8050問題が深刻なのは、今は60代でも熟年という言い方をされていますが、50代は死が身近になる年齢だということにあります。50代で死ぬのは早すぎる、と勘違いする世の中になっていますが若いころの生活態度により動脈硬化や脳梗塞など血管系の病気や喫煙やアルコールの習慣による癌もこの年代から出始めます。昭和30年代、40年代は、高度成長期で「良い時代」と美化されていますが、実際には非常に環境が汚染されていて危険がゴロゴロしていた時代でした。

ひどい時の北京ほどではなかったですが、たとえば都会でも、屋根瓦の下には川の砂が敷かれていて、台風の翌日の吹き返しの日などは、ずれた屋根瓦の下の砂が空気中に漂っていて、口の中に砂の味を感じたものです。また、排気ガスなどが原因で光化学スモッグというのができていて、平成に入ってもまだ「カンパチ雲」などを目視することは普通にできました。これはウロコ雲のような自然現象ではなく、都心環状八号線という片側2車線か3車線の道路の交通量が激しく、また排気ガス規制が石原都知事以前は野放しだったため、この道路の上に排気ガスでできた雲がかかっていたのです。

環状八号線の渋滞は、東名高速道路の用賀料金所から、関越自動車道の入り口までの区間が激しく、この区間はいまだに高速道路もないので、特に排気ガスがひどかったディーゼルエンジンのトラックなどがススのような微粒子をまき散らしながら走っていて、この道路沿いの人たちは明らかに健康被害があるはずなのですが、昭和時代は衛生概念も発展途上国並みだったため、惣菜でもなんでも野天で販売されていて、ススまみれの食べ物を食べていたわけですよ。

また、食堂でも電車でも飛行機でも喫煙が当たり前だったため、そうした乗り物に好むと好まざるとに関わらず乗る機会が多い仕事の人などは、受動喫煙でやはり病気になりました。当時は粉塵が舞う工場でも(いまだにそういうところもあるのですが)マスクをつけることを許されず、病院の人以外でマスクをしていると、「口裂け女だ」という差別をするのが当たり前な風土でした。昭和時代の衛生概念や環境が今あったとしたら、8割の若者は逃げ出すのではないかと思います。

もっとも、田舎の方が、衛生概念が高い、というわけではなく、野焼きや農薬の空中散布なども行われていて、くわえ煙草で仕事をするのも当たり前でした。何しろ、当時は専売公社ということで国が喫煙を奨励していたのですから。昭和50年代のドラマを見ても、出演者が老若男女全員喫煙者という異常な状況で、タバコがお茶がわりだったのです。ですから、今、癌が国民病で二人に一人がなる、といってもそういう時代を通り抜けてきたので仕方ないです。

ただ、癌は死ぬ病気ですが、適切な治療を受けられれば治る病気でもありますし、その適切な治療を受けるのに日本は世界で最も安価であることが知られています。(国民健康保険に加入していれば、ですが、これも裏ワザがあるのです)。その一方で、癌より怖い病気があります。それが老人性ウツです。実はうつ病の罹患率はあまり知られていませんが、癌より高いのです。主として晩発性といって、高齢になると罹患する人が多くなるのです。

ところが、精神病は、まず発見が難しい。本人が認めたがらないですし、発見できても適切な治療法が確立しているとは思えない問題点があります。がんの場合は標準治療が確立していて、あらかたの早期発見患者はこれで治るのですが、精神病の場合は、欧米の製薬会社が強く、アジア人に適切であると思われる薬の選択肢が少ないのです。そのため、さまざまな薬を組み合わせて、適切な効果を発揮するものを探すのにかなり時間がかかってしまい、患者の不信感を招いていたりします。

うつ病になると、身体を動かすのもおっくうになり、日常生活が成立しなくなってしまうのですが、それを老化や気分のせいにしてしまいがちです。まして、8050問題を抱えている場合には、自分の子供が同居しているせいだ! と転嫁してしまう人も出てきます。病気に限らず、あらゆる不幸は、どんな人でも受け入れがたく、他人のせいにしてしまいがちです。しかし自分の病気は自分が立ち向かって解決していかないといけない問題です。

しかし、うつ病は、大きな痛みや傷、他人からパッと見てわかる症状がないので、かなり怖い病気なんですね。老親をお持ちの方、あるいは、自分がある程度の年齢になってきて、なんとなく元気がないな、と感じたら、心療内科を受診するのが良いかと思います。非常に残念なことに、日本はやぶ医者で溢れる国になってしまいましたので、ドクターショッピングと言われることを恐れてはいけなくて、合う先生が見つかるまで5人から10人くらい替えないといけないかもしれません。均一な治療を受けられない、という点でも厳しい、ということを知っておくのはよいかもしれません。

日本の精神医療についてはまた別の機会に触れていきたいと思います。