最近の大卒の生涯年収は2.5億が平均だそうだ。明らかに嘘だ。昭和40年代には大卒生涯年収は3億と言われていた。しかし、バブル景気により、ボーナスが乱発され、格差はあったが格差の割と上のほうであれば、地方からの集団就職で子供を二人大学出して、数千万円の持ち家も持てて、五千万円くらいの退職金が出て、という状態であり、今の物価に治せば5億円から6億円稼げていたようだ。

問題は大卒かどうか、とか学歴がどうか、ではなく、新卒で高給で恒久的な就職があるか、それとも低廉にならざるを得ない職業につき、数年ごとに転職しなければいけない状態か、ということではないのか?

バブルの頃の日本はメーカーが強かったとされる。家電メーカーだけで10社以上、自動車メーカーも現在とほぼ同数あった。機械メーカーも多かったし、造船業もまだ健在だった。

メーカーは、原価率1割とか2割で商売していた時期でもあった。世の中のハードウェアは異常に高く、それでも成立していた時代があって、つまりその頃は日本は貧しかったのだが、その後、その原価のまま飛ぶように物が売れた、人口爆発期があったため、企業は多大の内部留保も行えたし、社員に還元することもできた。

大家族化で乗り切る時代がやってきた

しかし、平成の時代は少子高齢化が進み労働人口が減り、ついに人口も減りだしたし、そろそろ世帯数も減ると言われている。(世帯数は独身家庭が増えれば増えるほど増えることになるが、可処分所得は減り景気の落ち込みが激しくなる)。

そして、メーカーを含めほとんどの業種がサービス業になってしまった。物販も流通もサービス業だ。純粋なサービス業は設備はあるものの人が資本だが、物販・流通サービス業は、仕入れ原価が重石として乗っかる。

景気後退局面と機械化、AI化が進むことにより、人間の存在価値はそうとうな熟練工で300万円、単純労働で200万円という価値しかなくなってしまった。それ以上であるならば、機械化して自動化したほうが安いのだ。

すると、今後社会に出る人たちというのは、年収200万円が永遠に続く世界しか体験できなくなってしまう。仮に政府が言うように50年働くとしても、それでようやっと1億円に過ぎない。

それで暮らしていけるとでも思っているのだろうか? 独立できると思っているのだろうか? あるいは独立したほうがいいと思っているのだろうか。そろそろ日本人は意識を改め、核家族から大家族主義に転換すべきだと思うのだが。