2012年危機、という言葉を覚えておられるだろうか? 団塊世代が引退する年代、2012年には社会のレベルが維持できなくなるのではないか? と10年以上前に叫ばれた危機のことを言います。実際に、この15年で日本社会(に限らないが、世界中)が大きく変容する中で、日本社会は、なんとなくガワというか器だとか入れ物とかはそのままに見えるけれども、中身がグズグズになってしまいました。ただ、そのことにほとんどの人は「茹で蛙」状態になっていて気づくことはありません。

消費の中心はマイルドヤンキーになりました。なんだそれ? はい、存在していません。マイルドヤンキーというマーケティング用語だけが独り歩きし、実態がない消費ターゲットに向かって情報発信し、物を作っているので、物がほとんど売れなくなってしまいました。マーケティングの大きな失敗は2000年代中盤に現れた「富裕層マーケティング」に端を発します。実際には富裕層はどこにもいなかった。正確には中国には7000万人のビリオネアがいるということになっているけれども、日本の富裕層はケチだった、のです。

高額な商品は堅実な人たちが、かなり背伸びをして買うもので、日本は嫉妬と差別の文化なので、たとえばベンツを乗り回してルイヴィトンやシャネルに身を包んで、というようなことは、バブル時代には大学生や中学生までがそんな状態になりましたが、今は浮くし、はじかれるし、またブランド品が必ずしも上質ではない、流行に過ぎないことがバレてしまって、アップル社の製品を除くほとんどのブランドが敵視されるようになってしまいました。

マイルドヤンキーという言葉の浮ついた印象と中身は別で、実際にはどこにでもいる普通の人たち、というのがその実態です。競争の激しい国ですと、「普通の人」というのは悪いイメージの言葉ですが、同調圧力が好きな日本人は普通の人というのはとても安心できて落ち着くキーワードです。困ったことに、エリートや、賢い人、立派な人、素晴らしい人がたくさんいなければいけないような、あるいはいると思われている世界でもマイルドヤンキー化現象が止まらないことです。

たとえば、教員とかですね。宮台真司が髪の毛を染めて、ルーズソックス文化を批評したあたりから、大学の先生も落ちたなー、という感じに見えてしまいましたが、非常勤講師の時給が、中学受験の家庭教師よりも低いという現実を目の当たりにすれば致し方ないのかな、と思わざるを得ません。「正しいこと」がすっかり失われ、真面目にやる人が馬鹿を見る、ということが普通の人々の常識になってしまった今、この入れ物がいつガラガラと崩れ、その時にどれだけのリアクションが起きるのか、想像もつきません。

人口平均が50歳を超えたこの国では、高齢者と若者の分断が起きてしまう日が来てしまうのでしょうか?