師走になりました。8050問題は今年のキーワードにノミネートされているのでしょうか?

姿を消した師走の一家心中

師走、といえば、昭和の時代は一家心中というのが話題になる月でもありました。1月になると餅をのどにつまらせて死ぬ老人、2月には凍死というのもまだ聞く時代でした。

なぜ12月にか、と言えば、まだ、掛取りの習慣が一部に残っていたのでしょうか? 12月決算という会社も少なくありませんでしたし(ちなみに弊社もそうです)、12月に資金繰りに行き詰まるという例が多かったのでしょう。

一家心中というのは本当に悲惨です。悲惨にならないように気を配り、例えば子どもたちを地方の田舎に旅行させている間に、店を経営していた夫婦が心中するというケースもありましたが、子どもたちを無理やり刃物や紐で殺した上で、自分たちも死ぬ。そして死にきれなかったというやるせない話もたくさんありました。

世の中がどんどん優しくなって、自分の子どもであっても殺してはいけないよ、というリテラシーは、しかし、まだ通用していない人たちも少しだけ残っているようです。だからして今年そうした悲惨な事件が起きてしまったわけですから。

おおよそ8050問題の当事者の特にお子さんは人権が蹂躙されている日々であることが多いです。多くは親御さんの過保護過干渉、あるいはマルトリートメントという、人格を認めない扱い、そしてネグレクトなどです。

子どもたちがひきこもってしまうのはそうした過保護過干渉に嫌気がさしたため、という場合も少なくありませんが、親たちが反省することはなく、より被害は深刻化します。

一家心中が減ったのは喜ぶべき

それでも一家心中が減ったのは喜ぶべきことです。頼れる人がいなかったとしても役所に相談することで公的扶助を一時的に受けることができたり、無茶な返済を迫られることが少なくなったのも大きな変化です。

いくら8050問題が緩やかな一家心中であり、結局一家が幸せにならないまま死に絶えてしまうといっても、まだ救われるチャンスが増えるわけですから、救おうという私達のような人もいれば、自分で自分を助けようと頑張る人もいるので、それは素直に喜ぶべきことです。

まして、一家心中の現場に立ち会った悲惨な経験を持ったならば、それがいかに辛く、理不尽であるか。他人に迷惑をかけたくない、というエゴで一家心中を企てるワンマンな家長のために、どれだけ多くの人たちが迷惑をこうむることになるのか。

きれいな死に方とか、気持ちいい死に方、というのは、今のところ日本では確立されていません。そうするのも急務なんですけれども。20年後には50歳以上とそれ未満の数がほぼイコールになるのだそうで。「生きていても楽しくない」という人の数は間違いなく増えるでしょう。そういう人が周りじゅうにいたならば楽しい世の中なぞなくなってしまいます。

ですから、早く安楽死の方法や、きれいに死ねる、片付くことができるような仕組みができるといいな、とも思います。70歳以上になったら、誰でも自由に自分の寿命が決められるような法律でもできないかしら。