8050問題の調査答申を受けて行政やボランティアや金にたかる人たちがフリースペースを作る運動を急速に進めてます。これは無意味なので直ちにやめていただきたいと思います。

フリースペースとは何か

フリースペースというのは引きこもって家から出て来られない人たちを、例えばマンションの一室などに集めてゲームをやったり、みんなで話し合いをしたり同じような人たちがいるということを認識することによってひきこもりという病が治るというオカルトな発想です。エビデンスはどこにもありません

論理の飛躍とご都合主義

引きこもりが同じような引きこもりと友人関係を作ることによって最初はゲームなどで打ち解けていって、そのうちふと起業を考えるとか就職を考えるようになる。フリースペースを作ろうとしている人達はそういう話をするのですが、論理の飛躍がありすぎてとてもついていけません。そもそも社会性が乏しい引きこもりにとって、リアルに対面してバックグラウンドや世代が全く違う人、病気の症状なども違う人と友人になることすら非常に高いハードルであるのに、そしてそういった場が作られたとしても自らそこに赴くということも簡単ではないのに、そうした場がないから引きこもりの行き場がないという発想をしてしまうこと自体、やるせない気持ちにさせられます。

トランプや将棋ができる友達ができるようになったら就職はできるんですか? そんな甘い話はどこにもありません。

一生懸命勉強していい大学出て、それでいい会社に入れない人がほとんどなのです。現在の新卒者の半数は就職ができないのです。

それなのにトランプしかできない引きこもりがどうしていきなり就職できるんでしょうか? そんなことはもちろんありえないしそれができるといってそういうスペースを作っている人たちの脳の精神構造を疑わざるを得ません。

要するに引きこもりには家にいて欲しくないのです。しかしほとんどのひきこもりは実は家にはほとんどいません。家にいる引きこもりというのは昼夜逆転して家族とできるだけ顔合わせないようにしていますし、家族と接触すると喧嘩になることは必須であるため家族と合わないように車を乗り回したり、本当にお金がなければ図書館に行ったりというようなことをしています。

時代錯誤の馬鹿アイデア

フリースペースというリアルな相対ができる場所を作ることで引きこもりの人達にも友達ができるようになる、というのはおよそ昭和40年代ぐらいの、つまり50年以上前の極めて古臭い馬鹿げたアイデアでしかありません。

そんなアイデアに飛びついてしまうのは80世代の人たち高齢者後期高齢者の人達です。何かインスタ映えするものを作って町おこしをしようと言っている人や、 B 級グルメで売り出して町おこしをしようとしている人たちよりもさらに古臭い人たちであり、その努力とかお金は無駄になることが目に見えています。とても残念でなりません。

引きこもりの人の多くはインターネット上で友達をいくらでも見つけることができます。一日中ゲームばっかりやってと親御さんは非難されますが、現在の対戦ゲームなどでは対戦相手もそうですし、あるいはチームを作って対戦するということもありますので、そのチームメイトは文字通り戦友であり家族よりも強い絆で結びつくことが普通に行われています。

そんなインターネット上の人なんてバーチャルじゃないかという的外れな議論もあります。間違いです。バーチャルではありません。その向こう側には生身の人間がいます。その人は引きこもりである場合もあるし、普通の社会人である場合もあります。インターネットを使うことによって本当に多種多様な人と近しくなることもできれば、自分に本当に近い打ち解けられる人に出会うこともできます。そしてそれはフリースペースでは不可能です。

ネット不要論者と決別せよ

非常に困ったことにこの令和の時代にはインターネットは詐欺と詐欺師で満ち溢れています。インターネットに限らず書籍の最近の販売ランキングを見てもたいした努力なしに年収1億円稼げる方法であるとか、楽しいセックスの仕方であるとか、読むことで心が豊かになりそうな本がほとんどランキング外になっています。

