8050問題における80世代、現在で言うと昭和ひと桁世代を中心とした、「なんちゃって戦中派」の人たちは、ほぼ例外なく嘘つきでおまけに時間泥棒です。まじめに相手をしていては消耗するだけで、精神を病んでしまいかねませんから注意が必要です。

いまだにニュースなどでも「さきの戦争」とか「戦死者遺族」という言葉が出てくることや、「戦中派」という言葉がまだ死んでいないため、私達はずいぶんと年をとっている人たちを戦中派と勘違いしてしまうのはしかたありませんが、彼らは戦中派ではありません。焼け跡派とは言えますが、戦時中はまだ子どもだったため、記憶も曖昧なうえ、その後の前の洗脳教育、その後の洗脳教育により、記憶をすげ替えることが得意な特異な人たちなのです。

80世代には、私達は親世代として、あるいは人生の先達として、私達の子供時代に社会を動かしてくれていた人たちですから一定の敬意を払う必要はありますが、今となっては死を待つだけの老人がほとんどです。

ごくまれに、本当に例外的に現代の作法をわきまえている老人がいないわけではありませんが、本当に少なく、彼らはなんの悪気もなく、むしろ良かれと思って私達の貴重な時間や財産を奪っていきます。ですから細心の注意をしつつも時間を盗まれないように用心することが大事です。

80世代は史上最強の幸せ世代

現在生きながらえている80世代、昭和ヒトケタ世代ぐらい恵まれた人たちはいません。彼らは戦争に負けた頃はまだ学生であり、それでも多くの人たちが少年兵として無理な自殺行為ともいえる特攻をしたり、空襲や空爆で命を落とした中なんとか生き延び、戦後の食糧難やオイルショックもやりすごし、バブル好景気の恩恵に少なからずあずかり、結婚をするという幸せ、子どもたちを育てるという幸せも手に入れたのです。

多くの人たちは、その上、田舎から集団就職で上京したことがあるにせよ、そして、月に数日しか休めなかったにせよ、現代の感覚ではほとんど仕事らしい仕事もせず、ダラダラと過ごし、高い給料をもらい、都心郊外に庭付き一戸建てをたて、高い退職金までもらい老後も悠々自適だったりするのです。

それにひきかえ私達のなんと惨めなことか。失われた20年が失われた30年になり、景気は良くなっているとか好景気が続いているとかいいながら、実際にはマクロなんちゃらスライドとかいう名目のもとに年金額を下げる、貧乏人を増やす政策を打ち出しています。実際には景気が良くなっていないから人も雇えないし、低賃金でしか仕事がないから結婚はおろか恋人もいない若者だらけ。それは街を見ていてもよくわかります。

喫茶店にカップルがいない

わたしはおよそ9年前から、「困っている40代を助ける仕事」に取り組んでいて、事務所は電話が多いこともあり気が散るため、一人で仕事をするときも喫茶店を使っていました。

また、クライエントさまとのご相談でも喫茶店をよく利用します。2000年前後と比べて明らかに客層が変わっています。どんどん変わってきています。ここ数年は、猛烈な喫煙バッシングのせいで、愛煙家が喫茶店にたむろすることが増えていたのですが、すかいらーくグループが禁煙に舵を切ったことで潮目は変わりました。もはや喫茶店でタバコを吸える時代でもなくなりました。

ただ、いずれにせよ、2000年以前とか、顕著なのは1970年代から80年代ですが、喫茶店というのは一人で入れるところではありませんでした。とても敷居が高かったし、料金も高かったのです。

コーヒーいっぱいが450円はしました。最低でも400円だったろうと思います。600円、700円の店もありました。喫茶店に一人でくる人は特殊な人でした。文筆家とか編集者とか、テストの採点をするような人です。

ほとんどの人は誰かと話をするためにきたものです。しかし昔は公園のベンチや、それこそガードレールに腰掛けておしゃべりを楽しんだものです。

名曲喫茶やジャズ喫茶など、一人で来ることが前提の店も1970年代から90年代初頭にかけてはありました。何しろ大きなスピーカーから大音響で音楽が流れますから確かにおしゃべりには向きません。おしゃべりをすると常連客からは怒られたりしたものです。

しかしオバタリアンブームがすべてのモラルを破壊し尽くし、本音で生きることを是とする世の中に変えて行きました。そして喫茶店には若者たちが戻ってきて500円のコーヒーで4時間でもおしゃべりをするようになったのです。

