8050問題における一番大きな誤解は、「親が解決できるはず」「親が解決しないのが悪い」あるいは「親が悪い」、というところにあります。「親が悪い」のはそのとおりなんですが、親は8050問題の当事者であって、当事者で解決するのはほぼ不可能です。自力救済しか方法がなく、その際たる解決方法が、「子殺し」「勘当」となります。

8050問題の元凶は「悪い親」

このブログで何度も述べているように、8050問題の元凶であり一番の原因は、世間的には「ふつうの親」の皮をかぶっている「悪い親」「情けない親」「子供の人生よりも自分のプライドや自尊心が大事な親」です。

もっと単純に言えば「子供の真の幸せを応援しない親」。しかし、こういうと誤解を招き「子供の幸せを考えない親なんかいない」「子どものために私はこんなに犠牲を払ってきた」「出産の苦しみを知らない若僧の男にそんなことを言う資格はない」と激しい言葉を浴びせてきます。

私は、子供の幸せを考えない親を非難するつもりはありません。人間は、基本的には、まずは自分の命を自分で守ること、次にパートナー、そして子ども、そして親、友達、隣人、親戚の順に、余裕があるならば命を助けるのはいいことです。

他人の生き方や、価値観に口を挟むのは控えなければいけません。そんな権利は誰にもありません。子どもは親の命令に従う義務はありません。子供の行動をすべて束縛し、支配しようとする親がこの国には多すぎます。そのためその異常性に誰も気づけない状況になっています。

クリスマスはオワコン

昨日はクリスマスでしたね。昔のクリスマスは、親が子どもがほしいであろうものを、勝手に押し付けたものです。今は、子どもがほしいものを伝えたり、現金や現金に近いもの(POSAカードとか)を贈る人もいます。

「気持ちだけもらっておく」という言葉があります。もうモノはいらない、という気持ちもありますね。非常に多くのものが100円ショップで買えてしまう今、他人にモノをあげること自体がかなり失礼なことです。

戦争やオイルショックなどものがない時代を体験した80代の人たちはゴミ屋敷に住んでいる人が大半で、物が捨てられないのです。困ったことに彼らが大事だと思うものは改良されて1000円以下で買えるようになり、彼らがゴミだと思うものに価値が出ています。浮世絵のようなものです。

「気持ち」ならばいいのか、といえば、それも違います。気持ちは迷惑なのです。代々伝わる高級ななんちゃら、は迷惑です。使い捨てできるようなものがありがたい。キッチンペーパーとかトイレットペーパーとか。もちろんクリスマスプレゼントとしては失格ですが。

まあ、クリスマスも「オワコン」なのでしょう。街もかぼちゃ祭りほどの賑わいはありません。ほとんどの国はクリスマスと新年を一緒に祝うのですが、高齢者が人口の半分を超える地域もたくさんある日本では、「年を取ること」をいちいちお祝いしていられない、というムードがあります。

幸せは自分でつかむもの

幸せは他人が与えることができません。幸せは自分でつかむものです。あるいは今の状態が幸せだと思えるように努力することです。努力によってしか人は幸せになることはできません。生まれながらに幸せ、ということはないのです。

昔は違いました。幸せは記号でした。「好きなときにカツ丼が食える幸せ」「オープンハートのアクセサリー」「ブランドもののバッグ」「カシミアのセーター」「豪華な着物」「外車」「高級時計」「郊外の庭付き一戸建て」「3億円の預金通帳」。

未だに、そうした単なる記号にこだわるのは「老人」たちです。そういう老人たちに洗脳されると、20代でも「老人」になってしまいます。非常に悲しいことに、記号でしか幸せを実感できない人たちは、本当の幸せをつかむことができません。そして、とてもとてもめんどくさいです。

そうした記号を振り回す方のカウンセリングはお断りしています。保守的すぎるからです。「モノ」が幸せの記号であった時代はブラウン管のiMacの時代に終わったか、あるいはクラシックと呼ばれる前のiPodの時代で終わったのだろうと思います。

幸せの基準は自分で決めるもの。他人に評価してもらうものではなく自分が評価するもの。それは人によって違います。それはおしつけてはいけないし、押し付けられるのはもっといけない。それを日常的にしているとどちらかが壊れてしまいます。

生まれながらにお金持ちの人にとっては、お金は幸せの象徴ではなく、むしろ邪魔なものです。幸せそうな出自の人はとても不幸です。そして人間は年を取ることで様々なものを失い、能力が衰え、妥協の心がなかったならば不幸せになるしかなくなります。

幸せは他人から与えられるものではない。同時に、妥協すること、自分を許すこと、完璧を目指さないこと、「あたりまえ」なぞ何もないこと、そして他人を赦すこと。そこから生まれる感覚です。

ほとんどの日本人は、太平洋戦争末期の日本人よりはとにかく幸せです。いくらでも好きなものが食べられるし、何より命の危険がほとんどない。とても幸せな時代のはずなのに、不幸そうな顔をしている人が多いのはなぜなのか? 他人を不幸にすることでしか幸せになれない人が多すぎるせいかもしれません。

親の幸せは諦めてもらうこと

8050問題において、親御さんとはとことんまで話あい、2つのことができてはじめて問題解決への門戸が開かれます。一つは、凝り固まっている「子どもにあってほしい姿」「親が願う子供の幸せ像」を諦めてもらうこと。そして、親自身が大きく変わること、です。

ほとんどの親御さんは「これで80年間生きてきた。今更変われない」と大嘘を言います。そんなはずはないのです。教科書に黒塗りしたり、富国強兵から自由主義に国の体制が変わっているのですから、時代や立場に応じてどんどん変わっていったし、施設などに入所したら、強制的に職員が管理しやすいように奴隷のように変えさせられるのですから。

自分が変わるのがめんどくさいから、子どもが変わってほしい、というのは傲慢でしかありません。10歳くらいの子どもならばまだしも、50歳代、60に手が届こうというような人こそなかなか変われません。

引きこもりになってしまうお子様の親ごさんは「過保護」「過干渉」の人が少なくありません。要は「子離れ」していないのです。私どもは、「子離れ」してもらうことで、お子様の将来の幸せを確保するための社会性をつけるお手伝いをします。

親御さんにしてみれば「子どもを奪われる」ことになります。でも、それは諦めていただかないと。本来は中学二年生前後に自我が生まれ反抗期というのが起きる。そこから、子供の人格を認め、子どもとして可愛がることをやめないと大変なことになる。

ところが、今は非常に多くの大学の入学式に親が同伴で来る。とても気持ち悪い社会になってしまいました。あげく入社式にまで来たり、会社に怒鳴り込む親までいるという。ここまで世の中がおかしくなってしまうと、封建時代に戻ってしまったように感じてしまいますね。

「引きこもり親の会」が何十年も活動して成果を出していない結果として8050問題になってしまった。その罪は非常に重いのです。8050問題の調査は行われましたが、竜頭蛇尾でした。来年こそ8050問題解決元年として、リソースを膨らませていく所存です。