私どもカウンセラーは、とても重い話を聞いてしまうこともしばしばあります。重い口を勇気を出して話してくれたその内容を私どもは他の人と共有することもできなければ告解するようなこともできません。ただカウンセラーそれぞれの胸に収めるだけです。重い話の多くは解決することができないこともあります。私どもはその問題の解決に無力であることもしばしばです。それでも、カウンセリングを受ける方の心を少しでも軽くし、現在、深刻な状態にあるとしたら、そこから一歩でも明るい方向に勧められるようなお手伝いをする、というのが私どもの存在理由なのです。

当然、ストレスはたまります。誰にも言えない秘密をたくさん抱えるわけですから。カウンセラーによってはメモは取るけれども、その場で忘れる、という技能を持つ人もいます。いっぽう、メモを取ることで心を開いてくれない、という場合もあります。勇気を出して秘密を明かしたのに、そのことを無視されるとカウンセリングを受けている人としてはやりきれない思いにとらわれるでしょう。その一方、何百人という人生をすべて覚えるということも難しいという問題もあることをご理解いただけるとありがたいのですが。

私どもは、カウンセリングを受けた人の情報をファイルにまとめ、それを陳列する、というようなことは絶対に行いません。今までも行ってきませんでしたし、これからも行うことはないでしょう。そういう意味では私どもの事務所に来たところで、インスタ映えする映像を撮影することはできません。私どもの日常はテレビドラマの世界ではないからです。

優秀なカウンセラーほど、良い気分転換の方法を知っているべきです。信頼を置いているカウンセラーさんはこう答えました。「私の場合はバイクですね。バイクで決まった道を家に帰る。毎日通る道だけれど、バイクの操縦と言うのは一瞬も気を抜けないのですよ。横断歩道の塗装やマンホールでスリップするかもしれない。人の動きにも気を使う。一歩間違えれば死ぬかもしれない。だからすごく集中するんです。集中することで他のすべてを忘れることができるんです。

なるほど、私どもが手段として用いる、「XX療法」というのにもそういう側面があります。「運動療法」「芸術療法」「音楽療法」「作業療法」というようなものです。それぞれの「療法」はその結果が重要なのではありません。その作業や脳を駆使するようなことに集中してもらうことによって、今までのリニアな自分と切り離された新しい自分を発見してもらうためにするのです、もちろん中にはその結果として大きな才能を自覚したり自信をつける場合もありますが、「XX療法」の本来の目的は、集中することによって、現在の自分の状態、過去を引きずる自分を一瞬でも忘れてもらう、というところにその目的があります。

残念なことに「XX療法士」と呼ばれる人たちが、そうした理念をきちんと理解し、辛い立場の人たちに寄り添えているとは限りません。これは非常に不幸なことです。ただ、たとえば病院であったり施設であったり、堅固な雇用関係があるとその組織の中での居心地の良い立場を探してしまう、特に不器用な人ほどそこを頑張ってしまって周りが見えなくなってしまうということが起こりがちです。

最後のチャンスだと思ってすがろうとしている人が、自分の保身が一番大事、という状況も日本のあらゆる環境で起きてしまいます。組織の経営や権力の取得のために、それ以外のことをないがしろにする、救いを求めている人に手をさしのべようとする人のハシゴを外す、などという話を聴くことも少なくありません。

「XX療法士」に限らず、現場で困っている人に触れている人たちは、権力ピラミッドの上のほうにいる人たちとは全く考え方が違い、困っている人たちの方を向いている人が少なくありません。その人自身がその組織に頼らなければ生きていけない場合を除いて、どんどん動いていきます。あらゆる組織は現場の人が動かしているので、どんなに評判がよかった治療院であれ、現場スタッフが全部抜けてしまうとなんの価値もなくなってしまいます。

私の知人友人で、雇用されている組織を捨ててしまった人は多くいます。それは日本では大変に勇気がいる話です。友人関係を一から作るというのは、途方もない事業のようにも見えます。でも、それがいやで日本という国すら捨ててしまってしまった人もいます。逆に言えば、何かを捨てれば得られるものもあるので、細かなことで自分を縛るのをやめたほうがいいのかもしれません。

話を元に戻しましょう。「気分転換」で検索してもあまりいい答えにはなりません。体操したらいい、とか散歩したらいい、というような答えは全く信頼できません。心が重たい状態で散歩しても、足は動いても心は煮詰まっていくばかりです。すべてのことを忘れて何かに集中する、それが5分でも10分でもいいのです。心のスイッチを切り替える技を手に入れることができれば–それは簡単ではありませんが–素晴らしい結果を生むでしょう。

さまざまな行動療法の中で、最良のものは、形が残る芸術行動療法だろうかと思います。というのは、多くの行動療法は、
1.集中すること
2.目標の設定
3.達成度
だけをはかることになりますが、芸術療法では、他人からのフィードバックを受けられること、さらにそのフィードバックを受けて自分自身がどう考えるか、というようなことを考えられるステージがあるのです。日常生活ではそういうことはありません。バイクに乗ることでも、それは起こりません。もし、そういうチャレンジを提案することがありましたら、ぜひ試してみていただきたいと思います。