世間的に「立派な人」。たとえば一流企業や有名企業の取締役とか、学校の先生とか、上級公務員とか、政治家とか、芸能人とか、中小企業の社長とかは、82%という非常に高い確率で「とてもダメな親」です。(現代問題研究所調べ)。どうしてこんな悲しいことになるのでしょうか?

親はもれなくワガママ

日本の親というのは、もれなくワガママです。昔の日本は同質化史上主義でしたから、「親はワガママでいい」「親は家の中で一番偉い」「子供は死ぬまで親に従うべき」という観念が日本中に蔓延していました。

「子供は別人格であり、自我が芽生えたら、生きる力を自分で身につけるために人格を尊重するのが親の努め」「自分の身は自分で守れるように育てる」「本当の愛は見守ること」「過保護・過干渉は迷惑。ダメな人間になってしまう」という、本当に動物として当たり前のこと、欧米では多くの親が「親になるために」そういう教育を受けるものですが、日本は本当にデタラメです。

そもそも、これだけ国土が狭く、1970年代には「日本は人口爆発しすぎて食料もエネルギーもなく、世界的にも石油は30年で枯渇するから人口を抑制しないとダメ」というプロパガンダが行われ、オイルショックの鮮明な記憶とともに浸透したにも関わらず、「天皇家と同じく、うちも家系を保つために男子を作らなければ」という非常にワガママな人たちのために、ついこの間まで人口が増え続けてしまったわけですね。

天皇家と一般の家庭は全く違うのですが、いろんな理屈で、子供を育てる能力も知力もない人たちが無計画に子どもをたくさん作って「オラオラおやじ」が、子どもがいない夫婦に、非国民、のようなことを言う風習がつい10年前までは幅を効かせていました。

都市部でそんな状況ですから、田舎は未だにそういう理論で動いている人たちもいるでしょう。今度はリバウンドして「少子高齢化だから子供を作らないと日本が滅ぶ」。全部嘘です。

未だに地域によっては、長男の嫁に男の子が産まれないと離婚されても文句が言えない地域もあります。人身売買も行われています。結局女の子だけが産まれたために、養子をとって跡継ぎを作らせるという「種馬」になっている人もいます。

フィクションではなく、本当に普通の話です。都市部でも女三姉妹などというのは珍しくありません。さすがに4人育てるだけのお金がないことや、諸事情で諦めただけで、とにかく「男の子」の時代が今でも続いています。

子作りはオワコン

「ベビーブーム」という言葉がありますよね。子供を作ることが「流行」だったわけですよ。現在もそうなのですが、日本政府というのは国家的事業は広告代理店に丸投げしてアイデアを出させるのですね。

しかし、広告代理店というのはテレビやラジオや新聞の「枠」を「配給」することと、政治家の選挙応援をすることが主たる儲け口で、基本的には「手配師」「ブローカー」にしか過ぎないので、確かに「研究所」みたいなところを持っていて、意識調査をしたり、資料を捏造したりしてキャッチーな政策をでっち上げ、さまざまなイベントや企画のロードマップを提示し、ガバガバお金儲けをすることが重要なので、国民の幸せとか、「サスティナブル」(継続可能)な日本社会の再構築、などということに興味もないし責任も感じていないのですよ。

一般の国民は、まさか広告屋さんが世の中を動かしていると思っていないわけですから、さらにたちが悪いです。たしかに政策を作るにあたってはコンサルティングファーム、いわゆるコンサルタントや学者などに立案を手伝ってもらう、という名の、丸投げ、をすることはありますが、世論を誘導するには「広告」および「メディア」が大きな力となります。

「オイルショックは何度も来る」「石油は30年で枯渇する」という「脅し」はまるっきり嘘だったのですが、その脅しは効果満点で、未だにそう信じている高齢者も多いですし、その高齢者から教わって真に受けている人たちもたくさんいます。もう宗教ですね。

現代問題研究所の分析では、1990年代から2000年代にかけて「子どものペット化」がおきました。昭和バブル末期には、「立派な人」の子女たち、金持ちの子どもたちがブランドの洋服やバッグやアクセサリーを身に着け、「読者モデル」がブームとなり、子どもたちがこぞって化粧するようになったのですが、そのすぐ後には小学生にも化粧をさせる「呆れた親たち」が登場したのです。

