考えてみれば、私たちは一番オモシロイ時代を生きたのかもしれませんね。というのはある職人さんの弁。社会人になりたての頃は、嫌と言うほど殴られたそうだ。一日4、50回殴られることもざらだったという。 親方の虫の居所が悪いといって殴られ、ぼやっとしていたと殴られ、気遣いが足りないと殴られた。今でも、芸人の一部にはそういう風習が残っているがそれをパワハラだ、モラハラだ、というのもおかしな話だ。手が出たり口が出たりするのは目をかけている証拠であり、無関心な相手には何も言わない。言うだけ無駄だからだ。 現在の80歳が物心ついたころには、まだ明治初期生まれの人がたくさん生きていたという。「勝海舟は俺の友達だよ」という人がふつうに過ごしていた。現代の僕らからすると、ワンダーランドのような遠い江戸時代とも連続していたのがこの世代なのですね。 80歳以上の方たちは満州事変・太平洋戦争・第二次世界大戦を戦争をさまざまな場所で様々な形で経験し、戦後焼け跡からの復興、近代化、現代化を時間をかけて体験することができた世界でも稀有な世代なんです。 東南アジアなんか見てると、日本が30年以上かかって変化させてきたことを、わずか10年、20年というめまぐるしい時間の中で達成してしまっている。良くも悪くもガラパゴスが好きな国ニッポン(クールジャパンではけっしてない)は、晴れ時々鎖国、みたいなことをしていたので、ヘンテコリンな発明品が国内だけで独自に進化し消えていきました。 たとえば、世界的には携帯電話はモトローラから小型のノキアになり、アイフォンで革命が起き、androidが低廉な価格でシェアを伸ばしているっていう状況だけど、日本はその間にガラケーだったりザウルスだったりポメラだったり不思議なアイテムがいろいろ出ていたのね。 80代の人たちは、移り変わっていく時代や機械、そしてメディアに頑張ってついていっている人もいるんだけれど、ついていけてない人の方が多いでしょう。ことに20年前に子供たちが巣だって年配の夫婦二人だけの暮らしになってしまった、という場合にはサポートがありませんから。 80代でスマートホンはおろかガラケーも使えない、電子レンジも使えない、IHクッキングも使えない。新しいモノについていけないし、ついていかなくとも良いと思い始めている。そういうところから認知症が始まりやすいのです。 80歳は、戦争の時代、食うや食わずの時代、高度成長の時代を生き抜いてきていて、心はいまだ衰えず、という人も少なくはありません。しかし、鏡に映る自分は、そうはいっても老いてきている。一か月昔のように休みなく働けるか、と言われれば無理はきかない。 そして、わけのわからないエレクトロニクスと、聞き覚えのない日本語に取り囲まれ、悄然としてしまう。80歳以上の人と現代をつなぐのは50代60代の人たちの役割であるべきなんです。ところがなんとなく疎外感を感じてしまう。 実際のところ8050問題における高齢ひきこもりニートの問題よりも、60歳以上で、非婚者、離婚、死別などで独居老人化した人たちが社会と絶縁関係になり「引きこもり老人」化するほうが社会問題としては大きいのかもしれません。