8050問題解決支援センターが4月1日より8050問題解決塾に名称変更し、事業ドメインを支援から社会教育に移した。これは評価されるべきことだと思う。もともと筆者と川島氏とのつきあいは、筆者の畏友が川島氏のカウンセラーをしていたことから、カウンセラーをやらないか、ともちかけられたことによる。もちろん即座にお断りした。
筆者ももう、還暦にちかいわけで、楽しく生きることのできる残り時間はごくわずかである。その貴重な時間を、ニートだの引きこもりだの、社会の脱落者に吸い取られるなどありえない。これは金銭の問題ではない。筆者も若い人たちと会話をしないと仕事を頂けないのだが、働いたこともなく働くことの厳しさ、辛さも理解できない人と会話しても、時間のムダであるし当方に一切のメリットがない。そもそも会話が成り立たない。
それであるからゆえ、おそらく彼らも親兄弟とすら会話が成り立たないことが予測される。今回国の調査では、今まで家事手伝い扱いしてきた女性のうち、回答の中から半年以上家族との会話以外の社会参画をしていない人を引きこもり認定した、ということであるが、これは恣意的な数字のコントロールにしか見ることができない。
そもそも、筆者自身、家族とろくに会話はしない。家族に仕事の悩みを相談してもしかたないし、親世代は現代のコンピュータやクラウドの仕組みなど理解できないから、そうした話をしてもしょうがない。筆者は家族と別居しているので、年に一度、正月に顔を合わせるくらいだ。つまり、家族と会話ができるかどうか、というのはなんのスクリーニングにもならない。
家族と会話できない場合は、親の側に大いに問題があると考えるべきだ。親が子供に歩み寄ることができない、あるいは子供から憎まれているわけだから。子どもに慕われているのであれば会話は当然なので、親が子供から見えない存在、あるいは迷惑な存在であれば、子供との会話は成立しない。するとあらゆる外からの支援もできなくなってしまう。
引きこもりの親の中には、子供をいきなり就職予備校のような施設や大学や専門学校に入れる例もある。家でゴロゴロしてきたような人には、毎日同じ時間に起きて通勤電車に揺られて学校に通うことすらかなりハードルが高い。たまさか友人ができ、一緒に起業しようということでも起きれば、問題は一気に解決に向かうが、親の希望とはうらはらになかなかそうはならない。
学校と言うところもサービスなので、就業時間中の面倒は見てくれるが、本人にやる気がなければどうしようもないし、まして親の指示で行ったり、自分でその学校に通うための努力を何もしないでいったりするのは、ディズニーランドや海外に遊びに行くのとは何も変わることがない。そういう人の受け皿は社会にはない。社会は厳しいのだ。
「親の会」というものが全国各所に点在し、ほとんど成果をあげていない。子どもたちが自立しないのだ。当たり前の話だ。他責的であり他力本願であって、自分で何も変わろうとしない。他人の援助や国の資金提供をいくら叫んでも無駄だ。悪いのは親であり引きこもった子供なので、社会の責任にするのはおかど違いも甚だしい。そんなクレーマー体質の親子を面倒見る企業はいない。
かくいう筆者も、知人が引きこもりになったことがあり、フリーランスとして活動させるべく、仕事も紹介してあげて、作業の手ほどきやツールの面倒までみてあげたことがある。ナムコという会社をやめて(当時アーケードゲーム業界は急速に減益していたため)、その後一年職につくことがない、ということを知ったからである。
ホームページを作る能力はあったので、300万円のソフト制作を依頼した。筆者が3次下請けであったものを、筆者が手数料を抜くことなく、筆者の社員ということにして仕事を回したのだ。ところが、のっけから、役所から送られてきた資料をなくしてしまった、ということが判明した。
当然、大騒ぎになり、筆者が平謝りに謝って作業を継続させた。しかし、報告がない。作業進捗の連絡がないのだ。筆者自身は他の仕事で多忙であったため、ケアをすることができていなかったのだが、さすがに納期的に厳しい、とわかって、連絡を取ったところ、携帯電話がつながらない。実家に電話をしても誰も出ない。
そこで彼の実家にでかけた。彼は実家暮らしだったからだ。母親が出てきて、もう一週間帰ってきていませんし、なんの連絡もありません。念のため部屋に上げてもらった。酒瓶がゴロゴロしているだけで作業をやったような形跡がない。しかたなくこの事案は筆者が徹夜に徹夜を重ねてなんとか納品できた。しかしそれ以降今に至るまでわび状の一通もない。
彼はナムコという会社で何をしていたのだろう。ナムコといえばそれなりに大きく有名な企業である。バブル期の工業高校卒業での入社だったらしいが、ほう・れん・そう、ということも教わらなかったのだろうか。基本的な社会人としての資質にも問題があったといわざるを得ない。そして、現代ではもう、会社が社員を育てるというような余裕は全くなくなってしまったといっていい。
