みんな大好きウィキペディアに、ある調査によれば、引きこもりの8割が精神疾患だった、という記述が載っています。こういう記述が独り歩きすると、引きこもりの子供に精神科や心療内科を受診させようという家族が出てくるのは仕方ないことかもしれませんが、それで一件落着、にはなりません。

引きこもりは精神疾患である、という人がいたとしたら、デマに踊らされているだけ、と考えてよいでしょう。あるいはその人自身がそうした利権の当事者であったりもします。

この調査は精神科の機関が来所者に対して行ったものですから、整形外科に来た人の8割はレントゲン診断を受けた、という調査結果があるとして、それとほとんどかわるものではありません。

精神疾患と引きこもりの因果関係のエビデンスはありませんし、精神疾患が治れば引きこもりから脱出できるというものでもありません。

マジメで責任感が強い人はうつ病になりやすい、というのは世界的に知られている話ですが、そのデマのせいで不真面目な人が会社の経営層にはびこったため、日本の産業が没落したのかもしれません。

経営トップや個人営業の人は楽観的でないと潰れてしまいますし従業員たちも悲観的なトップの下では参ってしまいますが、会社の要の部分にはともすると悲観的に見られがちな慎重でマジメで約束も守る、義理堅く頼りになる人が絶対に必要です。

ところが、日本の経営層には、そうした立派なカリスマ性のある人が本当に見当たりません。たまにいるな、と思うと外資系であったり、非常にスピード感を持って会社を大きくすることに成功した人であったりします。

ただ、日本企業に必要なのは、絶対的な支配者ではないのです。ワンマンで周りを服従させ、イケイケドンドンで成功する時代もありました。今は違います。

なぜか、というと、まあ、とにかく国会とかテレビとか見てみてくださいよ。テレビは照明が強いですしまずいシーンは映しませんが、国会の予算委員会なんか、Fラン大学の単調な講義なのか、というぐらいみんな突っ伏して昼寝していたりしますよね。

まあ、誰だって眠りますが。国会の質疑応答はすべて台本が官僚によって用意されていますから。事前に質問を通告しないといけないことになっていて、官僚は徹夜してでもその回答を用意するのですね。

ですから、国会議員が読んでいるのは、官僚が作った文書でありこの国の官僚組織は基本的に前例踏襲を行い、世界が覆るような内容が出てくることはないし、答えも事前に配布されているのです。

ですから、リハーサルこそありませんが(人によってはやるかもしれませんが)中学校の先生が教育指導要領という教科書のアンチョコを読みながら授業をやっているのと同じことでどうしても眠くなってしまうのです。

ほぼ唯一、事前通告なしで質問を行うのが日本共産党という、共産主義の看板を掲げながら日本で一番リベラルだと若者に誤解されているPartyです。

ですから、国会中継がいくら生放送といってもドラマはほとんど生まれないのですね。しかもそれは国会に限らず、村役場や大きな会社だと思っている人たちの会合すべてがそんな感じです。

実際のこの国の指導者は誰なのか? 本当にわかりません。建前は首相です。しかし、首相が自由意思でできること、というのは誰かと数時間会ってプレッシャーをかけること、くらいでしょう。

首相経験者という重鎮が国会の中には何人もいますし、首相を子供のころからかわいがってきた、というような人もいます。さまざまな団体に重しになるような人がいて、その中でうまく泳がなければいけません。

なにより官僚、すなわち国家公務員の中にある空気、を敵に回すことはできません。国会は立法府ですが、内閣総理大臣および内閣は行政の長なので、行政の手足になる人たちが言われなくても進んでいる方向性を妨害することはできません(付け足すことはできます)。

つまり、どこの会社であっても、ある程度社会的に認知された圧両団体となると、関係当局をはじめとするさまざまな組織のさまざまな性格を持った人たちと仲良く仕事ができる、ということが資質として求められるのです。

昭和バブル時代から、平成も三十年代までは、「仲良し商売」でなんとかなっていました。代理店さんのXXXX握れば負けない、とこの時代の営業マンは思っていたのですね。

ところが、時代は御存知の通りです。B2BからB2Cになりました。代理店が機能しなくなりつつあるのです。どの会社も商材をダイレクトにエンドユーザーである一般消費者に販売することができるようになりました。

