ときとして他人からみると憎しみ合っているような親子に出くわすことがしばしばあります。SNSでうちの子はどうしようもない、と嘆いているお母さんや、親が理解してくれないことを嘆く子供たちがあふれています。しかし額面通りにとらえてはいけません。この親子は、関心がありすぎるのです。無関心に、どうとでもなれ、と思っていれば、憎まれ口をたたくこともなく、SNSで赤の他人に恥をさらすこともしません。関心がありすぎて、しかも他人に助けを求めたい気持ちがほんのわずかにあるのです。

非常に不幸なことには、こうした親子は「相手の立場にたって考える」ということが全くできなくなっていることです。相手の立場にたってもなにも、生まれてきた世代が違いすぎますあkら。しかし、相互理解がないため、理解できない→ありえない→憎い、という連鎖反応を起こしてしまうのです。SNSが怖いのは、自分が殿様でいられる世界がある、ということです。親子が互いに自分が殿様になれる環境に閉じこもってしまったならば、一生わかりあうことができないでしょう。

解決のためには広く世界を見ることが重要なのですが、余裕資金がないことを理由に拒む人も多く、テレビやインターネットでいろいろな世界を知ることができるのに「自分は殿様」になってしまうと、自分が取捨選択した情報しか見なくなってしまう、その上、今のインターネットのレコメンド(おすすめ)システムではその人の嗜好に合うようなものが次々出てくる仕掛けになっているため、もはや検索すらしない人たちが増えています。

いっけん憎しみあっているように見える親子の方が、互いに対する関心が高いだけ、まだ救いがあると言えます。「うちの子の考えていることがわからない。全く理解できない」というケースの場合はとっかかりがつかめないため、私どもが介入する場合でも、かなり慎重にならざるを得ないところがあります。表面は良いけれども、何を考えているかわからない、という場合にとんでもない思想に侵されている場合があって、なかなか見抜けないということもあるのです。

ある環境で育った人は、多重人格者のようにいろいろな顔を使い分けるのが当然だったりもします。なぜなら、その環境ではみながそういうことをしているからです。最近はそういう所作が一般的になりすぎてしまって、むしろ裏も表もない人の方がすくなくなっているような気すらします。