ご両親が高齢の場合、特に一人暮らしをしている場合、あるいは記憶力が落ちてきたり、杖なしで歩けなくなってきた場合、病気やケガが元で出不精になっているような場合、まずは地域の役所の福祉部門、そして地域包括支援センターにご相談することをお勧めします。

高齢者は一人で出歩けなくなると死に直結します。元々鍛えていれば少しはいいのかもしれませんが、通常の生活をしている年配の方は、わずか2ヶ月ほど外出を控えただけで、歩くための筋肉が落ちてしまって、一気に車椅子生活になってしまいます。

ほとんどの家はバリアフリーになっていませんから、実際には家から全く出られなくなってしまいます。金銭的に恵まれていれば、食料や日用品は宅配でカバーできますが、ゴミが出せなくなって、ゴミの中で暮らす事になってしまいます。

特に首都圏は人口密集していることもあり、要支援〜要介護のそれぞれのステージに合わせて、さまざまなサービス・ケアを、在宅であったり送迎つき施設であったりで比較的安価に受けることができます。

運動面が衰えている場合には、理学療法士や運動療法士などがマンツーマンで、その人にあったリハビリプログラムを組んで歩行練習や筋肉トレーニングを手伝ってくれたりもしますし、軽いボケが始まっている場合は作業療法士さんと「脳トレ」のグループワークを受ける事もできます。

施設によってはカラオケで楽しんだり、友達を新たに作る事を推奨しているようなところもあります。どうしてもデイサービス、デイケアというと、刑務所のような作業施設のような印象を持っていたり、老人しかいない姨捨山だろう、とおっしゃる方もいますがけしてそうではありません。

老人や精神障害は、人間が劣化してなる特別な状態ではありません。ほとんどの人がなる可能性があり、ふつうの人が年をとったり、気分が塞ぎこんだり、脳の病気や難病にかかったり、ということで、その状態から一歩でも生活の質を上げるために利用できる施設がある、ということです。

たとえば脳梗塞であったり、小脳炎であったり、ということでも歩行困難になり歩行練習が必要になります。従って、必ずしも老人ばかりがいる、ということではありません。それに施設のスタッフは今のところ若いかたも多いです。

翻って街をみるならば、それこそ老人だらけです。東京ですら、50歳以上の人が全員働かなくなったら、交通、インフラ、お店、すべての機能がストップしてしまうでしょう。まして中核都市でもない地方に行くと、一日過ごしていて「若者」に会う事が難しい「老人の国」になっています。

もはや姨捨山ではない場所はあるのか? くらいの勢いです。せめて笑点の司会者、春風亭昇太のように60近くなっても髪の毛を黒々に染めて、心を若々しく持つことが、自分のいる場所を姨捨山にしない秘訣とも言えましょう。

残念ながら、施設や担当者との相性などもあります。さまざまな施設は見学もできる一方、半年、一年待たされることもあるといいます。施設の居心地が良ければ離脱者も少ないので、その施設が物理的に増強されない限りは増えていきませんし、また利用者が少ない施設は赤字、閉鎖への道をたどる事になり、まだあまり淘汰が進んでいるとは言いがたい状態です。

施設が必要な年配者は、少なくとも団塊ジュニア世代まで増え続けることになるので、善は急げで早めに動かれることをオススメします。