平成元年頃の営業研修というのは、バブルガハハおやじの自慢話独演会に過ぎなかった。大企業の営業社員たちはその自慢話をひたすらじっと耐えて聞くしかなかった。そして、あまりのアナクロさに、絶望感に満ち、多くの新入社員が実際には隙あらば転職を目指した。

たとえば、「出張に行ったら、社内の電話交換手と受付の女の子にお土産を必ず買うのがいい」とのこと。当時の電話というのは交換機という穴がたくさん開いている機械があって、内線からかかってきた電話をオペレーターが、外線の穴にコードでつなげることではじめて電話が通じるようになっていた。実際にはもう平成にはほとんど自動交換機になっていたのだが、その10年前はそれが常識だったのだ。10年前の常識をおしえられても! という世界だ。

もちろん10年前の常識で生きている人たちと生活しなければいけないから、その常識を知っておくことも重要だろう、というのはその時は考えもしなかった。今はもうほとんどどうでもよくなってしまった。だって、あのころから、その時点での新しい常識や新しい概念、世界への知見を深めるだけで精いっぱいだったからね。

未だに我々が知っている世界なんて言うのは、ヨーロッパとアメリカの一部だけでそれもごく断片的な知識があるだけなんだ。シリアの戦争のことなんか何もしらないし、アフリカがどうなってるかもしらない。アメリカで毎日何人が死んでいるのか、なんてことも知らない。

日本の交通事故死亡者数は一日10人を切っている。これはものすごい快挙なんだけど(といっても24時間以内の死亡だから現代のように延命措置がいくらでもできると数字はいろいろ変わるけど)世界中で一日平均10人以上死ぬような危ないできごとというのはとてもたくさんある。それをわれわれは知らないし、知らないまま死んでいく。

昭和の頃の営業マンは、関西では昨日タイガースが勝ったかどうかを知っていればよかったらしいよ。だって、商品なんて営業なんかしなくても勝手にガンガン売れていったんだから。営業の仕方を知らない営業マンなんていうのがとてもたくさんいた。営業マンの仕事はチラシを配ることと展示会で説明すること、あとは受注票を書いて納品すること、だったりした。

もう少し高度な営業マンになると、接待したり、あの手この手で恩を売る、なんてこともあった。その人の雑用を手伝う人もいたし、いろいろな便宜をはかる、というようなこともあった。いずれにしても会社対会社でWinWinの関係、なんていうのは平成もぐっと後の方の話だったし、建前はそうであっても、結局は上層部同士で楽しいパーティに明け暮れるなんてこともあった。

もう、どこまでいってもお客様の信頼、なんて言葉は出てこない。お客様は常に蚊帳の外だった。もっとも日本のお客様はたちが悪くて。使いもしない機能を欲しがり、他人と比較して少しでも良いものを欲しがり、世界中の人が見向きもしないものを欲しがった。だから、彼らの欲しがるものを予測するのはとても難しかった。

アップル信者が日本に多いのは世界の他の国の人があまり興味がないから、というところもある。なんか優越感に浸れるみたいなんだよね。アップル信者はナルシストが多いから、取扱いに注意しないと、噛まれると狂犬病がうつるかもしれない。ほとんどの人はただ宣伝とかイメージに乗せられて買っているんだけれど。

日本はこの広告とか宣伝がとても効くのですよ。未だに大きな効果を上げられる。朝日新聞も相当部数を落としたけど、それでも三大新聞とか四大新聞の人口カバー率、それも高齢者のカバー率はなかなか高いですからね。今や新聞の最終面の大広告スペースにオムツとか尿漏れ防止ズボンの広告が載るようになっちゃった。

平成元年の営業マン研修でまだかろうじて役に立つのは名刺交換? でも、もう正しい名刺交換している人はほとんどいませんよ。そして正しいかどうかなんて誰も気にしないし、名刺もスマホでスキャンして読み込んでしまったらゴミ箱直行で、だから名刺を配る必要もないんですね。本当はフェイスブックでQRコードを発行できてそれをスキャンすればOKにすればいいだけなんですけど。

コンプライアンスのない会社やブラック企業だらけの現状からみると、どこそこの会社のだれだれさん、って本当に無意味なんだよね。だれだれさん、だけでいい。人の生きる姿勢というのはそんなに変わらないから。その人がどの会社にいようが頼りになる人はなるし、ならない人は取締役の肩書持って立って我々の役には立たない。

そうやってどんどんピアトゥピアで仕事をしてくるようになってくるので、もう営業研修そのものもいらないんじゃないかなあ。まだ必要なんですかね?