さて、突然ですが、質問です。皆様の家庭に「お殿様」はいらっしゃいますか? あるいは「お姫様」や「暴君」のような振る舞いをするかたはいらっしゃいませんか?

「8050問題」の一類型

8050問題や引きこもり問題、さらにはご家庭の問題は、とても数が多く、ほぼ把握が困難なぐらいあり、しかも問題が日常化しているために顕在化しにくい、つまり目に見えにくいためどのくらいの家庭で問題が起きているのか、というのを推し量るのは不可能に近い状況にあります。

目に見えるとしたら、他人が家に入ってきた場合に限られますが、そうですね、日本の家から「客間」というものがなくなって随分になります。私どもですら、家の中に招き入れられることはなかなか少なくなっています(逆にいきなり来てもらいたい、とか、無茶な、途方もないお願いをされることも度々あります)。

しかし、熟練したセールスマンは家の中に入ることなく、家の周りを一周するだけでも、その家のだいたいの家族構成や、その力関係まで把握できてしまいます。

家庭は社会の最小単位なのですが

本来、家庭などというのも、小さな社会なのですから、互いに少しずつ譲り合ったり我慢し合ったり努力して、家族みんなで幸せを目指すという姿が美しい姿なのでしょうが、日本において、そういう時代というのは本当にあったのでしょうか?

先の戦争までは「家長」とか「嫡男」という言葉が生きていて、家を継ぐ長男を産むことが重要視されておりましたし、その傾向はその時代に生きていた人が未だに持っている感覚かもしれません。

しかしながら、長男は家長として家を継ぐために、よく言えば帝王学なり英才教育、キツイ言葉でいうと、厳しい躾という名のマルトリートメント、もしくは虐待、鉄拳制裁、などは珍しくありませんでした。

いっぽうそれ以外の子どもたちは良く言えば、自主性を重んじた教育、悪く言えば放任であったり、マルトリートメントであったり、ということが行われました。

日本の家庭の8割は女王さまの時代

平成の30年間を見ても、あるいは、1999年からの20年間を見ても、驚くほど日本の中の価値観は変わってしまいましたし、今後も大変な勢いで変わろうとしていたり、変わらざるを得ない状況です。

自分の子どもをどのように育てていいのかわからないお母さんがたくさんいるんですよ、などと言い始めたのはだいぶ前ですが、それは良い傾向だと思います。社会の変化に気づかず、昔の暴力教育をするよりは。

そのいっぽう、平成の路面店セールスマンの合言葉は「財布は奥さんが握っているから奥さんに気に入られろ」でした。日本においては世界情勢や貿易摩擦云々より家計をコントロールしている人が帝王だったのです。

さだまさしが「関白宣言」という歌で大ヒットを飛ばしたのは、「こんなことを言ってみたいな、言えないけれど」でありましたし、「およげたいやきくん」がヒットしたのは、生きがいが見つけられなくて困惑している亭主たちが多かったからなのでしょう。

亭主元気で留守がいい

亭主元気で留守がいい、という言葉も、専業主婦が当たり前だったころの戯れ言葉です。本当に男性に抑圧されている社会があったのならば、こんな軽口は出てきたとしても流行語にはならないものです。

陰口が当たり前のように使われ、男性が卑下し、女性が威張っているのが当たり前の時代がずいぶん続きました。「オバタリアン」と揶揄されながらも、平均的な四人家族で働いているのは旦那だけ、という余裕のある家庭が多かったですし、日本ものんきにしていられました。

たとえば、海外での出来事などは、本当に遠い世界の出来事であり、一般の人には関係もないし、関係したくない、という選択肢をほとんどの人がとることができました。今はそうはいきません。

それでもまだまだ日本の中でも大きな温度差があります。ただ、「年金は現役世代の半分」という幻想は消えてしまったし、日本の常識も世界の常識も変わってしまったのに、まだ昔の「古い解決法」にしがみつく人、パニックになる人、行動は様々ですが、一言でいうと「幼稚な大人の集まっている国」になってしまいました。

