明けましておめでとうございます。コロナ渦が深刻な状況で継続している中、皆様におかれましては、「心身の健康」を維持するためにも、リモートワークや自宅待機などによりご実家に戻られたり、同居生活を始められた方も多いかと存じます。ことに重症化が懸念される高齢者とそのご子息さまにむけ、「正しい共同生活」を維持なさるようにご提案を申し上げます。

共同生活のコツ

・可能な限り親子で顔を合わせないようにする(上限一日30分)
・生活スペースを可能な限り分ける
・親子で話し合う必要がある場合は時間を区切り短時間その話だけをする
・可能な限り、互いの領分を侵さないで尊重し合うこと

おおむね家族の問題でご相談いただく場合、親子で仲が良い、ということは滅多にないことです。最近では子供が子供であるのは10歳以下になっていて、それ以上は「ふり」をすることはあっても、親子がベタベタになることは逆に不健康です。

非常に長い期間「ひきこもり生活」、これは物理的にひきこもっていなかったとしても家事手伝いをしていても、「家の外の世界の人たち」つまり社会からの孤立をしていると、社会性を失って、まだ40歳台であっても「おじいちゃん臭い」「おばあちゃん臭い」所作や言葉遣いになってしまいます。

立ち上がるときや、何かするたびに「どっこいしょ」とつぶやいたり、周りに聞こえよがしに文句を言ってみたり、「はぁ〜」とか「ふぅ〜」とため息をつき、身だしなみも非常にだらしなくなってしまったり匂いに鈍感になってしまったりします。

ただでさえ「年寄りは鬱陶しい」という世の中の暗黙知がある中で、こうした人を雇用しようというムードにはなりません。今の日本は非常に混沌としていて、5年単位の年代のズレがあると、育った環境から常識からなにからすっかり変わっていて、概ね「50歳以上はめんどくさい、使えない人」というレッテルをあっさりはられてしまいます。

そうならないためには、とてもハードルは高いのですが、自分の実年齢プラスマイナス10歳程度くらいの人と、気持ちよく集団生活ができるような訓練が求められます。けっして、「何でも知っているはずの高齢者」にとって心地よい姿、というのは、社会人として望ましい姿とはなりません。

今の職場では雑談はない

現在はメールやチャット(即時的な短いメールのやり取り)であらゆる作業が片付いてしまうので、昭和のオフィスのようにぺちゃくちゃと無駄話をするような時間もなければ余裕もありません。

また、コロナ緊急事態ということで、公共交通機関などでの家族間の会話なども制限されています。大学はリモート授業となり、同級生とワイワイ遊びに行くとかコンパをやるということもできなくなっています。

しかしその前から、特別な場でない限りは若者たちはそれほど大騒ぎしなくなってきています。もはやほとんどの若者にとっては、しゃべることも苦痛になりつつあります。

私どもはカウンセリングやヒアリングを行うため、「こんなに人と喋ったことがない」「自分がこんなるにおしゃべりだったとは思わなかった」「しゃべっている人たちの輪の中に入っていくのがとても難しかったけれども、自信が湧いた」というようなことをクライエント様から言われることが少なからずあります。

ただ、仕事にせよ、プライベートにせよ、かなり目上の人から(年齢が上の人から)話かけられるのは、たいてい何か仕事の指示だったり、怒られたり、注意されたりするときであるため、自分の親であっても「めんどくさいなあ」という気持ちが先にたってしまうものです。

現在は、学校などでは「褒めて育てる」文化がたくさんありますが、会社では、今の部課長級の管理職すら、会社の仕事で褒められたことがありませんから、まして自分が部下を褒めるようなことができないのです。

仕事はできて当たり前、ですし、コンピュータの普及のおかげで、一人でありとあらゆる作業をしなくてはならなくなりました。「会社でどんな仕事をしていますか?」と聞かれても、何も説明できないのです。

一言で説明できませんし、一言で説明しても伝わりません。とにかく「いろいろできて当たり前」なんですね。

私達だって、現在の若者たちが言葉遣いから歴史の知識、ありとあらゆることについて非常に無知で不勉強であることはよくわかりますし、それを指摘するのもかんたんです。しかし、それは誰も得をしません。ですから控えてください。

