だからいいクルマを買ったり家を買ったり、結婚して子供をたくさん作ることもそれほど大変ではなかったのです。またそれが当たり前、と考えられていましたし、今でも考えているでしょう。

このギャップを埋めることはできません。実際には35歳から75歳までは5年ごとに、その上は10年ごとに常識が全然違うのですね。男性と女性でも全く違います。役人と会社員、自営業とで違います。学歴よりも環境のほうが問題です。

従って80世代が「正社員になれ、なれ」と本当によく言いますが、無意味です。むしろ「自分がやりたいこと」は何なのか、を考え、すでにある職業にならないようにすることのほうが、新しい仕事を発明することが必要です。

親の都合でこの世に生を受けたわけですが、親のために生きる必要は全くありません。一生親が面倒を見てくれるわけでもありません。たとえお金にならなくとも、自分ができることを極めることが大切です。

今こそ「家族会議」で考えて!

60代以上の人たちは「こうしなければいけない」というカルマにとらわれて生きてきた人たちです。若い人たちは「自分の頭で考えない」と言われますが、60代以上の人たちも刷り込みを信用しているだけで「自分がない」人が本当に多いです。大事なのは「自分よりも家族よりも世間体」です。

そのため、自分の家の「引きこもりの家族」を隠します。「恥ずかしいから表に出るな」「恥ずかしいから近所の人に顔向けできない」と、残酷なことを平気で言います。それは育て方に問題があったり遺伝的な要素があるわけで、育った社会が違うため、昔の常識が今通用しないだけなんですけれどもね。

引きこもりの親が一番いけないのは、子供を子供扱いしつづけることにあります。子供が乳離れしないのではなく、子供を子供扱いするからその関係性に安住してしまうのです。

大切なのは、一度他人になることです。日本人の家族は気持ち悪い関係なので、ドライに、よその人を預かっている、と考えることです。家を運営していく作業というのがあります。掃除、洗濯、買い物、家事一般、家のメンテナンス、家賃、税金、終活。これらについてどうするのか、今後どういうスタンスでお互いの生活にできるだけ干渉しないで、精神的に追い詰められないように生きることができるのか、ぜひとも家族会議を開いて考えてください。