大人になりましょう

幼児番組から7時のゴールデンアワーあるいはプライムタイムに昇格した番組「ウゴウゴルーガ」CDの締めくくりの言葉「大人になりましょう」。おしめが外れた小学生から、そろそろおしめをしめないといけない老年? 壮年? 熟年? ディープシニア世代にも、毎日5回くらいあらゆるところで言ってもらいたい標語です。

「大人といっても、おっさんやおばさんではなく、自分の問題は、自分で解決できる、それが大人です」。そう。残念ながら今の日本は自分の問題を自分で解決できないか、できなくなりつつある、あるいは実はもうとっくにできていない、あるいは一生やってこなかった、これからおしめをつける人たちであふれかえってしまったのです。

これは公益法人を作って、国や地方公共団体に寄付を募って、お金をばらまいたり、いろんな教育訓練施設を作ったりして解決するような問題では全くありません。私達一人ひとりが大人にならないといけないのです。

王様は裸だ!

もう一度お殿様の話に戻ります。多くの家庭では、「専業主婦」という「ゴールデンロード」をいったんは勝ち得て、交際期間には「理想の女性」を演じ続けていた女性が一転、もしくは徐々に「王座に君臨する女帝」に脱皮します。

平成初期には離婚率が急増しました。これは男が奴隷になることを拒んだこと、あるいは「ぶっちゃけ」という言葉とともに、「恥ずかしい自分の秘密」をオープンにする風潮が広まったためで、このこと自体は当然のことです。

ところが、日本社会としてはこの事態に対応できていません。8050問題で多く見られるパターンに、実はすでに引きこもりのこどもが「王様」「お殿様」になっていて、両親が一生懸命世間体を取り繕っているというケースでは誰も何も動けません。

ことに両親が古い価値観で生きていたり、あるいは、全員が社会性を持っていない場合もあって(会社に40年努めていても社会性の一片も身につけていない人をたくさんみてきました)、ひどい場合には、ひきこもりどころか「地下牢に幽閉」とか「監禁」に近い状態もあります。

しかし、実際には、その家から出るゴミ、配送業者の人、電気ガス水道などのインフラ関係の検針の人たちなどには、どこの家に何人人が済んでいるはずだ、というのはバレているのです。ただ言わないだけです。

まず親が働きましょう

ひきこもり親の会などで、よく「まずは親御さんが社会生活を楽しんでください」とよく言います。これは2つの意味があります。本当に大事なことは親御さんが社会性を身につけること、次に大事なのが、「社会で生きるって楽しいんだ」という姿を子どもに見せることなんですね。

ところが、現実は、かなりお寒い状況です。親御さん自身は、何十年もぬるま湯の中でうまく世渡りしてきたつもりでいますから、自分たちが世間の常識といかに外れているか、気がつけないんですね。

前期高齢者などはまだ体力もありますから、殴りかかられてはたまらないので、誰も「触らぬ神にたたりなし」で忠告もしてくれません。後期高齢者であれば、もう、「いまさら変わるわけないしね」「下手に波風立てても」です。

もう見た目年齢50歳くらいから、他人からなにか教わる、とか注意されるということがなくなります。それでいいのか、といえば、もちろんそんなことはないわけで。

最悪のパターンは、夫婦で家に帰って、子どもに向かってかわりばんこに「世間の奴らは駄目なヤツばっかりだ」「どうしようもない」「怖い」「ちっとも面白くない」「詐欺師ばかりだ」とこぼすような場合です。

長い間、社会と接していない人にとって、親という怖いけれども身近な存在から聞く社会がそんな恐ろしいところでは、親の言うなりになるか、あるいは親を力でねじ伏せて、できるだけ隠遁生活を送ろうとする方向性しか道が見えなくなってしまいます。

もう王様はいりません。お殿様もいりません。大人になりましょう。あなたを受け入れてくれる社会は必ずあります。ただ我慢ゼロで生きている人はいませんから。一番の喜びは他人を幸せにすること。それが大人になる、ということでしょうか。