インターネット中毒という人も少なくなく、厄介なことにインターネットにはあらゆる情報が存在している。それは良くも悪くもなのですが。正しい情報もありますが自分が何か錯覚を起こしたとしてもそれを裏付けるようなブログなり記事なりがどこかには存在してしまう。そのことによって間違った考えに取りつかれてしまって抜け出せなくなるという現象が起きます。

概ねインターネットの記事の8割から9割は間違っているか故意に嘘の情報を流すことによって様々なマネタイズ、つまりお金を稼ぐための手段として使っているのです。

一番分かりやすいのはアフィリエイトというものです。私どもは企業体としてホームページを運営しておりこのホームページによって集客をしておりますから宣伝広告費でホームページの運営をまかなっています。

しかし個人や一部の企業ニュースサイトであるとか検索エンジンといったところは、ネット広告モデルのビジネスです。これはページを見る人が既に個人情報をある程度特定されていて、その人に関心が高そうである広告がページの中の広告枠に自動的に表示されるというものです。

表示されるだけで広告料金が発生する場合と、それをクリックして実際に物が売れた時に何パーセントなり何割の広告料が発生するという場合もあります。いずれにしても広告を見せれば見せるほどお金が儲かるという仕組みなので、過激なタイトルをつけてみたり、フェイクニュースを流してみたり、ということを大企業から個人に至るまでこぞって行なっている。そのために21世紀初頭には限られた人の知的なメディアであったインターネットが、詐欺メディア釣りメディアと揶揄されるように陥落してしまったのです。

しかしだからといってインターネットは役に立たないインターネット中毒になっては駄目だというのはこれまた論理の飛躍です。

インターネット不要論者はテレビや新聞を見てればいいというようなことも言い出しますが、テレビや新聞こそ嘘つきメディアと成り下がっています。現在テレビや新聞の中心読者層は50歳以上の中高年及び高齢者が中心です。この人たちに合わせるために新聞の活字はかなり大きくなり一番目立つ広告欄に大人用のオムツの宣伝であるとか補聴器の宣伝が載るようになってしまいました

また高齢者にとって耳障りの良いニュースだけを乗せるようなフィルターがかかってしまって、若い人たちがどれだけ苦しんでいるのか何に困っているのか、ということは新聞紙面からはほとんど見えてくることがありません。

テレビに至っては海外で戦争や飢餓が進行しているというのに、そうした番組は視聴率が取れないという掟によって全て削除されている状態です。こんなメディアを信用している人たちに日本特異の問題である引きこもり問題8050問題を解決する方法はありません。

大事なのはインターネット不要論ではなく、様々な間違った情報嘘の情報くだらない情報の中から本当の真実を見分ける力を育てることなのです。それを間違えてはいけません。情報のるつぼの中で本当に役に立つ情報を見つけ出す、そうした能力が現代人には求められているのです。それについていけなくなった高齢者の方は申し訳ないけれども若い人たちにそのポジションを譲ってほしいものです。

もちろん効果ゼロではない

ここまでフリースペースの悪口を書いてきましたがフリースペースがひきこもりにとって効果0であるというわけでもありません。

同じような境遇の人たちが集まることによって自分を客観視することができる効果が多少望めます。それが成功するのは明らかに自分より劣っている人、惨めな人、馬鹿にしたくなるような人と接する時に自分はこんな人と同じに見られてしまっているのかと自分自身の惨めさに気づくのです。

日本人は自分自身と向き合うということが下手な民族です。自分の子供を他人と比べてしまうような教育が当たり前でありましたし、自分自身の幸せの尺度というのを持っている大人も非常に少なくて、給料がどうであるとか、一戸建ての家を買ったとか、マンションをどこに買ったか、とか勤め先の会社がどれだけ有名であるか、とかそうした小さな小さなとてもくだらないばかばかしいどうでもいいことで自分のプライドを満足させるのが当たり前。

