8050問題、というのが「8050問題」(はちまるごおまるもんだい)として、半年前と比べて少し認知度が上がってきました。そうしましたら困ったもので、雨後のタケノコのように(ということわざは知っているのですが、実際そうなのかは見たことがないんですが)「8050問題解決を約束!」などという詐欺会社が出てき始めていて、「なんだかなあ」と思います。

まず、問題の深刻度を理解していないですね。この問題は30年前には「ないことになっていた」問題なんです。それが今年三月に国が調査結果として公表し三月末の新聞各紙の1面トップを飾った、61万人という数字なんですね。この数値や調査方法には私どもとしては非常に問題があると思うのですけれども、とにかく少なくとも国のお墨付き、ということでは日本に60万人あまたの「高齢ニート」なり「中高年ニート」という人たちがいるぞ、ということになったわけです。

単純計算して、30分に一人、新しい「中高年ニート」が誕生しているよ、という話です。毎日55人が誕生日を迎えて「ニート」から「中高年ニート」にアップグレードしちゃうんです。(実はは毎日それより多い人たちが65歳を迎えて統計からは消えます)

しかも、その中高年ニートが増える割合、というのは、実感としてはここ数年顕著なんですね。その理由はこのブログを毎日お読みいただいている人にはお分かりだと思いますが、中国・インド経済に押しつぶされた日本経済の犠牲となっていなくなっていく中高年正社員にあります。

はい、言葉を選びました。「リストラ」って変なんですよね。「リストラクチャー」の略語だとしたら「再構築」っていうことで、たとえば配置転換とか再教育とかで、人間を雇い止めにしたり、給料を大幅に下げたりって必要はどこにもないし、給料が高すぎた、というなら、その会社のガバナンス統治ってどうなってるの? って話なんですね。

ちょっと難しい話をしちゃいましたけど、本来のリストラって、ネガティブな言葉じゃなくって、もっとポジティブな言葉なんです。私どもがやっている仕事もリストラクチャーですから。8050問題解決は本来の意味のリストラなんですね。親子とか社会との関係性を構築しなおす、ってことですから。

なんだか映画のターミネーターのように「リボーン」て言わないといけないんでしょうか? でもリボーンだと一度死ななきゃいけないって話です。要するにリセットボタンって話ですよね。「人生にリセットボタンはない」っていうのは、私どものあるカウンセラーさんが、昭和末期に出版した本に書いた名言だと思っています。

あったらいいな、と思う人はたくさんいますが、リセットボタンもタイムマシンも存在しない。だから、私たちは自分のあるがままを受け入れて、そのうえで考え方や感じ方だけはリセットして、自分の古びた身体を使ってたてなおさないといけない。

「あのときああすればよかったなあ」「親にあんなこといわれなければ」「時計の針を巻き戻せれば」「子供にあのときこんなことを言わなければ」。

私どもはそういう話を毎日のようにお伺いします。いや、むしろ毎日のように耳にしたいのです。親御さんが謙虚になって、あるいはお子様(というにはもちろんお年を召していらっしゃいますけれども)が自分の昔のことを思いやって、お子様のその当時の心の声に耳を傾けていただければ、8050問題なり8050問題、あるいは7040問題や7040問題だって、解決に大きく前進できるのです。

しかし、8050問題や7040問題の当事者である親御さんやお子様が、「自分は何も悪くない、悪いのは社会だ、ブラック企業の上司だ、 学校だ、 学校の先生だ、○○のせいで私たちはこうなった」といい続けている限り、問題の解決はどんどん遠のいてしまうばかりです。

パチンコで負けたのは風俗営業法で「ぱちんこ」を定義している国のせいだ、負けた200万円を返せ!! 地方にはパチンコぐらいしか娯楽がないから、それで手取り年収がなくなっちゃうなんて理不尽だ、許せない!! とみんなで徒党を組んで、政治家を動かして大騒ぎして、貴重な税金を使って調査したりしたら何か解決すると思いますか? 

たとえば、国から一人200万円ずつ戻ってくるかもしれません。でもその間に20年という時が流れてしまうとしたら、どうですか? 皆さんが考える解決って何ですか?

8050問題の特に注目されている人たちが「持ち上がり」。つまりおおむね30歳までに、「学校のいじめ」「会社での非人道的に感じられる体験」「就職がなかった(就職氷河期)」「病気や大ケガ」などで引きこもり状態となったのがきっかけで、そこから20年、というようなケースです。

内閣府が言うところの、7年以上の引きこもりが30万人前後、という話です。「引きこもり問題」を他人事として考えている人がこのデータだけ見たら「一度引きこもりになると抜け出るのはとてつもなく大変」「若年ニートが解決できないのに8050問題の解決なんて無理」と思ってしまうかもしれません。

しかし、これには一般論としてもからくりがあることを、現場の人間は知っていますので、今述べたような錯覚はなさらないようにお願いします。ただニート問題の解決は当事者にとってもエネルギーが必要なので、あまり高齢化してしまうと、フィジカル(体力)面、メンタル面でも厳しくなるという側面は否めないところがあります。

