私どもが「困った人」としてよくひきあいに出すのが「バブル期のガハハオヤジ」というヤツで、利己主義の権化みたいな人がうようよいたものです。毎月30億円売った、とか、月給200万円あった、とか、その月給を一晩で使ったとか、聞いてるだけで気持ち悪くなる、遠い昔の自慢を語るオジサンたちなんですが、この人たちも今は年金生活者になっていて、それも多くは自営業の時期が長く国民年金しかなく、あれだけ稼いだはずのお金も消え失せて、カツカツの中でけっこうさびしい生活を送っていたりもします。

また若いころに働きすぎたり、遊びすぎたつけが回ってきて、脳や心臓が悪い人も多く、日常的にはフェイスブックなどで勇ましいことを言っていたとしても、実際にはアクティブに政治活動をするようなわけでもなく、ガス抜きをしているだけだったりします。ただ、こういう人たちにあおられてとんでもない政治活動をしたり、論陣を張る人たちもいて「ネトウヨ」と呼ばれていますが、その実態は本当に不透明ですし、やがて消え失せるものだろうと思っていて、そんなには心配していません。

それよりも私どもの心配は「8050問題」であり「7040問題」です。そしてこういう、社会からある意味でおいてきぼりになってしまったり孤立してしまった人が、意外に自責的なのに利己主義だったりする不思議な状況があります。ふつう、利己主義な人は他責的なのです。世の中が悪いから俺はこんなに貧乏になった、とか、あいつのせいで俺はこんなに辛い、となるのが、ある意味健全な心の持ち方なのですけれど、そうではなく世の中から相当ひどい目にあっているのに、それを自分の責任だと信じ切っている人たちがいるのです。この人は本当に辛いです。

さらに話を聞いてみると強度のナルシストである場合も多く、不幸な自分が好き、という状態になっています。そうなると救命ボートを受け付けることもしません。利己主義でもあるので、他人からの干渉も援助も受け付けません。不幸な自分から脱却すると自分はなんで不幸なんだろうというエンターテイメントとしての悩みからも解き放たれてしまうため、それも拒否してしまいます。

何もかもうまくいかないように自分で道をふさいでしまっているのに、一方で途方にくれている自分自身がいます。そして自分にたくさんのさらなる努力を強いたり、自傷行為に走る場合もあります。話を聞いてみると、自己評価が著しく低いです。環境が悪くて優しい日本人はこういう状況に陥ってしまうこともあるのです。

確かに日本では利己主義だけど自分第一という人が意外に少ない感じもします。周りの人のことをすごく大事に考えるけれども、それは自分が一番であるため、だったり、自分が心地よくなるため、だったりします。他人を押しのけたり踏んづけてのし上がるというのは現代の日本ではそれほど見ませんし、だからこそそういう気配があれば八方からたたかれるのでしょう。

長い時間によってそうした性向になってしまった場合に、そこから解き放ち「ふつう」にするのは容易なことではありません。さまざまな行動や経験の積み重ね、あるいはグループワークなどを通して、少しずつ生きやすくしていくことが大事なんですね。ただ、この「自責的でナルシスト、私ってなんて不幸なの」は一種のエンターテイメントなので、それを捨てさせる、忘れさせる、というのは意外にハードルが高かったりもするのです。