福井大学の友田教授がNHKプロフェッショナル/仕事の流儀、に登場しました。親による児童虐待とか折檻(せっかん)というと言葉がキツくなるので、マルトリートメントという聞きなれない言葉が、ほぼ初めて、地上波に出てきました。英単語の頭にdisとつくと、否定の意味になることはすっかり有名で、人格否定することなどを「ディスる」と若者言葉で言うのですが、動詞の頭にdisをつければ何でも逆の意味になります。日本語的にはダメとか言うようなものですね。「タバコだめ」「お酒ダメ」「おしぇべりダメ」みたいに、造語することができます。malも同様で、もともとラテン語の否定の意味だったものが、19世紀以降にたくさんmalを頭につけた言葉が登場しました。否定というか「適切ではない」「的確ではない」というニュアンスです。

たとえば、マルファンクションと言う言葉があります。これは「不具合」です。もっというと「適切に動かない」ということです。例えば、テレビで3のボタンを押したら4チャンネルの放送に切り替わってしまうとか、目覚まし時計が一時間遅れて鳴るとかです。ならなかったり動かなかったら、ブロークン、ノットワーク、と言えますが、それとはちょっと違います。マルウェアという言葉も、ウィルスと誤解されますが、実際にはそうではなく、たとえばウィルスセキュリティソフトを二種類コンピュータに放り込むと、片方が片方のマルウェアとなり、コンピュータが突然落ちたり、変な動きをすることがあります。愛用しているソフトウェアでも最新のコンピュータに対応していないことでマルウェアになってしまうのです。

番組ではマルトリートメントと虐待の違いを説明しなかったらしく、「不適切な行為」的に逃げていたらしいです(見てないので正確には言えません)。しかし、マルトリートメントの辞書的な意味は次のようになっています。「マルトリートメント(maltreatment) 不適切なかかわり。 特に、大人の子供に対する不適切な養育や関わり方をいい、身体的・性的・心理的虐待とネグレクトを包括的に指す。 [補説]厚生労働省が示す児童虐待の定義に相当する。」つまり、厚労省の下で医師免許を持って小児精神科医がマルトリートメントと言ったならば、それは「児童虐待をしているとんでもない親」ということになってしまうのです。

ただ、マルファンクションもそうですが、機械としては「正しいことをしているつもり」なのです。親も「躾をしているつもり」「自分が親にされたように育ててるつもり」「社会に迷惑をかけないようにするために」「子供の将来を案じて」「責任ある親としての威厳をみせるために」マルトリートメントをしてしまう、ということが起きます。この場合、本人に「悪いことをしている」自覚がないので、子供の側に逃げ場がなくなってしまいます。親は絶対的な存在であり続けるため、子供が大きくなっても同じ関係性のまま時間がたっていることがあります。

50過ぎ、60過ぎの社会的な地位もあり、業績も実績もある子供を、他人の見ている前で叱りとばす親は、たくさんいます。ほとんどといってもいいかもしれません。「まあまあ、年寄であっても、子供はいつまでたっても子供だから」と赦してしまう高齢化社会がそこにはあります。何しろ人口の平均年齢が50歳を突破しているのですから。他人の前で叱り飛ばされることがいかに屈辱的なことなのか、社会的理解が日本ではあまりにも乏しいのです。職場や大学では、こうしたことを取り締まる動きになっていますが、子どもを奴隷のように扱っても許される空気が強い社会があります。

子どもに暴力をふるう親がいても止められない社会もあります。うちの家庭に口出しするな! と言われると、ほとんどの人は引っ込まざるを得ません。責任感の強い親、社会的地位がある人ほど、子どもにネグレクトする傾向が強く、偉い人の子供はぐれる、というのは有名な話でした。「親に恥をかかせるんじゃない」という言葉は、ブラックジョークでしかありません。子どもが多少のいたずらをしても、それは子供のいたづらで、「親の顔がみたい」などということにはなかなかなりませんし、子供が犯罪をおかすようでしたら、明らかに親や家庭環境、あるいは学校の環境などに問題があるのです。親がすべきことは問題の解決であり、子供を恐怖に陥れて黙らせることではありません。

番組では友田教授が自腹を切ってある家族を救おうとする美談にしているらしいのですが、問題は全くそんな簡単ではなく、また番組でも少しだけ触れられていたようですが、お金、費用の問題がとても大きいのです。精神病と能の写真についてはまだ十分なデータを得られていない、模索中である、という印象と、普通の精神科医にMRI投資をするのは非常に困難であることや、大学のように無料の人件費を使えるところがほとんどない以上、友田メソッドの普及は正直困難です。小児精神科医の看板を掲げているところは最近は少なくないのですが、残念ながら一人の患者と接する時間を長くとっても、保険診療では70点、700円しかアップしません。

時給700円でも頑張るよ、というキモチのお医者様がいたとしても、医大の奨学金返還も、開業資金の償還も、家賃、光熱費、医療事務の人件費も支払うことができなくなってしまいます。その一方、虐待行為は家庭だけでなくあらゆる場所で起きています。学校でも職場でも、病院でも、介護施設や精神保健福祉センターでさえも。日本という国が嫉妬と虐待になれすぎてしまっていて、正しいトリートメントができる人がほとんどいない、という悲しい現実を見つめなおす必要があります。ただ社会のせいにしても何も問題は解決しないのです。私たちはみんな責任がある。責任感を持たないといけない。ただそこで間違った行動を起こしてしまいがちなのです。

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