生涯未婚率という言葉が問題として挙げられなくなったのは、問題が解決したからではなく、大きすぎて対策の施しようもなくなったせいです。現在、男性の生涯未婚率は25%程度とも言われていますが、離婚や死別などもあり、中高年以上の独居者の数はよほど社会意識が変わらない限り高止まりし続けるでしょう。

多くの独居生活者は独居であることの「開放感」になれており、自分のテリトリーを侵されることを嫌い、さびしさより煩わしさや経済力への不安が大きいようです。

とはいえ「独身貴族」は順調に昇給が行われていた時代の言葉で、現在の日本では「正社員」にも「地域正社員」「派遣会社の正社員」など、古き良き時代の賃金カーブをのぞめない、つまりほとんど給料も上がらないし役職にもつけない、あるいは降格も行われるという状況になっています。

つまり、現状と日本社会の今後を見る限り、働かないで済むか、もしくは低収入である場合、可能な限り一つの家にたくさんの人が住み続けるほうが合理的なのです。

同居人がいるのは有事の際には心強く、ことに緊急時、猫の手も借りたいときに猫よりは働いてもらえるので、独居者が突然、循環器や脳に障害をきたしたり、転倒などで大怪我をした場合に比べれば、メリットは小さくありません。

そのいっぽう、だいたいにおいて、現在の70歳から90歳の親御さんとお子様は非常に不仲な例が多く、同居することでのストレスが非常に大きなものになっています。実際のところ、この親御さん世代の多くは、集団就職で都会に出て、都会の郊外に庭付き一戸建てを建てるというロールモデルを実現してきた世代であり、その親御さん世代とも「家族だから仲良く」ということがあまりありません。

「家父長制」の意識が全く消えたわけではなく、「本家の墓には嫡男しか入れない」状況は未だに続いています。しかし、実際には少子化により系譜が途絶えるような家が少なくない状況があります。つまり、新たに墓を作っても、墓守になるべき孫世代は存在していなくて、それどころか「生きている実感もない」ような状況があります。

親子や子供の世帯は多くて年に二度、ふつうは1年に一度、正月かお盆にちょっとだけ顔を合わせて、一瞬家族団らんを取り繕う、という家がほとんどでして、現在の親子のようにスマホでしばしば連絡を取り合う、というような「友達にちかい関係」を作ることが、なかなか難しいことが「8050問題」という形になって現れてしまいます。

これは親御さん世代に非常に大きな問題があり、子供を自分の都合に合わせて、だいたいのときには自分の付属物やペットのように扱い、時々、突き放して、虫けらのように、あるいは憎むべき存在のように扱うのですね。社会的にけっこうな人物であっても、「子供のことはよくわからない」と言います。

ある程度以上の年齢になったなら、自分と同じ一個の独立した人間として、全く別の人格として最低限の敬意を持って接したり他人に紹介したり、ということが「きちんとした社会人として当たり前のこと」なのに、全くそういうことがされません。

友人や知人の家を訪問しても、きちんと家族を紹介してくれる人は本当に少ない。たいていの場合、小さな子供ならともかく、値踏みされるようにのぞかれるだけで、親子の間に大きな壁を感じてしまいます。

この稿では日本経済の低成長が続いている以上、なんとか工夫して親子でストレスなく同居できないか、について考えてみたいと思います。

二世帯住宅ならうまくいく、というものでは全く無くて、木造住宅の上下階に住んでいると生活音が気になるだけで、週に一度も顔をあわせなくなるのがほとんどで、なんのために同じ住所にしているのかがわからなくなります。

ほとんどの親子は当然ながら親子ほどの年齢が離れているため、親世代はテレビしか見ないけれども、子供世代はインターネットやSNSしか見なかったりします。つまり触れている情報から話題から常識まで全く違うのです。ですから仲良く会話が弾むわけもありません。まして、親と孫とでは50歳以上離れているので、共通の話題は乏しいですしお互いにとってストレスのほうが大きい、というのが一般的です。まったく別の動物にしか見えない、といってもいいでしょう。

ですので、家屋が一定程度広い場合には、使う部屋を極力分け、共通で使わないといけない台所・食堂・浴室などは使う時間をわけ、冷蔵庫そして可能なら食器棚も分けることです。

つまり同じ家に住んでいるだけ、で、子供が単身であろうと夫婦や家族であろうと、世帯をわけ、互いに可能な限り生活に干渉しない、会話もしない、というのが思いやりとなるのです。

必要以上に干渉してしまうと部屋に引きこもり昼夜逆転でゲームばかりやっているような生活になってしまいます。

家が狭い場合は、できるだけバラバラに外で過ごす時間を作ることが大事になります。さもないとストレスで全員参ってしまいます。
挨拶は期待してはいけません。ビルの管理人さんなどがテナントの社員さんなどにあいさつをしていますが、誰もあいさつを返す人はいません。現代の50歳以下は「ファミコン世代」と呼ばれます。ゲームの話ではなく、ファミリーレストラン、コンビニンスストア、でのふるまい、がベースだ、ということです。

現在のファミリーレストランでは、注文はタッチパネルコンピュータで行うため、一言も発しないで注文ができます。運んでくるのもロボットだったりします。会計のときにも一言も口をきかないで会計できたりします。コンビニも同じです。それどころか海外旅行でもほとんど口をきかず、現地の言葉を何も話せなくても通用してしまいます。

会社ですら、黙ってカタカタとキーボードを叩いていて、いまどきの会社は電話すらありません。ほとんど会話というのがないのですね。

高齢者向けのサービスをしているところは電話の問い合わせ窓口をおいていますが、ほとんどの場合外部委託業者が対応します。スマホというのは電話をするものではないのです。

お互いに透明人間のように暮らせるようになることが目標です。