ダイバーシティという言葉を使いながら多様性を認める社会を目指しましょう、と言っている割には社会が不寛容で息苦しくなっている感じがします。その一方でマイルールでがんじがらめになり、精神的に参ってしまう人が若者からお年寄りまで増えています。
もともとうつ病は年配の人が多くなる病気で、実に人口の6割以上の人がなると言われていて、老人比率の高い日本ではがんや関節痛と並んで国民病と言われる日も近いでしょう。ただ、そうした場合治療費が安くなるメリットもありましょうが、お医者様の生活が立ち行かなくなったり、軽く扱われてしまう懸念もあります。
うつ病になりやすい気質の人というのは、生真面目な人、責任感が強い人であり、理想を掲げて「自分はこうあるべきだ」とつい頑張りすぎてしまう傾向もあります。全員が全員というわけではありませんが。そういう人が、皆の前で叱責を受けたり、大きなミスをしたり、あるいはリストラにあったり、ということで精神的に病み、引きこもりになったり、もっと重篤な問題になったりということは珍しいことではありません。
日本はいまだにムラ社会的な全体主義に支配されていて、「ふつうはこうだよ」とか「あなたは変わってますね」という不思議なことを平然と言う大人が少なくなくて、よその国の人から見るととてもキモチワルイのです。そりゃ、たしかにみんな病気になっちゃうよね。だって「ふつう」なんてどこにもないし、「私は私」なんですから。ほかの人と違っているのが当たり前、クローン人間やロボットじゃないんですから。
マジメな人は、その親もマジメで、「どうしてこんなことができないの?」となってしまいますが、自分にとって簡単なことが誰にとっても簡単なわけではなかったり、自分はできているつもりになっているけど実はできていなかったり、ということはいくらもあるのです。
親御さんもお子様も「こんなことができないなんて」ではなく、「できなくったってしかたないじゃない」と自分を赦してみませんか? そして他人も赦してみませんか。赦せる心、それがこれからの人間力です。多様性を認めるというのはそういうことです。
とはいえ、何十年もかかって気づいてきた「マイルール」はすでにアイデンティティの一部になってしまっていて、なかなかそれを放棄したり否定したりというのは難しいですよね。少しでも楽に生きることができるようになったらいいですね、その息苦しさが自分を縛っている何かだとしたら、その武装を一度解いてみてはいかがでしょうか。
そのことにきづけたら、ですけれども。なかなか自分ひとりで気づくことは難しいのです。以外に身近な他人はそのことを良く知っていたりするので、鎧を解いて、一度耳を傾けてみるのもよいかもしれませんね。