実際会社においても、部下を叱るのはめんどくさいですし、エネルギーがいるため、部下を叱ることができないダメ上司はいくらでもいます。また、管理職になると畑違いの仕事に回されることも多いため、「現場のことは何もわからない働かないおじさん」が多数存在していることも事実です。

特に今は、ほとんどどの職場も、人員不足の上に酷使されていて、仕事や作業は増える一方で、お互いの仕事の内容を把握することすらできない状況です。非常にピリピリしています。

職場の同僚は仲間ではありますが、友達ではありません。同僚が存在しない職場も増えてきました。与えられた仕事を自分のペースで好きなようにできるわけではなく、ほとんどの仕事はサービス業になってしまったため、予期せぬタイミングで仕事がどんどん降ってくるのです。それでも清潔感を出しながらニコニコしていないといけない。職場はとても疲れます。

共同生活の成功のために接しない

共同生活、というと、みんなで一緒にご飯を食べて、という印象があるでしょう。「昔から日本には同じ窯の飯を食う」という文化があります。しかし、現実は、世代が違う人とご飯食べたり、作業を分担したり、というのは立場が弱い人には地獄です。

学業や仕事の関係でお孫さんと一緒に住んでいる高齢のかたもけっこういらっしゃいます。今の会社は住宅費補助なぞ出さない場合が多いですから、親戚を頼って済む場所を確保するのは当然のことです。

しかし、60歳も違う人と、一緒にご飯を食べるのは、立場が弱い側にとってはとても疲れます。話の内容の8割ぐらいは理解できませんし、理解できたところでそれは自分の役に立ちません。ことにリタイアしている人は、相手の都合を考えず無限に質問ばかりしてくるので、心の中で「ググれカス」と思ったとしても(実際にそういう言葉を使うのはもう中年の人ですが)「そうなんですか」「しりませんでした」「すごいですね」「勉強になります」なんて世辞を言って聞き流すしかしょうがないのですね。

もし孫ほど違う世代の人との共同生活をするとしたら、立場が弱い側がリクエストしなかった場合は週に1時間を限度にするようにしてください。子供世代であれば、一日30分を限度にしてください。

互いを尊重し、互いの領域を侵さないこと。けして行ってはいけないのは、相手を支配しようとしたり、服従させたり、ストレス解消の道具にしたり、時間泥棒をすることです。

実は銀婚式をあげるような夫婦でも、互いのことを実はなんにも知らなかった、ということがよくあります。日々の生活に追われていて、相手の昔のこと、やめてしまった趣味や好きだったものなどを、全然覚えていない、ということは本当によくあります。

一方で、配偶者を支配したり、いろいろ注文をつけて自分の理想に近づけようとしたり、人格を尊重しなかった場合はどうでしょうか? 「女房の尻に敷かれて」という表現がありますが、お子さんが娘さん一人ないし二人というような場合は、家の中での主導権は女性にあるため、過干渉な相手(愛情が深い場合もある)だとすると、女性陣の尻に敷かれるか、もしくは破滅的な結果になるか、です。

今や日本の離婚率も非常に高くなっており、夫婦二人だけ、という共同生活ですらなかなか維持するのが難しいのです。まして、子供世代、8050問題ははるかに難しい。家の中で刃傷沙汰を起こさないようにするためには、互いの尊重と、言葉遣い、そして可能なら物理的にスペースを完全に分けてしまうこと、不用意に話しかけないこと、です。

恐ろしいことに、「言わなければよかった余計な一言」をつい言ってしまったがために、破滅的な状況に陥って、何十年も後悔することになります。共同生活というのは、けして楽しいものではありません。非常にストレスフルです。「そういうものなんだ」ということを自覚して、可能ならきちんと取り決めをして、できるだけ接触しない、口をきくのも注意することです。

まだまだ、私達は長い戦いをしなくてはいけません。「なるようになるさ」ではかなり悲惨なことになります。これからは本当の意味でのサバイバルの時代になります。共同生活をする人と敵対関係になってしまっては本当に悲惨です。パートナー関係を保つために、それぞれが最善を尽くす。相手が通じない相手だったならば、ストレスをためないようにできるだけ接触を減らす。その基本原則を肝に命じてください。

自分の子供や親であったとしても、無償の愛、無限の愛、そして莫大なお金を注いだ、としても、見返りを求めたり、自分に都合のいい人に矯正してはいけません。それは共依存を招き、自立した人間になれなくなってしまうからです。