確かにまだまだ量販店、スーパーというようなところはある程度機能しています。しかし、薄利多売に疲れ切っていますし、次から次に出てくるたくさんの商品を把握することも難しく説明をすることもなかなかできません。

その一方で新興勢力は、既存勢力、大手と言われた会社の半額ぐらいの値段で商品を納入してくるようになったのです。Webを無視できる時代はもう終わり、Webとリアル店舗、クリック&モルタルと呼ばれますが、モルタルチームは頑張らないといけなくなってしまったのです。

ところが、値段でしか頑張ってこなかった人たちというのもいて全体に営業品質が落ちている一方、お客様は、とみると、給料が上がらないか、年齢の割に低いけれども生活必需品を買わないといけない、ということで価格要求が強くなっています。

現代の営業手法には主に二つのトリックが用いられていましたが、その神通力が切れてきた、というより、当たり前の話ですが、初めてそのトリックを見る人は騙されるけど、生まれた時からそれが当たり前だった人は騙されない、という現象が起きています。

たとえば、これはトリックではなく「詐欺」ですが、「閉店商法」というのは本当に昔からある商売です。関西人が発明したという説もありますが、海外でもっと前からあったのかもしれません。

マーケティングの定跡は「期限を切る」「価格を変動させる」「数量を限る」「特別感を演出する」「必然性を演出する」などであり、要は「今日買わないと後悔するかもしれない」と心理的に追い込む方法なんですね。

「期限」は、よく「決算セール、3月21日まで」というようなものです。本当の決算は決算日までに棚卸をしないといけませんから、本当に少し前倒しになります。

ただ、実際はあと10日ありますから、「好評につき特別延長、ギリギリセール」とかやることで、どんどん追い込んでいくのですが、それを毎日やるのが「閉店セール」です。

もちろん「閉店セール」商売は既製品でのぼりやポスターが用意されるようになりましたから、「完全閉店セール」とか「閉店セール第三弾」とか、よくわけのわからないものが発明されました。

これらは、景品表示法違反ということになるのですが、小さな商店が片隅の街でやっているぶんには国の機関が動くということはありませんので、今もあちらこちらで安心して閉店セールは行われています。

そんな状態ですから、閉店セールに足を止めるのは高齢者だけというさびしい状況です。「売り尽くし」と書いてあっても翌日にはどんどん商品が搬入されるという辛酸をなめていると、もう若い人の目にはとまらなくなります。

二つの大きなトリックの一つ目は、剃刀のジレットが発明し、日本では富士通とソフトバンクとキヤノンによって広められた二段階販売方式です。

今でもジレットの剃刀は五枚刃のグリップに替刃が一つくらい入っているのが、600円くらいで販売されています。ところが替刃だけ買おうとすると八個で3000円くらいしてビックラポンとなります。

そんなはずはないのです。もともと安全カミソリなどというものは薄刃一枚だったのです。今は百円ショップで二枚刃のものが五個百円くらいで売られていますが、二枚刃になった時に大発明のように言われたのです。

それが三枚になり五枚になり、ガードがついたりワックスがついたり、ヘッドがくにゃくにゃが曲がったりして、ということがあったにせよ、替刃だけで一個400円なんて! というのが、レーザー&ブレードモデルです。

富士通は一円入札ということをやって話題をさらいました。新しいコンピュータシステム、当時数千万円とか数億円とかするようなものを1円で入札したのです。

当時はコンピュータごとに癖がありましたから、今のようにウィンドウズばかり、というような状態ではなかったので、一度コンピュータを入れてしまえば、あとはソフトウエア制作の注文をガバガバ取れる、ということで顰蹙をかいました。

その後はソフトバンクです。日本に高速インターネットを広めるということで、モデムというお弁当箱のようなもの(今は小さな基盤になってどのコンピュータにも入っています)を無料で配布するということをしたのです。

私が初めてモデムを買ったのは5万円くらいしましたから、5万円がタダで配られているということで驚いたものです。またキヤノンはプリンター本体が8000円なのにインクが5000円ということを長期間やり続けています。