非常にゆがんだ精神構造を持っている人達が常識人として扱われているというとてもとても変わった社会です。

自分と他人を比較して勝った負けた、あるいは私は彼よりはマシだ、彼女よりはよくできている、というのような発想を抱くこと自体が非常に不健康です。

そうではなく彼女も完璧ではないとするならば私も完璧である必要はない。人間得手不得手がある。もっと他人に対しても自分自身に対しても寛大になる必要があるよね、そんなことを感じることができるようにならないと生きていて辛く厳しく悲しい心が潰れそうな毎日を送ることになるでしょう。

フリースペースは効果ゼロではありませんしうまく運営したり、アメリカのどこでも行われている断酒会のように、参加する人全員が運営者も含めて謙虚になって自分の気持ちを洗いざらい話し合うことができる、さらけ出しちゃうことができるようになればかなりの効果を見込めます。

しかし今作られようとしているフリースペースはそういったものではありません。ですからそこに期待をすることはできず、引きこもりは外こもりにはなれるかもしれませんが親子の問題を解決することはどんどん遠ざかってしまいますし、引きこもり自身が自分の問題を解決することも出来るようになるかどうかとても疑問です。

それよりははるかにインターネットの SNS で友達を作ったり、対戦ゲームで仲間を作ったり、その仲間とリアルに会ったりまたはネットをきっかけとして色んな学習をしたり、ユーチューバーになってみたり、電子出版をしてみたり、そういう経験を積むことの方がはるかにはるかに役に立つことです

バカとハサミは使いよう

昔からバカとハサミは使いようと言います。インターネットというのは人間が作り出した道具の一つに過ぎません。ハサミと同じようなものです。ハサミも使い方を間違えれば手を切ってしまうこともあるし、人を殺すこともできてしまいます。しかしそれはハサミの正しい使い方でないことは子供でも知っています。はさみを使うことによって、作業の効率化が図られ時間が生み出され、無駄な時間に苦しむこともなくなります。

インターネットも同じことです。使い方を間違ってしまうと大勢の人が死ぬこともあります。自分が苦しむこともあります。でも正しい使い方をすれば、残念ながら正しい使い方というのはどんどん変わってきますけれども、それでも正しい使い方をすれば昭和の時代には手が届かなかった雲の上の人とも知り合うことができるばかりか、コンタクトを取って一週間以内に会うこともでき、友達になることもできます。

それは日本人に限りません。私自身はどうしても会いたい人がいれば飛行機に飛び乗って会いに行きます。事前にインターネットを使ってアポイントメントをとっておけば簡単に会うことができますそしていろんな頼みごとをしたり相談をしたりということもできます。

インターネットを使えばほぼ何でもタダ同然で出来るのです。私どもを見つけることは電話と FAX しかない時代にはほぼ不可能だったでしょう。しかしインターネットのおかげで私のものところには私どもが助けたいような人がたくさん来ています。

例えば私どもはインターネットの検索 サイト などに広告を出すことをしません。インターネット広告では確かに集客は出来るのですが残念ながら質が悪いお客様しか集まらないのです。

言い換えれば8050問題でインターネット広告を出している業者さんたちは質が悪いお客さんからお金を搾り取る悪徳業者が紛れ込んでいる可能性がかなり高いのです。

テレビ広告に比べればマシとはいえインターネット広告というのも、メンテナンスを適切に行わなかったならば単なる金食い虫にしかなりません。一方メンテナンスを適切に行おうとするならばインターネット広告に精通している人間を0.5人ぐらい貼り付けておかなければいけません。年間費用として広告費と合わせて少なくとも500万円から一千万円ぐらいかかります。

全ての経済活動の支払いはお客様から頂くことになります。自腹を切って広告を出すという人はいません。一般的には販売管理費広告宣伝費として費用計上されサービスの提供料金の中にインクルードされます。

つまりお金のかかる広告を出せば出すほど、同じ料金体系であれば低レベルなサービスしか受けられないことになります。ならざるを得ません。十分注意していただきたいポイントだろうと思います

