ひきこもり脱出のかたちは、仕事をはじめる、に限ったことではありません。仕事の傷が癒えていない場合、何をはじめてよいかわからない場合、そして、自分に自信が持てない場合、親の言いなりになっている場合、自分さがしの旅、というのが第一歩です。

「おいおいいまさらかよ」「いくつだと思ってるんだ」「これ以上遊ぶ金はやれない」という親御さんの意見はもっともです。もっともですが、変われなかったら永遠にそのままです。それでいいんでしょうか? クライエントさんが、ご本人であった場合、私どもは、私どもの費用で、自分探しに協力をいたします。

違う世界を見てみるだけでも全然違います。行動療法というのは非常に役に立つ手法です。(認知行動療法とは全く別物です)

さまざまな行動療法がありますが、まったく空気が違う世界に行くのが一番よいとされています。可能なら文化も違うところ、あるいは、無人のところでなんとか自活して生活してみるというのも、危険ですが、必要かもしれません。

ひきこもりは、頭の中でごちゃごちゃ考えることが多すぎます。ひきこもっているから考えてしまうというところもありますし、他人との接触がないために、自分の世界にひきこもってしまいやすいという状況でもあります。残念ながら、家族は風景としては存在していますが、ほとんどいないのと同じ状況です。また家族の言葉は耳に入りにくいです。

ですから、家族のかたが「いくら言ってもダメなんですよ」当たり前です。最初から聞いていません。家族が自分にとって本当にメリットが提案をしてくれることはまずありえないからです。家族は何かを押しつけてくることがあっても選ばせてくれることはありませんし、選ぶ義務があるともおもっていませんし、なによりひきこもってしまうと自分が傷つくのがとても怖くなります。

ひきこもっている人はとにかく自分が傷つくことが一番のハードルで、他人が自分の言動でどれだけ傷つこうが、そこに思いを馳せることはありません。そういう思考回路が全くありません。

ひきこもりは思考能力が高い人も多く、考えすぎて疲れ果ててしまうこともしばしばです。周りからはただ怠けているようにしか見えませんが、本人は、とてもたいへんな事業に取り組んでいるように考えているのです。そして周りの人は自分のその大変な事業に対してあまりにも理解がなく侮蔑的にさえ感じます。

したがって、ひきこもりの人に対して家族が話をするのを無駄だ、と感じる数倍、ひきこもり側が、家族に自分の意思を伝えることは無駄であると考えているのです。

しかし、ひきこもりの人が、自分の頭の中で何が去来しているかを、家族であれ、第三者にであれ、うまく言語化して伝えることができない、というのもコミュニケーションの壁となっています。長く引きこもっている間に、ステージ50くらいまで思考が昇華してしまっていて、もともと何が悩みだったり、ひきこもりにならざるを得ない発端だったかもよく思いだせない状況だったりするのです。

そんな状態で「過去と他人は変えられない。親は選べない」とわかったふうなことを言われて、せっかくステージ50まで考えていたバベルの塔を踏み潰して先に進もうとする精神科医などは敵にしか見えないことでしょう。

バベルの塔は無駄なのかもしれないですが、そのひきこもりの人にとっては存在価値の塊でもあるので、昔々の話から少しずつ話を伺うことによって、その人がどうして今のようになってしまったのか、を知ることができることもありますし、申し上げているような、自分探しのショック療法によって、急に視界が開ける場合もあります。

それは私のように、さまざまなカウンセリングを行ってきて、社会経験も豊富な人間でしかわからないこともたくさんあるので、残念ながら社会経験が乏しい人たち同士で集まって、いくらカウンセリングのまねごとをしてみても、壁にぶつかってしまったときにそこから先に進めなくなってしまったり、無駄なエネルギーがかかる方向へと舵を切ってしまったりすることにもつながりかねない懸念があります。

もともと「ひきこもり」は「自分を守る」避難体制から起きています。それ以上その状態を続けると自分がなくなってしまう、つぶれてしまう、壊れてしまう、その危険予知だったり、実際に相当壊れてしまった状態で廃人になりかかって隠遁している場合もあります。

そこから多少精神面で回復したとはいっても、なかなか、元のようには戻らないし、元に戻ったとしても、それは20年前の姿に戻ってしまう、浦島太郎状態になってしまうのです。

つまりひきこもりからの脱出、というのは、もう一度自分の力で、「新しい自分を創る」という作業が必要になるのです。これはとても簡単なことではありません。そして大変な労力、精神力を使います。へとへとになります。でも、それができないと、生きる力につながってこないのです。

ひきこもりになった人が取り戻したい姿は、ひきこもる前の自分の幸せだったころの姿です。私どもはそれを取り戻すことに協力はします。しかし、それが終着点ではありません。それが始まりです。ただ起点を作らないと何もすることができません。過去を捨て去って、いきなり何もないところに起点を作ることは、私どもは危険だと考えています。

過去を捨てることはできません。過去は現在の積み重ねだからです。もっと言えば過去は過去の未来の積み重ねであり、未来もいずれ過去になります。過去を見直して、気持ちの整理をしていくことで、今の自分を肯定することができますし、未来に向かっていくこともできます。

過去のない人は現在の自信も持つことができません。未来への自信なんてとても無理な話です。そして自信が持てなければ幸せは絶対にやってきません。常に何かにおびえ、常にナーバスになっていなくてはいけません。そして常に、自分は自分ではないのです。