小さな子どもたちがよく知っていて、大人たちがすっかり忘れていることがあります。家族は全くの他人同士であり、お互いのことをよく知りもしないし、多くの場合それほど興味もない、ということです。

あなたは家族の何を知っていますか

私どもは、なるべく、複数のご家族の方と同時に面談することは避けるようにしています。利益相反取引の禁止はもちろんのことなのですが、家族間の目に見えない、語られることのない歴史からくる力関係のせいで、面談の成果が出てこないことがほとんどだからです。

そもそもほとんどの家族が同じ船にのっているわけではありません。まれに自営業や職人で、親と同じ仕事、というケースはあります。しかしほとんどの場合、親子で仕事をしていることはありません。

これは本当に親子なのか、というくらい互いにドライであればうまくいくのでしょうが、非常に横暴な親の影で辛酸をなめている二代目というのも珍しくはなく、そうしたことを考えあわわせると問題を抱えていない家族はいない、ともいえるでしょう。

ほとんどの場合、仕事をしている時間のほうが長いですから、社会人の場合、親や兄弟より同僚や部下たちのほうが、その人のことを多く見ているということは言えます。

また、恋人やパートナーには自分の姿を見せますから、そうした親しい人がいれば、その人のほうが、はるかに単なる血縁関係にあるような人、単なる肉親よりその人のことを知っているはずです。

子供の幸せより親のプライド

多くの場合、依頼主であるお子様は、横暴である親御さんが自分に行ってきた何行苦行や憎しみに満ちた行為、暴力的な言葉、無関心な行為に対して憤りを持ちつづけており、それが癒やされることがないままに今に至っている、憎しみとなるか、心が完全に折れるかした状態になっていたりもします。

しかし、その内容をダイレクトに親御さんにぶつけたところで「子供を大事に思わない親なんかいない」「親が子供のことは一番知っている」「あかの他人に言われる筋合いがない」と判で押したような答えが待っていて、子どもたちもろとも、私どもを消し去ろうとします。

多くの被害者である気の毒なかたがたは、私どもに、自分がいかに親の犠牲になっていたのかをわからせてほしい、という依頼をされる場合がありますが、経験上、ほぼ無意味だろうと思われます。

見当識がずれているからなんですね。自分は親だから、子供のためを思って色々とやらなければいけないことをやってきたし、すごくお金もかかってきた。子供からは感謝されてしかるべきで、子供からなぜ口をきいてもらえないのか、引きこもられるのか、全く理解していないのです。

昔の親は子供を殺していた

昔の親は子供を殺すのが当たり前でした。鎌倉時代とかの話ではありません。そういう時代からまだ百年もたっていません。人類の歴史から考えれば本当にごく最近のことです。その映像もたくさん残っています。

第二次世界大戦末期、日本が負け戦であることをほとんどの人が肌で感じていたときに、敵の戦艦に爆弾を持って飛行機もろとも体当りするというとんでもない作戦を考え出し、それをするのが日本男児だ、しなければ非国民だ、と洗脳を行い、赤紙召集令状というのが少年のところにきたのです。

親は、子供を出征させて兵士になってしまったならば、まず生きて帰って一緒に暮らせるようになることが叶わないことは知っていました。お国のために、立派に死になさい、といって、送り出しました。それは近所の人が集まってバンザイをして見送るからなのです。

自分の息子の命よりも、世間体のほうが大事であり、自分自身のほうが大事であり、子供を連れて逃げるというようなことなぞとても考えられないし、現実的でない世界がありました。

国の責任、国の指導者の責任、軍部の責任、それはたしかにあるでしょう。しかし、今日いま現在でも怖いのはこの国にはびこっている同調圧力という魔物です。すべての良識とか常識を狂わせる悪魔です。

けれども、一人ではそれと戦うことはできない。「よそのうちはよそのうち、うちはうち」という価値観、たとえ世界中の人から見放されたとしても、自分が最後の一人となったとしても、自分が一番に救わなければいけない人は救わないといけない、という大原則は守られないといけないのです。

魔物は日本中にいる

同調圧力を作り出してしまうしくみや団体が、日本にはとてもたくさんあります。マスメディアが最たるものでした。さきの戦争でも、軍部の片棒を担いで日本を戦争へと駆り立てたのは大メディアでした。

今でも、一番大きなテレビ局が「XXXは体に良い!」というと、その翌日にはすべての食料品を扱う店の売り場からそれが消え失せるという始末です。同調圧力というのはそれになんとなくのっかっている分には罪の意識もなく、むしろ楽しいからみんなでやろう! という動きになるのです。