実は統計からも明らかであり、さまざまな人の本にも書かれていることだが、引きこもり、ニートの責任の7割は親のマルトリートメントにある。あれはいつの時代だったか。親たちが、まだ小学生くらいの子供たちに化粧を教えたり、中学生ぐらいにルイヴィトンのバッグを買ってあげたりしていた。
甘やかされて育った子供たちは、ふつうの社会の厳しさに尻尾を巻いて逃げ帰り、引きこもることが許されてしまえばそのまま二度と就職をすることはない。あるいは学校のイジメ、病気や事故、さまざまなトラブルで学校や社会になじめなかった人も脱落してしまう。
脱落してしまった人をもう一度社会に戻す仕組みがない、社会のサポートが足りない、とそうした親たちは叫ぶ。彼らの前に大きな鏡を立ててやりたい。子どもは親の姿を映す鏡だからだ。自分は悪くない。悪いのは社会だ。それで問題が解決するのですか? 筆者はそうは思わない。社会はどんどん変化する。われわれだって、その変化に合わせて、自分を日々アップデートしていっている。それを怠った瞬間、失業するという覚悟をしている。
ウィンドウズ95という産業革命以降、さまざまな産業革命が行われた。ワープロが姿を消し、パソコンが一人一台になり、ワールドワイドウェブが出現し、高額なソフトウェアが無料になり、さらに12年ほど前にはスマホの原型であるアイフォーンがアップル社から出現した。
30年前のスーパーコンピューターと同等の機能を持つコンピュータシステムであるスマホを今は2歳の子供が使っている。動画も音楽も、世界中のニュースもリアルタイムで無料で見ることができる。その一方で護送船団方式で守られた世界で何も勉強しなくても5千万円の退職金をもらえた世代がまだ老害として生きている。
令和の時代に生まれて育つ人たちは、そうした人たちの1万倍ぐらい努力をしても、お金を稼ぐことができなかったり、就職もできなかったり、会社を半年ごとに移らなければいけなかったりするだろう。約束された豊かな老後などどこにもない。日々競争であり勉強だ。それはもうすでに今の若い人たちはそうなっているんだよ。筆者たちですらそうなんだから。
それなのに、なんの自己啓発も、努力も、研鑽もせず、ただただ自分のプライドが傷つくことを避け、弱い人たちで集まってお互いの傷をなめ合い、圧力団体を結成して政府や官公庁に働きかける老害たちの子供たちは、それは就職は無理ですよ。だって責任感ないんだもん。会社に迷惑をかけるとどうなるか、という意識がないんだもの。それは無理だ。
川島さんと言う人は本当にいい人で、そういう人でも救いたい、ということだったんだよね。筆者は、よしなよ、そんな人の親とかの面倒を見始めたら潰されちゃうよ。命を吸い取られるよ。もうそういう人たちはほっておくしかないよ。それで70年生きてこられたその成功体験からは抜けられないのだから。もちろん子供たちはかわいそうではあるけれど、親たちはお金をなんとか稼ぐだろうから、それより、自分の力でなんとかしようと思っている人を助けたほうがいいよ、と、
もっと冷たい言い方をするなら、もともと子供を産んだり育てる資格がないような人が子供を作ってしまったのですよ。そして間違った育て方をした。あるいは間違った対応をした。それによって子供が自分に自信を失い、親の操り人形になってしまった。そして引きこもりになって10年も20年も許されてきた。そういう人たちに就職はない。
SPECで考えて、もっと普通の人をどこの会社でも雇いたい。それは外国人であっても構わない。ちゃんと連絡や相談をしてくれて、きちんとした礼儀作法をわきまえていて、周りの人ともお客様ともうまくやっていける、そういう人が必要なんです。筆者の場合であれば、筆者が多忙な時、筆者の半分でもいいから仕事ができる人が必要だ。
他人の気持ちがわかること、これはとても重要なスキルです。そのスキルを習得するには一生懸命働く必要がある。それは年齢や性別にかかわることではない。そうしてこないで、ただ年齢だけ重ねてきた人にやってもらえる仕事と言うのはないなあ。
ですから、引きこもり解決塾に入って、一生懸命頑張れば問題は解決するのに、それをしないで、っていうのは虫が良すぎる話なのだよ。むろん、まだ、精神的に追い込まれている状態であるとか人間不信で身動きできない状態にあったり、危機的な状態にある人には早すぎるのだけれど、引きこもり状態に入ってから7年間の状態の人がいきなり就職できるわけではない。
引きこもりの就職は困難、なのではなく、不可能だ。受け入れる人がいない。責任を持てない。何より怖い。命を預けるような仕事はさせられない。精神的に追い込んでしまうような仕事もさせられない。そうなると本当に仕事が限られてくる。まずは普通に生活できるのだ、という公的なお墨付きをもらうのが先だ。それは私立学校などに行っても得られるものではない。
鴻巣尚史