けれども80世代の人たちは「同期の桜」世代でもあるため、自分と同じような環境の人としか友達になれない、という人がとてもたくさんいるんですね。「あんなやつと口を聞けるか」と平気で言う。「男は白い歯を見せて笑うな」「ベチャベチャ女みたいにしゃべるな」などといきがっていた人たちですから、いまさら宗旨替えもできません。

同期会とか同窓会に熱を上げているのもどの世代にもある一定数以上いますが、特に年功序列にこだわるのが70歳以上で、本当に困ったものです。私なぞはなんとなく生きていた部類なので、同窓会に行っても居場所がなく、参加しなくなりました。何が楽しいのでしょうね。気が合う人たちと話をするほうがよほど楽しいですし、仕事をしているほうが気が楽です。

かまってちゃんは相手にするな

そんなわけで80世代の人たちには、実際には気軽に話をできるような友達というのはほとんどいないのですね。皆死に耐えているか、お見舞いしないといけないような悲惨な状況になっている。

かといって、若い人たちが自然と集まってくるような人徳のある人というのはいませんから。およそ見たことがありませんから。すごく財産を持っていて人当たりがいい人が少しはいますがそれだけで、多くはその人の人脈目当てで集まっているような人であったりします。

このじいさんばあさんたちは、かまってちゃんオバケとなってまとわりついてきます。義理の子どもや甥や姪になってしまったり、派遣されてしまったりすると、いろいろとちょっかいがはじまります。

まず始末におえないのは、テレビに向かって大きな独り言を言うのです。「この人ってなんてひどい声なんでしょう」「最近の番組の質は落ちたわね」「この人ばかじゃないの」「テレビの人ってばかばかりね」「この人こんなことも知らないの」

けして相槌を打ってはいけません。反論などもってのほかです。延々と講釈が始まってしまいます。そしていつの間にか自分の自慢話になり、他人の自慢話になり、自分がいかに惨めな人間でないかを強調するようになります。本当に聞くに耐えません。

次に、「あなたの髪型すてきね」「あなた着こなしがすてきね」「あなたその服似合うわね」と「褒め殺し攻撃」をしかけてきます。いっけん褒めているように見せておいて批判しているわけで、それがうまくいくとなると、次々批判や非難をするようになってきます。

それでも嫌われたくない、という意識があるうちは、他人は攻撃してもその攻撃の刃が向いてくることはないのですが・・・、時間の問題です。

すべての「かまってちゃん攻撃」が無視されると、突然罵詈雑言を浴びせてきます。このスイッチが入ってしまうともう大変なことになります。完全に捨て身攻撃ですから。しかし真に受けないで全部うまくいくのだということをいいきかせておとなしくさせる以外に手はありません。一種の精神異常、ヒステリー状態ですから。

80世代は約束を守らない

80世代は約束を守りません。守ってもらえると希望を持ってはいけません。彼らは生まれてから一度も約束を守っていないし、これからも守るつもりはなく、あとは野となれ山となれ、で死んでいくつもりでいます。彼らにどんな約束をさせたとしても、次々忘れていきます。彼らはまだらボケであり、どの部分の意識が生き残っているかわかりません。場合によっては自分が書いたノートですら自分の文字ではないと言い張るようになります。そうなっても、認知症の診断はくだされません。

ですから80世代が約束を守らないのは病気なのではありません。そういう世代、そういう性格なのです。私達40代、50代にとって未来というのはとても深刻な課題でどう立ち向かっていくか、どうやって乗り越えなければいけないか、日々戦争ですが、80世代はもう余生でしかなく、時間は無限にあり、他人の貴重な時間をいくら奪っても罪の意識を持てません。

80世代に人生を奪われないようにするためには、たった一つの方法しかありません。それは逃げることです。耳を貸さないことです。手伝わないことです。放置することです。

電話には5回に1回くらいしか出ないことです。そして頼りにならないふりをすることです。ただ危険なのは彼らはあまりに純朴であり詐欺師に騙されやすいことです。

いってみれば家族のためではなく詐欺師のために生きているようなものです。そのブレーキをかけるための親密性を保つ必要はありますが、自分の時間を守ること、自分の財産を守ることに可能な限り労力を使うべきです。問題は親が中途半端に資産家であった場合です。その場合は地獄を見る可能性があります。

どうぞ早めにご相談くださいませ。