クリスマスセールの喧噪の中、ふっとさびしくなる事があります。たいていの人が、そういう経験をします。喧噪そのものが苦手でこのシーズンは宅配便でできるだけ間に合わせてしまう人とか、耳栓のようなヘッドホンをして、思いっきり自分の好きな音楽をかけないと街に出られない、という人もいます。それがふつうの感じ方です。

日本中、世の中全体がちょっとうるさくなりすぎているのは確かです。と言うのは耳に何か突っ込んで歩いている人が増えたことと、加齢のため音が聞こえづらくなる人が増えたためです。後者の場合は、本当はゆっくり喋るとか、聞きやすい音程があるので、なんでもかんでも爆音にしなくともいいのですが、必要以上に音楽がうるさくて、その上に「タイムセール!」と怒鳴るので耳が若い方は耳を保護するために耳栓をして歩いた方がよいかもしれませんね。

ふとさびしさを感じ、突然、自分が孤独であることに驚く人もこれから年末にかけて増えてきます。用心してください。人はもともと孤独なんです。どんなに仲がいい友達がいたとしても、生まれた時は別々ですし、死ぬ時も別々なのです。「家族に見守られながら死にたい」という方もいます。ただ、家族に見守られながら死ねて良かった、という人にはあったことがありません。家族が心配そうに覗き込むので、死を覚悟したけど生還した、という人の話は時々聞きます。

ピサの斜塔が、それほど人気の観光地でなかったころ、手すりのないところで足をブラブラさせながら座った事があります。そうすると下にどんどん人が集まって見上げるのですね。なんとなく、期待されてることをしたくなってしまいそうになったことはあります。

つい昨日も、お友達づきあいをしてくださる方が「本当にこの年になると、どう手仕舞いしようか考えますよ。棺桶リストみたいの。何かし残した事なかったっけなって。今のうちにできることで、何ができるだろう、って。棺桶リストの映画やドラマERでもそういうエピソードがありましたが、昨日までふつうにできたことがどんどんできなくなってくる、すると急に、どう生きたらいいのか、考えだします。

昔は「人はこう生きねばならない」と演説をするネバネバおじさんがそこら中にいて、突然、宴席で「お前は何になりたいんだ」と聞かれた事があって「デバイスになりたいですね」と答えた事を思い出します。「なんだそりゃ?」「えー、ですから、人と人をつなぐ媒介の人とか、人と物をつなぐ、でもいいと思うんですけど、それで人の役にたちたいんですよ」。

「バカやろ、それじゃあ、大きな仕事はできないぞ」と吠えていましたっけ。そのかたのおっしゃる「大きな仕事」とか「ねばならない」がどういうものかをついに聞く事はできませんでした。数年後にまだお若いのにガンでお亡くなりになってしまったのです。そのかたにとっての「幸せのかたち」というのは「大きな仕事をすること」だったのでしょうね、きっと。ただ、それはその方のお考えなので。

クリスマスセールの時期は、容赦なく、この幸せのかたち「攻撃」が雨あられと浴びせられます。「ケーキを買えば幸せになれるぞ」「家族で鍋を囲めば」「お子さんも喜ぶクリスマス」。都心の方が配慮があります。ちょっと地方都市に行きますと「休日は親子でドライブが幸せの形」で有無を言わせない感じがあります。ぼっちじゃダメですか? とつぶやくこともできないような息苦しさを感じる事があります。

スーパーに行くと、その地域によって、刺身の盛り合わせの切り身が3切れずつだったり4切れずつだったりします。買い物の量や個数で何人家族が多い地域なのかがわかるのでしょうね。でもそれって幸せの形を壊しちゃっている。私はそう思います。親子四人が会話しないで親はテレビ見て子供はケータイ見て、みんな一人一切れずつ何も言わず食べて、流れ解散。17年前から日本はそういう世界。

これ三人で分けるの難しいけど、どうしよっか、お父さんイクラ食べちゃだめだったよね? 食べられるのでどれ好き? という会話から、そういえば最近さー、というのが楽しいような感じもします。一方で、小学生の子供がいる人に話を聞くと、「家のなかで一人になれるスペースが欲しい」と言う人がいたりもします。

マーケティングという入らない物を買わせちゃう技術に、「これを買うと幸せになれますよ」「これ買わないと幸せになれませんよ」「これ、今日までの価格なんですよ」「これ今だけなんです」と思い込ませる手法がいろいろとあるんですね。で、どうしてもお年を召した方は暗示にかかりやすいし、みんなと同じが安心、という文化に行きてきた方々ですから。

ついつい、子供の幸せを考えて、子供の幸せのかたちを勝手に決めてしまって不仲の原因になったりもします。幸せのかたちというのは、みんないっしょじゃないのです。みんな実は孤独であるように、家族であっても、親子であっても、兄弟であっても、幸せのかたちはみんな違うし、自分の幸せのかたちは自分で見つけたいものなんですね。