非常に悲しいことに、日本の親の9割が残念なことに、いわゆる「毒親」なのです。もちろん程度の差はあります。強烈な毒親と、それほどでもない毒親が存在します。あるいは、ちょっとつきあうぶんには、離れて暮らしている分には毒親とも言えないけれども、同居を始めてしまうと、化けの皮が剥がれてしまう。さらには高齢化すると毒親に変わってしまう、など、様々なパターンがあります。

日本人の親のほとんどがなぜ毒親なのか?

一つには、諸外国では、親になるための教育というのが施されていたりする、のに対し、日本は、親への指導が少ないことが挙げられます。外国では、ある程度の教養人は、「親になったらこうするべき」という規範がありますが、日本ではほぼ見たことがありません。日本の親は自分の子供に対してどう接していいのかわからないのです。

それであるならば他人と同じように接すればよさそうなものですが、自分の子供は自分の付属物のようについ邪険に扱ってしまう。あるいは、現在の日本においては、子供を作ることができるのはある程度の富裕層ということになるのですが、実際に子供を作ってみると、非常に費用がかかる。金銭的な面が特にそうであるように子供が夫婦のストレスになることが多い。

子供さえいなければ、自分たちはもっと楽しい生活ができた、と考えてしまう。キリスト教的な考え方からすると正反対ですね。自分たちが不幸なのは子供のせいだ、と心の中だけで思っていたとしてもそれは子供に伝わってしまいます。子供は親から常に攻撃を受け続けることになります。

では裕福であったら「いい親」になれるのか? ある程度「都合のいい親」にはなるでしょうが、過保護過干渉になりやすい。なんでも好きなものを買ってあげるよ、ということで、衣食住のすべてに口を出すようになってしまう。趣味「子供」「子供の教育」「子供と遊ぶこと」。子供は親に時間を奪われ魂を奪われるようになってしまいます。あげく自活することができず、ひきこもりになりやすい。

生活に追われている親というのもいます。自分たちのことで頭がいっぱいですから、子供は放任し、子供に関して無関心になりやすい。この場合、子供の自立心が良い方向に向かえば素晴らしい人間として成長できますが、多くは悪の道に誘われる、などする危険性も多く、あるいはいじめ、に合ってた場合には相談する相手もなく、孤独のまま障害を閉じることとなります。

親は子供を教育できない

近年は子供の成長スピードが非常に早くなり、就学前児童がスマホを使いこなしていたり、小学生でプログラミングをしていたりすることもあり、概ね小学校高学年には自我が目覚め、一人前の大人として扱ってあげる必要がある場合があります。

親からすると寂しいはなしで、金は出すけど口は出さない、関心はあるけれどもうっとうしい存在にならない。同居しているけれども、他人より気を回さないといけない。ひとたび、自我が芽生えてい待った人間に対しては「教育」は無意味です。自分が変わろうとしなければ自分を変えることはできない。他人には背中を見せて育てることができる可能性があるだけで、強制的な教育ができない。

それは親自身も知っていることなのに、「親は子供をしつけるもの」という迷信があるため、錯覚してしまうのですね。そして、大きな間違いをおかします。子供に「親が困るからきちんとしなさい」というわけのわからない「おしつけ」を行うのです。要するに自分が親としてかっこ悪いから、情けなくみえるから、きちんとして、というお願いですね。

ファッションや、趣味、買い物の中身や食事や間食にまで口を出されます。これは都会より地方では顕著です。なにせ現在の地方は高齢化率も高く、他人の噂話が大好きな人たちが集まっていますから、誰かがタトゥーでもいれようものなら、あっという間に皆が知るところとなり、親を物笑いにします。だからといって、親が子供に対して、厳しい態度で望んでも、「毒親認定」されるだけで、子供の心はますます離れていくことになります。

