正直、引きこもりくらい楽な状態はありません。全部自分のすきなようにでき、すべての時間を自分だけのために使うことができます。不快感も劣等感も必要ありません。一人で暮らすことに慣れてしまうと、他人とコミュニケーションすることがとてもおっくうになります。言葉を選んだり、気をつかうのも面倒です。

しかし、人間はさまざまな人と出会い、コミュニケーションを取ることで、幸福度が10倍にも100倍にもなる生き物です。そしてそもそも人は一人では生きてはいけません。食べるもの、着るもの、エンタテインメント。ほとんどのものが他人によってつくられたものか、他人の発明のおかげで楽しめているものです。

その一方で、「引きこもり状態」にある人、物理的に引きこもるのではなく、他人に心を閉ざす人、自分の心は理解してもらえないと思い込んでしまっている人、なにより過去に「失敗経験」「挫折経験」「不快な経験」があったことにより、自分を本当に理解してくれる人以外の人と交わるのは損でしかない、という結論に達している人が、その人たちが思っている以上にとてつもなく多くいます。

ひょっとすると日本人の過半数はそういう人なのかもしれません。「私は友達がとても少なくて」という言葉は謙遜して言っているようにも聞こえますが、嫌になるほど聞きます。「私は自分に自信がないじゃないですか」と話しかけてくる人もいます。知らないよそんなこと。他人に話しかけられる時点で相当自信があるほうだと思いますけども。

良い出会いも悪い出会いもあって、圧倒的に悪い出会いの方が多いのでめげてしまうこともありますが、その実、ほとんどの人は良い出会いを求めているものです。よほど相性が良い、1万人に1人の人以外は、常に一緒にいて楽しい、というようなことにはなりません。お互いにお互いを認めつつ、適切な距離感で適切に仲良くすることで、自分の知らない自分にであったり、発見したり、自分の才能を見出してもらったりすることができます。

そういう才能はあなたにもあるかもしれません。あるいは別の才能があるかもしれません。指揮官だけでは世の中はまとまらず、いろんなタイプの人が適切に組み合わさることで社会を構成しています。話好きな人もいれば話を聞くのが好きな人もいます。でも世の中には話好きな人の方が多いですから、話をするのが苦手な人は、話を聞くのが好きなふりをすることで好感度を持たれます。

日本は不思議な社会で、できないことを、「得意でないので」という言い方をすると、本当はできるのに遠慮しているさわやかな人という評判が立ちます。「やりかた教えてもらえたらやりますよ」という人は優しい人、ということになります。いっぽうでただ黙って何もしない人、もじゃまにならないようにしていれば、そんなに批判されることはありません。そういう意味では日本はやわらかな世界です。

世界でもめずらしいやわらかな世界でおとなしい人も多いですし、おせっかいで人助けする人も少なくないのに、引きこもりが世界で一番多いというのはどういうことなのか? なんでもかんでもやたらネガティブなのはなぜなのか? ちょっと不思議な現象ですね。