フリースペースの危険性

フリースペースの危険性について少しだけ見識を申し上げておきます。引きこもりの多くは精神障害者ですそれは精神科で認定されていなかったとしても何らかの精神疾患を抱えています。

もっと簡単に言うならば真面目すぎる、とか繊細すぎる人たちが多いのです。この特質は本来日本においては美徳とされています。

ただ繊細すぎるが故に傷つきやすくコミュニケーションの取り方や人との距離の置き方がわからなかったり、引きこもりが長期化したことにより家族以外の人との接し方が分からなかったりする人が集まってしまう。そこで健全なコミュニケーションを行うことができるようになるとは考えにくいのです。

フリースペースの運営者管理人が人格者であり、かつ人をうまく育てることができれば良いのではないかと淡い期待を抱く藁にもすがる気持ちは理解できます。しかし考えてみてください。国家資格を持った義務教育の現場ですらいじめ問題をはじめとする様々な問題が放置されています。マンツーマンでケアが適切に行われればいいのですが、集団の中ではどうしても落ちこぼれが出てしまいます。

しかもこの集団は社会においては特異な人たちの集まりです。真面目すぎて病気扱いされてしまったような人たちの集まりです。彼らのコミュニケーションは非常に居心地がよく楽しくなるかもしれません。

残念なことに一般の日本社会はそれに比べるとはるかに残酷で、厳しく冷たく、いい加減でデタラメで、人が大切にされることもなく、使い捨てにされ、やりがいを満たしてくれることもなく、褒められることもなく、生きづらい世界です

サークル活動で漫画を書くのと漫画家としてデビューしてそれで生活を成り立たせることは全く違います。フリースペースと社会で働いて自活するということの間をつなぐものが存在していません。

どうステップアップしてったら引きこもりが社会参画できるようになるのかその回答が示されていない状況で、愚にもつかないフリースペースなどというものを作ればまるですべてが解決するかのようなことを推進している人たちを残念に思います。

引きこもりの人の多くは引きこもった時点で時計の針が止まっている人がいます。ですからそこから3年5年10年20年経った現在の自分の姿を客観視することができません。できないというよりしたくないという人も少なくありません。それはとても恐ろしいことでありその勇気が持てないのです。

引きこもりの当事者には十分なカウンセリングが第一に必要です。その過程を飛ばしてフリースペースであるとか、作業場であるとか、ヨットスクール的な場所であるとか、強制的な社会コミュニケーションを行なったならば、彼らは心の底から落ち込んでしまい二度と立ち直れなくなる危険性があります。

教育を受けたカウンセラーと違い、一般の人は相手の気持ちを推し量るとか尊重するということがこんなんです。のみならず精神疾患を持っている人は全く悪気なく他人のあら探しをしてしまいます。愛情があるがゆえに自分の友人にもっとよくなってほしい、本当は自分にとってもっと都合のいい人になってほしい、ということを期待し、それを伝えてしまいます。それは言われた側にとってはとても辛いことですし困難ですし愛されてるとは考えずににくまれていると感じます。

フリースペースを管理する側の人間の資質をコントロールできないというのも大きな問題です。福祉の現場においては非常に少人数で大人数をコントロールしないといけない状況がどこにでもあります。そのため多くの理不尽とも思えるようなルールを作ったり、それで矯正し、あるいはやりたくないことをやらせます。

それが高じて行くと何しろ福祉の現場においては弱い人が集まっているので、その弱みに付け込んで厳しい管理をするようになります。その方が楽だからです。そして楽しいからです。そこが人間の弱さです。

結果としてネグレクトが日常茶飯となり入所者は取り返しのつかない傷を負ったり、命を絶つこともあり得ます。そのリスクを避けることはできません。入所者とセラピストを相当選別しない限り事故は起きてしまいます。

安易なフリースペース設置という動きについて今日は警鐘を鳴らしてみました。是非もう少し慎重な議論をしてほしいものだなあと思います。