しかしながら、それは、一部の人には大きなプレッシャーになっていたり、非常に迷惑だったりもします。そのチェーンリアクション(連鎖反応)はどこでどう出るかわかりません。

ハロウィンでも海水浴でも花火大会でも、少なくとも近隣住民は暴力事件や財産を侵害されることがなかったとしても、安眠妨害や、ゴミ、廃棄物の処理に奔走することになります。そんな平和的なまつりのようなものでもそうなのですから、こと暴力的なメッセージが含まれた団体行動、意識変革のようなものが起きると、被害は爆発的になります。

当たり前、が通用しない

当たり前、常識、がそこでは捻じ曲げられます。放射能なぞ身体に悪いに決まっているのに(だからこそ厳重に管理しているので)、日本中にばらまいてしまえば安全になる、という理論と、子供をまっすぐ育てるためには殴らないとわからないこともある、という理屈は似たようなものです。

要するに自分の(間違っているかもしれない)主義主張を通すために、それで起きてしまうこと、連鎖的に起きてしまうこと、を省みることなく、行動にうつし、数や権威を借りて正当化してしまうことですべてのバランスを乱してしまうのです。

会社の中の謎ルールや、学校の中の謎校則と呼ばれるものも、そうでしょう。世の中にある謎ルールにいたっては明文化されていなかったり、きちんと書いてあるのにその逆をやらなくてはいけない、あるいは間違ってしまうと事故にあう、ということでかなり危険です。

たとえば、エスカレーターの片側開けルールなどがそうですね。登りエスカレーターで、大きな階段が脇についているようなものであると、長さにもよりますが、割合最近は止まってくれるようになりました。

しかし、すごい勢いで駆け下りてこられた側に立っていたら、とても危険なことになります。あるいは、火気厳禁と書いてあるところに灰皿が置いてあると、そこで喫煙する人なども未だにいます。

同調圧力は世界中にある

気象変動なども同じことです。世界の気温が1度上がった。なんだ、たった一度か、ではなく、平均1度上がる、というのは世界中でかつてないことがたくさん起きている、ということなのです。

私どもの新宿事務所というのも、非常に古い建築であるため、2月には外気温とほとんど変わらなくなり、2度ということもあります。どんなに暖房を炊いても15度以上あがることはありません。北海道の家など、真冬でも家の中では半袖で、居間でアイスクリームを食べているという話ですが、こちらはアイスクリームが溶けない事務所になってしまいます。

これは木造だから、RC(鉄筋コンクリート)だから、ではなく、断熱材のあるなしで決まるわけです。しかし、断熱材や、部分的に暖めたり冷やしたり、という程度であればよかったのかもしれません。

今は日本ではほとんど消え失せたものの、まだ東南アジアなどでは続いているように、窓やドアを開けっ放しで冷房を入れる習慣などが少し前まではふつうにありました。無駄なエネルギーを使うことが富の象徴という習慣、「金持ちはケチケチするな」という無言の圧力は未だにあるわけです。

同調圧力にせよ、親から子へのマルトリートメントにせよ、あるいは、厳しいしつけ、にせよ、日本独自のものと考えがちですが、けっしてそういうわけではないのです。世界各国、いろいろと状況は違っても似たようなことが起きています。

思い込みと甘え

親ならば子供のことをよくしっていなければいけない、とどうして思い込んでしまうのでしょう? 自分がそうでなかったことを忘れてしまうのでしょうか? あるいは昔の記憶を美化したいのでしょうか? あるいは現代人はそうあらねばいけない、とでも思っているのでしょうか?

子供をいくらしつけたとしても、子供にどれだけ過干渉であったとしても、全く違う人格で、親のおもちゃではありませんし、そうであったとしたら、そのあと生きていくことができなくなってしまいます。

子供は親に尽くすのが当たり前だ、とか、子供は親をよろこばせるべきだ、という甘えが今の後期高齢者には強くみられます。むしろ、50代から前期高齢者のほうが、サバサバしている人が多い気さえします。

なぜ、こうした思い込みと甘えが強いのか? ここを解き明かしていかないと、8050問題解決はB29に竹槍状態から脱することはできず、大きな社会的損失は増大するばかりです。

ただ、少し救いがあるのは、7040問題が8050問題になって、やがて9060問題になるかもしれないけれども、その後の世代はもう少し、こうした甘えや思い込みが少ないように思えることですね。(ただし勘違いオヤジ、みたいな人が多いのと、離婚家庭が多いので、家庭環境がより複雑化しているという別の問題は増えています)。