山田太一、というTVドラマ作家をご存知でしょうか。いくつもの名作ドラマを産み出した、しかも、非常にメッセージ性の強い、心を揺さぶる物語を紡ぎだしたTVドラマ作家で、今でこそ、幾人ものテレビドラマ作家はおりますけれども、倉田聡と並び、草分け的な存在だったように思います。

その山田太一の出世作「男たちの旅路」シリーズがNHKで放送されたのは私がまだ小学生の頃だったと思います。このドラマは未だにDVDで入手できる超ロングセラーになっていますが、それだけ道徳的なメッセージ性も強かったですし、配役が素晴らしかった。物語の舞台は警備会社でした。

主役は鶴田浩二です。ヤクザ映画でならした俳優が晩年になって良い人の役になるのですから不思議ではあるのですが、実際は山田太一が鶴田浩二と面談したところ、鶴田さんの戦争体験の思いがほとばしって、これを物語の軸の一つにしようと考えたのだそうです。

主人公の鶴田浩二は司令捕という階級で、警備員の階級は、警備士、先任警備士、先任長、士長捕、士長、司令捕、司令、司令長、警備長、となっていますから、会社で言えば課長と部長の中間ぐらいです。部下に新人で水谷豊と森田健作が入ってきます。本当は森田健作がストーリーテーラーでしたが、水谷豊の天真爛漫ぶりが冴えて、事実上の主役になりました。

このDVDは本当に面白いです。水谷豊の演技が青年時代と今や代名詞と言ってもいいテレビ朝日系列の人気テレビドラマ「相棒」と全く変わってないところもあるところが、逆に新鮮に思えると思います。一つ例を挙げるとすると、なぜか、直角にからだの向きを変えるのですね。動き方が俳優養成学校っぽいのです。そして忘れもしない鮮烈な第一話。単純作業で毎日が退屈で生きている気がしなくなって、自殺の名所で飛び降り自殺をはかろうとする桃井かおりです。

ちなみにその自殺の名所ビルはもうすぐ取り壊そうとしている渋谷のNHK放送センターだったのですが。もちろんドラマのロケ地として、名誉ではありませんし、当時高いオフィスビルがそんなにたくさんあったわけでもないので、放送局の中で役者さんたちが鬼ごっこをやっているシーンが見られるという意味でも面白いですし、現在の姿になる前の東京の風景もかいま見ることができるので、そんな楽しみもあるビデオです。

このシリーズでは第四シリーズとスペシャルまで作られ、全部で13話あるのですが、現在にも共通するテーマがたくさんある、本当に見ておくべきシリーズドラマだと思います。テレビ朝日の「相棒」がそうであるように水谷豊さんという役者さんは、他の個性派俳優と組む事で化学反応を起こして見ている人をワクワクさせる、そんな希有なキャラクターなんだなー、ということを再発見できるという点でもオススメですね。

運命の巡り合わせが怖いなあ、と思うのはいろんな場所で仕事ができる警備員ておもしろそうだな、と昭和の終わり頃、5年近く警備会社で働いたのですが、本当に自殺の名所で飛び降り自殺を止める、という仕事をすることになってしまったのですね。もっと言えばドラマに出てくるような仕事をほとんど経験する事になったのです。

昭和の終わり頃は社会全体がハイテンションで、殴り合いの喧嘩というのも日常風景でした。同僚でタレントの追っかけに殴られて血まみれになった人もいましたし、有名なプロレスラーに殴られた人もいました。モラルとか想像力とかが欠けていた時代かもしれません。自殺の名所XX団地でまた24歳OLが自殺というような記事が新聞に良く出ていて、私はそこの隊長で行っていました。

今もそうですが、警備会社はとても出入りが激しいのです。24時間連続勤務のことを当務勤務と呼び、だいたい0時から8時までの8時間の間、二人が交代で仮眠を取るのです。すとんと眠れて寝起きもいい人には向いていると言えますが、こんなものを続けていると身体がどんどん参ってきて、すべてがどうでもよくなってしまい、急に会社から消える人がよくいたものです。ですから3ヶ月もいるとベテラン扱いになり、2年すると隊長になるのです。

ビルの非常階段は当時は施錠ができなかったのです。今は、内側からだけ開くようなドアとか、マンションの人だけが持っている鍵を入れないと開かない扉とかありますが、当時はそれもなかったので、定期的に巡回することで防ぐ事ができました。そう、今は、すごく簡単に死んじゃうようになりましたが、昔は例えば橋から飛び降りる時とかには靴を脱いで揃えて、場合によっては遺書も添えて落ちたのです。

なんとなく、そういう作法とか、ためらいみたいなものがあった時代です。8階建てのビルの6階で保護した人は、一フロア上がるごとにタバコを一本吸っていました。交代要因の隊長は、一回巡回をサボったために、柵の外側で捕まえたそうです。階段を駆け上がれば3分で死ぬ事ができるけど、そうする人は滅多にいない。滅多にいないけど、時々はいる。

しかし私たちの巡回は契約で15分に一回となっていました。幸いなことに、私が隊長を務めていた期間、私だけで夜間巡回をしていた期間には一人の怪我も死者もいませんでした。ただそのビルが契約を打ち切った翌々日に、一人亡くなりました。そして会社は再契約を取る事ができたのです。当時は、カウンセリングにも、「死にたい人」にも興味はなく、警察に引き渡して終わり、という仕事でした。

私たちが警備をしている間は一人の死傷者も出さなかった。仕事としては合格です。ただ、それで充分だったのか、なんともやりきれない感じもしてしまいます。死のうという人は、一度は下見にくるものです。それに、警備が厳重だなというと場所を変える人もいるでしょう。実際、別の日の報告書を読むと、自殺未遂を繰り返している人だった、という話もありました。

救えた命、救えなかった命、両方があります。救おうとすれば救えた筈の命がいくつもあります。一方で、第六感が働いて辛うじてつなぎ止めた命というのもあります。あるいは文字通り力づくで救助したこともあります。

同じ一言でも、誰から言われるか、どんなタイミングで言われるか、すごく気分が落ち込んでいる時にたまたまとても信頼している人からそっけなくされてしまった、たったそれだけのことで、運が悪いと死んでしまう事もある。そうであっても運がよくて助けてもらえたり、助かることもある。答えがあるわけではないのです。

若くして近しい人が亡くなると、何かしてあげられたのではないか、と思ってしまう事もありますが、それはある意味寿命だったと考えるようにするのが良いでしょう。私たちでさえ、永遠に生きる事はできません。いずれ死にます。少しだけ早く死んでしまった、というだけのことなのですね。