「家族は仲良く」という幻想

8050問題で悩んでいる70代から90代くらいまでの親御さんに話を聞くと、「なぜ家族なのに仲良くできないのかいらいらする」とおっしゃいます。「いらいらする」のに仲良くできるわけがないと思いませんか? この世代の人たちこそが「ニューファミリー族」として集団就職で田舎から東京に出て、郊外に家を買って、アメリカの真似をした生活を謳歌してきた人たちなんですね。

簡単にいえば、自分たちが豊かさを享受するために田舎の親を捨てた世代です。それが今になって、「親子が仲良く暮らせないのはおかしい」と言っているのです。本当におかしいのはあんたがたご自身ではありませんか? 自分たち自身は親を見捨てたか、あるいは口減らしのために田舎を追われたのです。

あるいは戦争によって、親兄弟を失っている人たちもいます。「生きていてくれれば大事にした」といいますが、本当にそうでしょうか。生きていたら、やはりいいことだけではなく、嫌なこともたくさんあったでしょう。家庭が不幸だった人は早くに結婚して良い家庭を作る夢がありますが、現実はなかなか思う通りにはならないものです。

戦国時代などは親子で殺し合いをしていました。親子は仲良く、という標語のような概念は、親子が仲良くないのが当たり前だから作られたのではないでしょうか? 一般に親子よりもともと他人であった夫婦のほうが仲が良いものですが、それでも今の日本では3人に1人が離婚するような状況にあります。それを考えても親子や家族が仲良くしている方が気持ちが悪いように思いますね。サザエさんのような家は見たことがありません。

二世帯住宅で「孤独死」

「うまくいく二世帯住宅」「失敗しない二世帯住宅」。大手住宅メーカーの二世帯住宅建設・改築のキャッチコピーです。わざわざ断らないといけないくらいですから、二世帯住宅はうまくいかないのが当たり前、失敗するのが当たり前、です。

昔は2階建ての家の二階部分に専用階段をつけ、上下分離方式の二世帯住宅が多くありました。最近では、一軒の大きな家のように見えて、真ん中で半分にわけ、場合により、設備の一部を共用化するなどの二世帯住宅もありますが、スパッと二つに分けるのが原則となっています。実際には、一つの土地の上に二つの建物が経つ例も少なくありません。

親がマンションやアパートを持っている場合には子供世帯が、その一室に住むというケースもあります。住所は同じですが、何ヶ月も一言も口をきかない、ということが珍しくありません。著しい場合には、親や、離婚してしまった子供が孤独死したのに、肉親が定期的に訪問することがなく、異臭によって気づき、初めて孤独死を発見した、という例もあります。

昔の二世代住宅は、親世代がリタイアメントするのを機に、というところがありました。しかし、実際には子供世帯は仕事の都合などで転勤などもあり、二階は他人に貸す、などの例も少なくありませんでした。ただ木造住宅の場合は生活音が丸丸聞こえて来るので、ファミリー用賃貸にはあまり向いていません。

木造のアパートも多くありますが、原則的に、一人でひっそりと暮らすことが原則となっています。テレビの音も最小限、電話は外でかけるように指導される場合もあります。それが小さな子供が駆け回る息子夫婦が二階に済んでいたならば、一階の生活は地獄になるでしょうし、一階で大音量でテレビを鳴らすと、二階では昼寝もできません。木造建築の二世帯住宅はニセ二世帯住宅なのですね。

二世帯住宅での孤独死が起きないように、「見守り」をどうするか、ということが課題になっていますが、同居すればいいだけの話です。二世帯住宅というのは住宅メーカーの商品で、住宅メーカーと銀行が儲かるだけの仕組みに過ぎないのです。

毒親との「正しい同居」。その方法

毒親夫婦、または親一人と、実子一人の場合、もしくは夫婦の場合の「正しい同居」を行うために、とても大切なことがあります。それは実の親子は、一日の接触時間を極力、最大五分以内にする、ということです。これは心の健康ひいては身体の健康を守るためにとても重要です。

