ひきこもりの兄弟や親戚に久しぶりに会ったとき、相手がどの程度のひきこもりなのかわからないと、うっかり正論を言ってしまうことがあります。その正論爆弾でその人は死んでしまうかもしれないのに。

非常に不幸なことに、子供をひきこもりにしてしまう親というのは親として大変未熟であるために、子供がひきこもりであることを隠そうとしてしまいます。

日本政府にも大きな責任があると考えています。というのは、軽度ひきこもりを、今年のひきこもり調査の対象からはずしたからですよ。つまり軽度ひきこもりは61万人の中に含まれないのです。ひきこもりではない、と政府がお墨付きを与えてしまったのです。

具体的には、たまにアルバイトをすることもある、という人は8050問題の対象者ではない、としたんですね。これは大変な間違いです。一番救済すべき人たちを救済対象からはずしてしまったようなものです。

働く能力がありながら定職につかない、というのは法律違反でもあるのですが、何より本人・家族にはとてもつらい状態です。にもかかわらず対象からはずしたのは、そういう人をひきこもり扱いしないで欲しい、という親たちの見栄なんでしょうか。くっだらねえ。

確かに「ひきこもり解決本」などを見ると、「月収25万円のサラリーマンは普通の人にも難しい。月収3万円からがんばろう」とか「月収5万円を目標にしよう」「実家があれば月収5万円で大丈夫」と言っています。

まあ、国民年金でも満額支給でなければ2月に1度10万円でなんとかやりくりして生活をなりたたせることは相当がんばればできる感じがします。というかそうせざるを得ない人はけっこういます。

ただ、それは、高齢でそれほど食べない、一応健康で医療費もかからない、きちんと住める家がある、というような場合です。糖尿病にでもなっていると月に1万円ぐらいの薬代が必要になってきます。

ひきこもりのほとんどは実家から出られない生活ですから、五万円でも6万円でもまったく収入がないよりは収入があって、食費や光熱費はまかなってくれると親としてはとても助かります。しかしそれはひきこもりの人にメリットがあるのでしょうか?

確かに日給6000円で月10日というのは、ひきこもっていた身体からすると相当な労働です。しかし週休5日というのは労働していると言えるのでしょうか?

アルバイトか派遣かによっても違いますが、派遣労働でその程度の頻度だと、担当さんからも、一緒の職場の人とも人間関係がまったく生まれません。そのほうが楽でいい、とか、だからなんとかできる、というステップはあってもいいのです。

ただ、それではぜんぜん自己肯定感が生まれてこないのです。たとえば洋服ひとつ新たに買うことができません。「あの人いつも同じ服着てるね」「なんか臭いよね」そういうことがあると、社会復帰が遠のいてしまいます。

ひきこもり救出の大原則は「正論は言ってはいけない」。です。ひきこもり状態で苦しんでいるのは本人です。忘れようとしたり薬で忘れたり、苦しむだけで何もできないから考えないようにしているだけで、ひきこもりが家族に迷惑なことはよくわかっています。でもどうすればいいの?

「働きゃいいじゃん」「金稼げよ」。肉親はついそんなことを言ってしまいます。しかし、お金を稼げてもひきこもりの苦しみから逃れることができません。「ごちゃごちゃ考えてないで働けよ」という正論爆弾はひきこもりを追い込みます。

追い込まれたひきこもりは、たいていの場合自己防衛スイッチが入って、それ以上もう、その人の話を聞かなくなります。「なんでそんなやつの話を聞いてやる必要があるんだ」となります。

現在の世の中はとてもドライになっていて、同じ職場の同僚だからお友達、という時代ではないんですね。それどころか派遣労働の現場では、誰かを悪者にしてはじき出し、人手不足の状態を作り出しておくことで自分の雇用を守る、という人がいたりします。

また、ワンオペという一人だけでひとつの職場をずっと守るような仕事もたくさんあります。忙しい職場なら、仕事に打ち込むことで精神的に楽になることがありますが、暇な職場だと、やはり自分の問題をグルグルと考え始めてしまいます。

一度別世界を見てみる、という「行動療法」が功を奏する場合もあります。ただ、いずれにせよ、社会経験が豊かな人の長時間のカウンセリングがまず必要な状態です。

働けているからといって、いきなり、週4日労働をするとか、ダブルワークする、というのは難しいものがあります。働いた先に何があるのか、自己肯定感を取り戻すことができるのか、あるいはその人が持っている望みを実現できるのか、ということが大事なのであって、親や家族の都合で金を稼ぐ、ということにはほとんど意味がないんですよ。