バブル期に大量のガハハおやじが登場した。この中には非常に少数の先見の明と行動力と知性を持つ人がいたが、あらかたは張り子の虎であり、超円安と低賃金長時間労働によって生み出された労働集約型製造方式によって安かろう悪かろうのメイドインジャパン製品が先進国で爆発的に売れたことにより威張れるようになった人々だった。

当時女性の人権などと言うものはほとんどなく、行儀見習い的に就職はするが30歳までに誰か同僚などを見つけて寿退社することを半分強制されており、職場の花として生きることがよしとされた。朝出社すると女性社員は全社員の机の上を雑巾がけし、上司たちにお茶や新聞を配り、ほとんどの時間を屈辱的な雑用をさせられる運命だった。

ほとんどの女性にとっての勝ち組、というのは、莫大な年収があって家庭を顧みることのない人との結婚による専業主婦でありすでに少子化が始まっていたので、せいぜい3人程度の子供を産み、洗濯機や冷蔵庫などの普及によって家事は数パーセントに削減されたのだが、ありあまる時間をおけいこ事や長電話で消費していた。

ガハハオヤジは、知性もないのに偉くなってしまったが、世の中の好景気が続いていたため、中卒や高卒であってもそれなりのポストに就くことができた。現在は跡形もないが、家電店(量販店ではない)を管轄するために、各メーカーは営業所を次々と作り、三重のような県にも2か所くらい、北海道で10か所近くあった。全国で100近い営業所が存在していた。

そうしたメーカーの販売会社では、営業所長になれないと課長、部長というライン長になれない、という不文律ができていたりしたもんだから、インターネットの時代になると、インターネット営業所、とか電話営業営業所とかいう聞きなれない、というよりダサい名称の営業所がずいぶん作られた。本当に上から下まで稚拙極まりない、会社ごっこの世界である。

ガハハオヤジで、少し知性があると威張っているものは、司馬遼太郎や、さまざまな会社の上司向けアンチョコ新書などを読み「井戸は出るまで掘れ」「エスキモーに冷蔵庫を売れ」「101匹目の猿を信じろ」とでたらめなマーケティング手法を列挙し、雪だるま式に赤字を積み上げていった。しかしなぜか赤字を出すほど、失敗商品を担当するほど出世していった。

それは事業が失敗すると、責任者だけが左遷、更迭され、残ったものは温情出世をされるということで、たまさま、出来が悪くて低成長分野に回されると能力もないのに出世するということが起き、現在の日本企業総崩れの状況に至っている。また、当時は小難しいことはわからなくて当然、という風潮でもあったので、左遷されても高待遇で渡りをくりかえしていた。

副業禁止は建前で、会社の上層部ほど、金に飽かせて「自分のお店」を出していたり、友人たちと共同で店を持ち、会社の経費をその店に落とすというようなマネーロンダリングを行っていた。そう、副業禁止どころか、偉くなったら利益誘導をするのが当然、と考えていた。そうした人たちの息子たちが現在の政治家や官僚になり利益誘導を平気で行うようになっている。

ガハハオヤジは、能力がないが決断力は早い。しかしその決断力は自分の目先の利益誘導に目がくらんでいるため、会社に甚大な被害を及ぼすことが多かった。それでもなんら責任に問われることはなかったのだ。だからして、ゴーン被告が多額の金銭を着服して背任容疑に問われているが、あれこそまさに日本の企業体質であり、外国人だから捕まったのに過ぎない。

ある有名企業の社長と、関連会社200社のホームページ代行政策を行うために呼ばれて話をしている最中電話がその社長の外線がなった。「ちょっと、すまんな。ほい、私だが。おお、なんだ、お前か。ああ、その件か。それでどうなった。そうか、そうか。そしたら、わしが200万出してやる。それで、その上のやつを買ったらいい。それでいいじゃないか」

なんと簡潔な電話だろう。右から左に200万円で、あっという間に話がついてしまった。さすがに実行力がある人と言うのは違うのだろう。「どういった電話ですか?」「ああ、いや、息子からだ。車を買うというのでな」。その社長は60歳を過ぎていただろうから、息子もアラサーというところか。それが親がかりで車を買ってもらうというのはどんなものだろう。

しかも口のきき方があまりにも当時としても横柄であった。通常、会社では威張り散らしているような人格障害を疑われるような人であっても、家庭からの電話となると豹変して、猫なで声に変わったり優しい態度になったりするものだが、まるで虫けら扱いで、相手の気持ちを潰すような「それでいいじゃないか」という殺し文句を言う。

この社長は筆者が大ディスカウントで提示した500万円という、かなり乱暴な見積もりを飲むことはなく、考えさせてくれ、と追い返された。詳細の説明はさえぎられ、提案書は強奪され、ありがとう、でもご苦労さんでもなかった。しばらくして、そういえば社長あの話は、と切り出したところ、ああ、あれか。あの企画書はよくできていたな。あれを出入りの業者に見せたら300万円でやるというんだ。だからそこに任せたよ。

全くでたらめな話である。その提案書はタダではない。3週間の労力をかけ、さまざまなところに裏をとったり作業してもらったり取りまとめたりして作ったもので、提案書だけの価値としても100万円はくだらない。のみならず、300万円で実現できるわけがないのだ。筆者がその時頭に浮かんだのは「200万円回してやるから」という車の代金のことだ。

その後、その会社のもう少し下の人に会うことができたので「ところであのプロジェクトはどうなりましたかね」「ああ、鴻巣さんもあの話に関係していたんですか? なんかどこかの会社からできっこない提案書を渡されて、300万円でやれと言われた会社が、結局3か月経ってもできなくて、追加費用を400万円払ったんですが、もうたぶん空中分解ですかね」

そんなでたらめなことでいいのか? いいんです。この業界で有名なのはみずほ銀行の金融システムというのがあって、旧富士銀行と第一勧銀のシステム統合が何年かかってもお互いの会社のメンツがどうのといって出来上がらなくて、しばしばシステムトラブルを起こしたり停止したりしているけれども、もう、この事案には関わりたくないという会社ばかり、というデスマーチ案件もあるくらいで。

生産性改革プロジェクトの納期が2年遅れて時代に合わなくなった、というような話は本当にめずらしくなくて、そういうのも何も、ターゲットや顧客目線がゼロで、プロジェクトマネジャーが社内のボンクラ数人で、というような話に帰結する。筆者に任せてくれれば、国中のあらゆるプロジェクトを解決する自信と実績があるのだが、一方で、筆者の人生をそのようなくだらないものに消費され消耗されてはたまったものではない、とも思う。

バブルガハハおやじにはゆめゆめ近づくことなかれ。家族を精神疾患にし、ひきこもりを製造し、一家離散案件、老齢離婚問題の起点でもあったりし、部下になった人はつぶれていき、会社をやめてしまうと誰も慕ってくれなくなる、という悲しい人たちだ。そういう人たちが数千万人いる国が機能不全を起こしているのもしかたないとは思うのである。