豊洲市場の問題、カヤバの問題、大学の不正入学の問題、どれを見ても謙虚さを失った日本人が増殖してしまったように見えます。大きな会社さん、古い会社さん、あるいは30年前はベンチャーさんだったようなところとお取引をしていると、どう考えても合理的でないやりかたをしていたり、小難しい言葉を使うけれど内容がサッパリわからない、ということにでくわします。「これはウチのやりかたですから、従ってください」と押し付けてきます。
考えてみると、私たちの買い物も変になってますね。どこで買っても「ポイントカードはございませんか?」と聞かれます。そのぶん値引きしてくれればいいのに、と思いながら、何十枚もポイントカードを作ることになってしまいます。インターネットでお買い物をすると、「最安値」と書いてあって、買い物する時に5000円と表示されたのに、後から「送料2500円」などと載ってくるような詐欺サイトだらけになっています。
こういうのも「うちのやり方ですから」と言われます。知らないよ、そんなこと、という話ですよね。「昔からウチはこういうやりかたですから」という同調圧力に飲まれて、お客さんのこととか、謙虚になって、自分自身が合理的と思うか、ということを考えないで、気が付くと会社全体が不正に走ってしまっている。お客さんからそっぽを向かれるようになってしまっている。それが日本社会全体に蔓延してしまっている。
新しい責任者は「まさかこんなことになっていると思っていなかった」としゃあしゃあと言います。それはあなたの会社の中の話なんだから、知らなかったじゃ、すまないでしょ、と突っ込む人もいません。「今後こうしたことが絶対に起きないように」と平気で嘘をつきます。「絶対」とか100%というのはないんですから。「ガバナンスを引き締める」みたいなことを言うと結局風通し悪くなって、いいたいことが言えなくなり、上層部が暴走すると誰も止められなくなってしまう、ということに思いが至らない。
そして、日本はとにかくムラ社会が大好きなので、すぐに同調圧力を作り出し、誰か指導者みたいな人が自信ありげに方針を打ち立てると、わいわい、とそちらに向かってしまう。一人ひとりが謙虚にものを考えるということをする習慣がありません。「8050問題」を扱っていても、親の世代の常識と子供世代の常識が大きく違うことで軋轢が起きている場合に、なかなかその常識とやらが定義できず時間を要してしまいます。
私たちは年齢は違っても同時代人ですから、同じ常識を持っていないとうまく会話ができないのですけれど、かなりリベラルな人でも、凝り固まっている場合が多くて苦慮します。特に大きな成功体験を持っている人は、それがまだ通用すると信じてしまっています。テレビでもそういうファンタジーを繰り返し流しますから。若い人ほど変わり果ててしまった現実に直面して悲鳴をあげていますが、それは上の世代になかなか届かないのですね。
「8050問題」がこれだけ社会問題化しているのに、解決することが非常に困難なことから、それを認めようとしない人がおおければ「なかったこと」にされたり、あさってのことに大きな予算がつき、根本問題の解決がおざなりになってしまうのではないか、そんな心配があります。