東京新聞での報道がありましたように、庇護者である親御さんがお亡くなりになって、はじめて引きこもり状態から脱する、というかたもいらっしゃいます。しかし、そのタイミングで周囲の適切なサポートが受けられて、かつ本人に生活力・突破力があればというところで、多くの親御さんたちは非常に不安を抱いていらっしゃるという実情もあります。

とにかく、100万人引きこもりがいたら、100万通りの事情があるのです。そして8050問題の「被害者」、となると、ひきこもりの本人、親、家族、親戚、さらには行政の負担も無視できない状況になりつつあります。

家族や親類は経済的な支援はできても、「ひきこもりのメカニズム」を理解し、ひじょうにこじれている人間関係を交通整理し、「被害」を受けている関係者「それぞれ」の「解決のゴール」をめざしていただくための「プロジェクトリーダー」にはなかなかなれないのですね。

それは、どうしても、自分たちが当事者としてさまざまな事情や問題を現在だけでなく、過去や未来への不安という形で抱えているからなのですね。家族の中でその家族にしかわからない、あるいは家族でも実はよくわからないパワーバランスがあり、電気釜ひとつ買い換えるだけでも大騒ぎ、というような家庭も珍しくないのです。

嫡男ということばとか嫡子という言葉がまだ残っているように、昔はどの家も天皇家のように、長男が父亡き後は家長となって葬式から何からすべてを仕切る、という慣わしがありましたし、未だに先祖代々の墓には嫡子だけしか入れない、というような家もあります。

また、嫡男の習慣は未だに日本中に残っていて、天皇家もそうすればいいじゃない、という議論があるように、もともと日本の商家などでは、家が栄えたら、それなりの「家柄」の人に来てもらって娘しかいない家でも婿養子で代をつないでいく、というのが当たり前に行われていて、それが美徳とされてすらいました。そういう落語も語り継がれています。

けれども、今では家族の揉め事は家庭裁判所で解決しましょう、みたいになってしまっていて、おそらくそういった場所では、日々骨肉の争い、みたいなものが繰り広げられていて、みんないやになってしまっている、という状況なのでしょう。

私に関しては、「自殺の名所」というのが週刊誌や新聞で報道されていた時代から、その名所、なるところで、その仕事の責任者としてあしかけ二年近く、24時間そういう人を捕まえる、という仕事からはじまって、さまざまな場面でたまたま命を助ける、という場面に遭遇したり、親友がサインを出しているのに見過ごしてしまったということがあったことで、ある程度の予知能力が身についてしまったのですね。

半年ほど前も、何十年も前に、電車がなくなってしまったため一晩だけ泊めもらった学生時代の友達の母親が、突然夢に出てきて、どうしても気になったのでその次の休みの日に車を飛ばして、もう町はまったく変わってしまって、でも1時間ぐらいぐるぐる回ってようやくたどり着いた家は雨戸がぴたっ。

どうしたものか、と思ったら、隣家の人がたまたま散歩にでかけるところだったので、たずねてみたところ、先週お亡くなりになった、と。私自身はいろいろな特殊能力を持っていて、それは職業由来のものもあるので、「またか」です。

ですから、手を握っただけで、その人の歩んできた道が見えてしまう人とか、霊が見える、という人とも不思議にやたらに会いますし、そういう人がいたとしてもそうなんだろうなあ、としか思えないです。

5000円くらいの宝くじによく当たるんです、という人にも会いましたし、数え切れないくらい、不思議な人に会っています。人と会う仕事をしていたこともありますし、どんな人にあっても驚かないように武者修行をしたこともあります。

「3分間で自己アピールしてください」といわれて3分しゃべると「もっと謙虚にしてください」といわれます。いろいろな才能があって、努力して得たものもあるし、生まれつきできるものもあります。

ただ、これらの能力は、詐欺には使うまい、としているのです。他人を幸せにすることに使おう、他人を幸せにすることで自分が幸せになろう、そう考えています。「そんな聖人君子みたいな人がいるわけないよ」ということは、たびたび言われることですがみんなが「ありえない」と思うだろうことをやり遂げる人がたくさんテレビとか映画とかYoutubeとかに出てきますよね。

しかし、そんな私であっても、「8050問題」は、かなり高いハードルです。さまざまな社会問題が背景として複雑に絡み合っている、あるいは、個人や家族の問題が横たわっている、「ピーマン食べられない人」のようにピーマンだけよりわけるように、さまざまな問題の中から「8050問題」「だけ」解決できるのでしょうか?

「誰のせいでもないかもしれない」問題を解決できますか?

さまざまな施設や統計が30歳で区切っていたり、40歳で区切っていたりするのは、一応の根拠があっての話なんですよね。それは40OVERまで社会人としてバリバリに働いていた人にはすごくよくわかる理由ですよ。働いたことがないひとにはわかりません。アラサーの人たちをいくら養成してもカウンセラーにすらなれません。

日本の中で車が右側通行で走っていたんだよ、というところから教えて何年かかりますか?