何しろ、もともとの文化として、「子供は別人格」という教育がどこにもなかったのですから、「子供のペット化」は当然の流れであり、現在も続いています。「お受験」とか「情操教育」は親のエゴですから。

2000年代後半にはペットの子供化が始まりました。ペットに服を着せるようになったのですね。現在では「ペットは家族」であり、今や、人間の葬式よりペットの葬式やペットの宿泊施設のほうが費用が高くなっています。

ペットの結婚式などもはじまっているのでしょうか? ペットに財産を残そうとする人もたくさんいますし、ペットの介護のために人生を費やしている人も本当にたくさんいます。もうそれは10年以上前から当たり前のことになっています。

いまや、子どもの教育において、今までのメソッドはすべて否定されてしまったので、何をやっても「マルトリートメント」と言われてしまう。その点ペットならば、多少虐待しようが、過干渉であろうが、文句が出ない。

もう子どもを作るのは「オワコン」(終わったコンテンツというネットスラング。古臭い価値観や観念、今後リバイバルしないであろうものを指します)というわけです。

昔の夢を見続けるわけにはいかない

去年から今年にかけて、「インターネット30周年」「マルチメディア30周年」「バーチャルリアリティ30周年」という節目だということで、そうした集まりに参加してみました。

当時先進的なことをしていた人たちは、今どんな先進的なことに取り組んでいるのかな、と期待したのです。見事に裏切られました。ほとんど全員が偏屈な老人になっていて、「昔は楽しかったよねえ」。

この国のオトナたちには、未来を作り出す能力がないのです。立派な人は、家庭ではダメな人でした。夢破れているのに、まだ昔の夢を見ようとしている。私達はそうはいかない。

30年経ちましたが、日本は驚くほど変わっていない。他の国々が発展したり没落したり、それは目に見えるのに、日本は相変わらず30年どころか80年以上前の都市計画に基づいて、粛々と、のんびりと、新しい道路を作っている。馬鹿なのか? Yes。バカなんですよ。

教育無償化や移民の前にすべきこと

すでに現代問題研究所の研究員は、30年前に日経BP社の取材に「今後の少子高齢化についての専門家の意見」を述べています。もうその時点で、少子化問題が闡明だったのです。1993年から大学受験性が減ることが明らかでその傾向に変わりなかったわけですから。

四半世紀なんにもやってこなかったのです。いまさらあがいたところで、どうしようもない。人口は減るのです。しかし、それは、40年前の日本人の総意として望んだことなのだからしかたない。

私達は柔軟に対応すればいいだけの話なのです。世界中でいろいろな発明がされて、栄枯盛衰ありますが、みんな対応できているじゃないですか。未来は恐れるものではなく楽しむものです。

ところが、それには無理があります。今の若者たちが楽しめる「現在」がほぼどこにも存在していないからです。若者たちは、めんどくさいジジイたちに押しつぶされて呼吸困難になっています。

若者の自殺者、失踪者が高どまりしています。政府の統計上は年間三万人をピークに減っている、ということですが、統計というのは嘘をつくための道具でしかありません。

若者の絶対数は、凄まじい勢いで減っているのです。若者が楽しめる世界を作ること、8050問題が解消すること、それなくして日本の未来は存在し得ないのです。

保守的なことしか言わない、病気の話しかできないような人、若者を尊重できない人は本当に日本の足かせであり病巣です。インターネットの時代になって、老人かどうか、は実年齢の問題ではなくなったのです。

ジジイたちの過去の経験、自慢話は無価値です。先日「歴史は雑学に過ぎない」という発言で東京大学講師をクビになった人がいましたが、もう全然ダメですね。「そういう見方もあるのか」と考えられない頭が硬いひとは、本当にいらないのですよ。

実際問題、日本人は歴史から何も学んでいないし、歴史を反省して行動に反映させている人はほとんどいなくて、同じ間違いを何度も何度も何度も何度も、本当に何度も何度も繰り返すのですから。

歴史を勉強する時間と、未来を創造する、あるいは想像する時間とのどちらが大切なのか?? 

そこにいつになったら日本人は気づけるのでしょうか? それができなくなったら終わりだと思うのですがねえ。国としても、ヒトとしても終わっていて、機械未満の存在になってしまうんですね。まあ、もともとそうなのかもしれませんが。