80世代の高齢者のほとんどは、知性的であっても、テレビとか新聞ばかり見ている人は、考える力、理解する力、社会の仕組み、何も理解できません。人として終わっています。しかしその自覚がないため、日々そうした人に接触している人たちは本当に辛い思いをしています。
まず、無駄に話が長いのです。若者たちにとってはまるで役に立たない無駄情報を延々としゃべるのです。しかも、その情報ソースはテレビや新聞です。テレビや新聞のニュースやライフハックなどは、ほとんどインターネットで、それより前に公開されているか、あるいはまとめサイトなどでテレビや新聞より詳しくまとめられていますから、若者には本当に不要なのです。
だいたい私は、80歳の老人の2000倍くらいの処理能力と経験値があり、20代から90代までのかたとほとんどすぐに話ができるようになりますし、外国人も含めてコミュニケーションは得意です。
ところが、80歳代の人は、自分と同世代の人としか会話ができないのです。世代が違う人の話題に合わせるとかついていくために努力する、という人が稀にいますけれども、本当に稀で、数えるほどしか知りません。
実際のところ、ほとんどの老人にとって、若者が興味を持つような話ができる人はいないんですね。
存在自体が邪魔な存在
ジジイやババアは、存在しているだけで、とても圧を感じてしまって、若者からみればとても不愉快な空間になってしまいます。私はコミュニケーションがうまいのでそういう話を聞くことができるのですが、ほとんどの高齢者にそんなことを面と向かっていう若者は皆無です。
皆無だからといって、そう思っていないわけではないのです。誰にでもわかることはわざわざ口に出しませんし、メリットがないことは言わない。言っても何も変わらないのであれば言ってもしかたないですし、時間を奪われるのはもっと不愉快、さらに説教など食らった日には・・・。
実際のところこの国の80代のほとんどは、もう30年以上もの間、誰からも説教をされることなく、自分は説教をやたらして、好き勝手に生きてきているのです。そういう天真爛漫な人のお子さんはたいていひきこもりです。
だって、社会的に無益な人が威張りまくっていて、自分たちはすごく努力して僅かなお金しかもらえないのに、説教されまくるわ、自分たちは反省しないわ、ですもん。そりゃ、まともに働くのがバカバカしくなります。
機嫌の悪いジジイはゴミ
私どもは、ジジイ世代のためにご機嫌をとることをずっと強制されてきたのですが、今の若い人は、やはり自分を一番大事に考える、という正しいことができるので、ジジイとは接触を極力避けます。
年齢的にはジジイではないけれども、心がジジイ、とか心がおばさん、という人はたくさんいて、そういう人ともとてもつきあっていられない。つまらないし、時間の無駄ですから。ゲームでもしていたほうがはるかに楽しいし、有効な時間の使い方に思えます。
ですから、年をとっているだけで尊敬される時代は終わってしまったので。ジジイで、ため息ばかりついている人は本当にダメなんですね。年取って、体があちこち悪くなって、しかたないじゃないか、と言いますがね。それは若者だって辛いことだってあるんです。でも、サービス業でため息ついていたら職につけませんからね。
80世代と同居している人たちは、そうした「社会的にはクズとみなされる人間の影響を強く受けてしまう」という大変なデメリットがあります。しぐさや言葉遣いが年寄り臭く、ポジティブシンキングではなく、一緒にいてもいたたまれないのです。
人間として接するのすらめんどくさい、という状態になっていたとしたら、それは就職どころではありませんし、恋人どころか友達すらできません。
本人の努力ゼロでは解決しない
8050問題がなかなか解決しないのは、当事者が努力をしないからです。この場合、当事者、というのは、ひきこもりの本人だけでなく、親や家族、親類縁者一同です。
努力ゼロでは、いくら専門家を連れてこようが、お金を払おうが、行政にすがろうが、状況を変えることは不可能です。8050問題では親も孤立している場合が多く、親に友達がいないことが顕著に見られます。
親はコミュニティに積極的に参加するようになれる人もいるのですが、友達ができないんですね。一緒に遊びにいったり、相談したり、という友達はできない。
「友達ができないんですけれどもどうすればいいですか?」。そりゃそうです。人間的魅力がない人に友達はできないです。友達であることで相手がメリットを感じなければ友達にはなれないです。
親に人間的魅力がなく、謙虚ですらなく、大いばりで、うちの子がひきこっもりになっちゃったんだが、なんとかならんもんか、と、連絡してくるかたもいるのですが。親御さんがそういう態度では、お子さんを治すことは不可能なんですね。
努力は報われます
友達を作るのはとてもかんたんです。でも、最初の一人を作るためにはとてもとても努力をしないといけない。自分をどんどん変えて、バージョンアップして、磨いて、脱皮して、勉強して、学習して、真似して、努力して努力して、本当に血と汗と涙の結晶で友達を作ることができます。
そのためには、他人ににこやかに、できるだけの奉仕をしなければなりません。爪を切るとか、身だしなみを整えるとか、言葉遣いを改めるとか、相手を思いやるとか、自分を客観視するとか、大変なんです。
ところが、80世代は、「どうせあと数年で死ぬんだから、今更努力なんかしたくない」などと言うのです。そして、ひきこもりの子供も「親が死んだら私も生きていけないからいまさら努力なんかしたくない」と思うのです。
なんだかんだいって努力しないわけです。努力しない人に幸せは訪れません。努力したくない人の支援もできません。当たり前の話です。でもそんな当たり前の話も、孤立して生きている人たちには理解できない話なんですね。
努力しない人からは逃げましょう
努力する気がない人からは全力で逃げないといけません。とりつかれて、大変なことになってしまいます。生活を破壊されてしまいます。若者たちは「ああ、この人はめんどくさい人だ」とわかったときにみんなが言う言葉があります。
「色々教えて下さいね」
あんた、話長いんだよ、メリットなんかないんだよ、消えてくんないかな、という意味ですね。「色々教えて下さいね」と言った人と二度と合うことはありません。もうその場所にこなくなるんですね。
京都近辺で育った方は、こういう話をよく理解していただけるのですが。3分で終わる話を年寄りには30分かけて話しても、ぜんぜん理解できなくて、何度も何度も同じことを繰り返されて、何度も何度も同じ質問をされます。
メモを取らない年寄りは、本当に役にたちませんね。せめてにこやかにしていていただきたいものです。