これらはマーケティング的には正解なのかもしれませんが、物を大事に使いたい、という年配の人たちには顧客離反を招くようなことで、日本人の心には合わないと思えました。

今、消滅の危機にあるレンタルビデオのビジネスモデルも、途中からこのパターンになりました。もともと販売用ビデオは15000円するため、初期のビデオレンタルは一本一回3000円だったのですが、それが高額な延滞料が利益の源泉というモデルに変わりました。

こういう矛盾の中で生きることはストレスになり、精神を病む人が増えたのもそういう理不尽さに取り囲まれたから、ということも間違いなくあります。

もう一つのマーケティング手法はチリツモマーケティングです。ちりも積もれば山となる、といいますが、金融機関が自分のお金を引き出すのになぜか100円とか200円のお金を取るのが常識になった頃から日本人はお金にルーズになりました。

100円の手数料を取ること自体がありえない話なのに、そこに消費税がついて103円ということで、正当な対価のような印象を与えてしまったのです。

かなり多くの企業が消費税が初めて導入された時には利益を削って商品の値段を買えないように頑張ったのに、銀行は、もともと取ってはいけないはずのお金をさも当然のように取り始めた上、消費税も企業努力などすることなく当たり前のように転嫁したのです。

ところが、すっかり道理の通らないことに怒るということができなくなってしまった日本人は全く怒ることもなく、これを受け入れてしまったのです。

それまではチップの習慣もない国でしたから、1円でも安い卵を探すために、自転車であちらこちらのスーパーを駆け回る、というのが東京の人、値引き交渉するのが関西人(こちらのほうが世界標準)でした。

そして、ちょっとしたサービスに対して100円とか300円というお金を取り出すようになったのです。一日10円だったら、まあいいか、という弱い心につけこむ作戦です。

それが今日では、各家庭で月数万円の使途不明金が発生するようになってしまいました。300円は年間3600円で、2年で7200円、4年で税込で1万5000円もの金額になり、最新型のスマートホンや中型モニターを買えるような料金です。

この毎月数百円というのが、お金に色がついていないため、なんの会費なのか、割賦費用なのかわからず、いつの間にか毎月何百億と使わないサービスや使うことができないサービスに巻き上げられていて、一人として裁判に訴えないという国が日本です。

割賦費用の場合は、月額1650円支払うべきところ購入サポート費1400円がつくので月額250円でいいですよー、でも、何年以内に中止すると違約金3万円ですよ、とか、やってることがぼったくりバーと変わりません。

一般消費者にとても得したように見せることができる、二段階販売方式、割賦販売方式、さらにはなんちゃってキャッシュバックキャンペーンや当選詐欺、閉店詐欺、SF商法などさまざまな禁じ手を発明しさえすれば、あるいは海外から盗めば、日本の司法や警察はバカだからなかなか気づかないだろう、という風潮が蔓延してしまいました。

携帯電話の電話機そのものはポータブルになりたてのころは8万円で販売されていたのですけれども、それから今に至るまで、だいたい8万円なんですが、見かけにいろんなキャンペーンを見せることでいつの間にか、二年間で総額30万円ぐらい払ってしまったりするように暗示にかけることに成功しました。

結局、代理店や特定の営業の才能のある販売員が接待を施されて、というとても原始的な方法はほとんど消えていきました。現在、職を失って引きこもっている中高年にそういう人は少なくありません。

彼らは精神疾患でしょうか? 燃え尽き症候群みたいなことを言う人はいます。そういう言い方もできますが、商売のやり方が変わってしまったことで居場所がなくなってしまったのです。

2005年頃には、「これからはモノを売るのではなく、コトを売りましょう。豊かな経験、楽しい体験やcommunicationの対価としてお金をいただきましょう。すべての営業マンはサービス業です」と意識変革が行われたのですが、リーマンショックの波とともに、一気にデリバティブ的なインチキビジネスが日本を覆い尽くしてしまった印象があります。

実際の多くの高齢引きこもりはきっかけは精神疾患だったとしても、休養しているうちに世の中や人間関係のあり方が変わってしまって、出歩くと(たとえ就職の面接だとしても)お金がかかってしまうので、引きこもらざるを得なくなっている、というのが正直なところです。

特に、実家が都心にないと、本当に中高年が継続的に仕事をすることは難しく、働きに都心に出ても交通費が支給されなかったりするために実収入が本当に少ない、という現実もあります。なかなか典型的な8050というのはないのです。