1時間以上毎日角を突き合わせていたならば、罵り合いになったり、互いに不幸になってしまいます。若いうちはまだよくても、死ぬまでの時間が限られてきている時期に消耗する、というのは実に悲しい話です。実子の配偶者や孫などとは、その相性によりもう少しだけ長い時間接触できるかもしれません。しかし、最小限にすべきです。

若い人が年寄りの話を興味深く聞く時代は終わりました。総じて年寄りの話、ことに、長く同居すると同じ話ばかりしてしまうので、面白くはないのですね。概ね年寄りの話は、1長い、2落ちがない、3普遍的でない、という傾向があります。つまり、本人は楽しそうに話していても聞いていてつまらないのです。

年寄りは好んでテレビや新聞の情報を伝えてきますが、若者は年寄りが30分かかって理解するようなことを3分で理解してしまいます。残念なことに多くの高齢者は、30分を3分に要約することができません。また面白いと思うポイントも違います。高齢者は、自分の話を、自分の父や、非常に多忙な他人、が本当に面白がれるかどうか、考えてから子供世代に話をすべきです。

概ね、現在の50歳代以下の、つまり「バブル時代以降にひどい目に会い続けた被害者同盟」は、高齢者を「時間泥棒」とみなしています。50最代以下は会社に入ったときに学歴もない(か、あったとしても学生運動などで勉強をしていない)団塊世代に顎で使われ、くだらない仕事をあてがわれ、「いずれお前らの時代がくる」という約束を反故にされた、という苦い共通体験があります。

現在は若い世代に「老害」「働かないおじさん」「バブル逃げ切り世代」扱いされていて、実際にはそうではないのに、そういうレッテルの下で苦しんでいる、というのに、家に帰ってまで、通勤が終わって、ほっと一息、とか、食事のあとのちょっと一息、すら、ヒマそうな高齢者に話しかけられてはたまったものではありません。

「見守り」しつつも、一日の接触時間、接触方法、一月の接触時間、接触方法を制限しておき、それとは別に住宅の維持や固定資産税、インフラ費用の負担についての合理的な分配の仕方、もしくは世帯をわけるかどうかというのも保険料等の問題があるため、決めつけないできちんと話をする必要がありますが、適切に第三者を積極的に介したほうがよい場合もあります。

ストーカー毒親からは逃げなさい

上記のようなルールが守れない毒親、子供(といっても世の中的にはおっさん、おばさん)の生活に口を出してくる親たち、支配しようとしてくる親たち、喧嘩を売ってきたり、ディスってきたりする親、ファッションや生活態度を批判したり批評してくる親、つまり、「うざいおっさん(おばさん)」が親であった場合。逃げてください。

逃げ方は、最適な方法としては、物理的に逃げること。ストーキングしてくる親からは失踪するのがベストですが、同一世帯に入っていた場合警察に届けられると面倒であるため、最低限の連絡手段だけを残して消える、というのが一つの方法です。電話番号を教えて、親からの場合は留守電にしてしまう、とか、とりあえず一ヶ月間別居する、と宣言していなくなる、という方法です。

昨年の緊急事態宣言中には都内の外国人向けホテルが1万円から2000円に下落していましたが、現在は4000円ほどです。月極で都内なら8万円程度で、住む場所を確保できます。そもそもただ失踪するために都内に住む必要はないので、地域によっては3万円くらいで住むこともできます。

定収入があるのなら、きちんとした家に引っ越すこともできるわけですが、まずは緊急避難的に毒親から逃げることは必要です。なぜなら毒親に取り殺されるか、介護地獄に入ってしまうことが容易に考えられるからです。50代で、それまで職務経験が少ないとしたら、できる仕事は本当に限られます。

さまざまな公的扶助も選択肢に、さしあたって10年間逃げる方法を考えましょう。可能なら親から必要な金を引き出すことです。年200万円あれば、ふつうの生活を営むことができますから、2000万円引き出すことが可能であれば、「賃借契約」を結んで借りなどするのも良いでしょう。

「毒親」と戦うのは無意味です。逃げること、諦めること、そして、自分の生き方を見つけることが大切です。