ちょっと過激なタイトルをつけてしまいました。私どもも専門家とうたっており、それだけの学習、研修、体験、経験、自負を持って臨んでいるので「お前達はどうなんだ?」「どうやって見分けたらいいんだ?」とも言われるであろうことを覚悟して今日はお話をします。

私どもの母体は「現代問題研究所」でございまして、さまざまな社会問題を取り扱っています。その様々な社会問題で大きなネックとなっている、というより社会問題を作り出してしまっているのが「専門家が圧倒的に足りない」「専門家でない人たちが専門家の看板を掲げてしまっている」ということなのです。

直近では、児童相談所の問題がありました。児童相談所が事案に踏み込む事ができていれば、幼い命を救う事ができたのではないか、という、非常に無責任な責任転嫁とも思える話題です。

職場では勤勉であった、という評判がある一方で、近所の人はある程度家族間でのトラブルが前々からあったことに気づいていた、という報道があります。その気づいていた人たちには責任はないのでしょうか? 児童相談所に責任があるかのように言うのは少しおかしな話です。そして児童相談所の人を増員する、と政府が決めたかのような話も本質的になんの解決にもならないでしょう。

児童相談所や精神保健福祉センター、さらには、さまざまな厚労省の現業部門にいる人たちのほとんどは、ただの公務員なのですよ。たまたまそこに配置されただけであり、多くはスペシャリストでもなんでもなく、少々研修を受けただけでOJTという名の「いきなり現場で叩き上げ」に巻き込まれただけの人たちです。

先週は暴力教師のニュースもありましたが、教員などはそうした現業公務員の最たるものであって、大学を卒業するやいなや、いきなりスーパーマンになることを強要され、もがき苦しみ、過酷な長時間労働の末にうつ病になる人たちが続出している悲惨な現場がいくつもあります。

私自身が子供自分に苛烈ないじめにあっておりましたし、その反動で一時は教員免許を取ったり、教壇に立っていた時期もあります。またさまざまな福祉施設や厚労省・文科省関係の施設の現業の方の生の声を聞いていたりもします。また命を守る仕事をしていて、力づくで死のうとする人をとめたことも、ケアしながら立ち直るのを見守ったこともあります。

しかし、多くの学校の先生はそうではありません。たとえば教えるのが下手な先生、というのは限りなくいます。どうしようもないのです。本来、授業準備というのは手間がかかるもので、1コマの授業のためには5時間ぐらい、教科書が変わる度に準備をしなくては成立しないのですが、その時間が全くとれないのです。

先生の仕事というのは多岐に渡りますが、大きくは生徒のケアと、親のケア、そして学校の運営つまり職場の仕事と人間関係ということになるのですが、どんどん生徒のケアに充てられる時間が相対的に減っており、いわゆるモンペ、と呼ばれるモンスターペアレントをはじめとする親や学校行事の運営などに大変に時間を割かれてしまうのです。

その一方で生徒のケア、つまり部活の指導で土日も祝日も長期休暇もなく(はるか昔の時代に先生をやっていた人たちは夏休みをエンジョイできたようなのですが)タダ働きか、限りなくタダ働きに近い上に、感謝されることはほとんどなく、生徒がたまたま事故に遭おうものなら親からつるし上げにあるような状況です。

学校の先生は、ある時は先生であり、裁判官であり、警察官であり、救急救命しであり、消防士であり、カウンセラーであり、学者であり、プレゼンテーターであり役者であり・・・ですが、そうしたことについての専門的な教育はほとんど受けていません。独学でさまざまなことを学ぶ先生もいるにはいますが、体系的に軍隊の教練のように教わっているわけではないのです。

大学での教職課程の授業ではそういうことはほぼ全く教わらないのです。私の通っていた大学は教員になる人が少ない学校で、朝一番と夜の授業を選択しないといけないというものでした。教育大学と名前がつくところならば違うのかもしれませんが、ほとんど非常勤講師の方がやる気のない授業を受け持っていました。

非常勤講師は今も昔もたいして変わりませんが、一コマ5000円前後なのですね。交通費やコピー代なども込みで。とても生活ができるレベルでもありません。新しい研究書も買えませんし、高い研修を受ける事もありません。ダメダメな人たちがダメダメな人たちを育てて、筆記試験重視で学校に送り込んでいるのです。

申し訳ないけれども、日本語もまともにつかえないような人でも先生になってしまっている。子供の人格を尊重できないような人も少なくありません。そもそも先生自身が人格を尊重されていませんから。もう学校教育現場は例外はあるにせよ「専門家」に乏しい環境なのです。

専門家神話は原発爆発、安全神話とともに吹き飛んだはずなのですが、まだ専門家の中身を疑わない人たちが多いこの国では、本当の専門家を見つけるのは多難です。ひどいことに政府が音頭をとって、「はーい! 今日からこの人が専門家でーす」と現場に送り込んでいるのです。まるで太平洋戦争末期の日本軍のようです。

「弁護士」「税理士」「行政書士」「フィナンシャルプランナー」「医師」「経済学者」までが何も専門的な勉強をしないでいながら、専門家の看板を掲げ、顧客から高額な金銭を巻き上げ、ウソを教えている、そんな状況です。

総理大臣が日本のことを考えていないというのは昔から言われていたことですが人間が間違いなく減少していき、経済活動もシュリンクしていき、全てが衰退して行く中で、グランドデザインを描く事ができない。これは首相のみならず、すべての会社や団体のすべての組織の長がそんな状況ではないでしょうか?

専門家を専門家と自称するだけで信じてはいけない。自分の目で見極めましょう、ということと、人対人の相性というものがどうしてもあります。完璧な人間は私どもを含めてどこにもいません。人間にはどこかしら欠陥があるものです。ですから、ドクターショッピングと言われても最低10人くらいは「まともらしい」専門家にぶつかるまで粘ってみてください。お願いします。