今日は家族を破壊する人の話をします。自己中心的な人。わがままな人。こういう人はあらゆる組織、社会や共同体、そして自分の家族だけでなく自分自身まで破壊します。

あなたのためを思って、は恐怖の呪文

「あなたのためを思って」という口癖の人は、非常に自己中心的です。こういう言い訳は本当に情けなくなりますね。いい大人がこういうせりふを言うのを聞くと、どうしてこんなにこどもなの、と思います

「あなたのためを思って」という言葉を言う必要がある、ということは、そのあなたが不快に思うことを何かしでかしたから、でありましょう。つまりあなたを尊重しているわけではなく、自分のわがままを相手におしつけているだけです。

「君のためを思って言っているんだよ」なんていう上司もいましたっけ。「君のためを思って言うんだが」と。なぜそんなことを前置きする必要があるのでしょう。簡単な話です。彼の常識をおしつけたい、とか、彼に何らかの災禍が及ぶことを心配しているのです。

あるいは「私は犠牲者なんだ」「君のために犠牲を払っているんだ」「君のために努力をしているんだ」というアピールともいえます。余計なお世話です。それはあくまでその人の価値観にしかすぎませんし、その人の時間は私には何の関係もありません。

むしろ、あんた自身はどう思うの? って話なんですね。それにしても、よくこんな恩着せがましい言い方ができるなあと。あなた何様? ですよね。「あなたのためを思って」ならどんなひどいことを言っても許されるのかよ。そんなわけないじゃん。なんの免罪符にもなりません。

つまり、「あなたのためを思って」という言葉を発する人は家庭の破壊者なのです。そもそも家族がおたがいを思いやるのは当たり前です。思いやるというのは、権利を主張しあうことではなく、少しずつ譲歩しあうことです。

まして何かをおしつけることではありません。家族がお互いにおしつけあっていたら、家族であることが嫌になってしまいますよね。あるいは家族の一人が大いばりで、ほかの人たちに次々命令していたら、楽しくないですよね。

まあ、百歩譲って、小さな子どものうちはいいでしょう。子どもはお金を持っていませんし、大人は子どものためにたくさんの犠牲をはらっていますから、小さなこどものために何かを買って与えるということはしてしまいがち、ですし、子どももサンタクロースから自分が欲しいものがもらえる喜びはあるものです。

反抗期がオトナになれる唯一のチャンス

しかし、遅くとも中学二年生になったならば、もう十分に大人なのですから、一個の人格としてみなくてはいけません。中学生の子どもを「チビ」扱いしている大人を見ると、将来が案じられてなりません。

例外があります。誕生日や記念日にもらったプレゼントに、相手が不満を言ってきたとき、「あなたに似合うと思って」。これはプレゼントをもらった人が不満に思ってはいけないのです。そこは譲歩しないと。ちょっと勘弁してよ、と思っても喜ばないと。

しかし、どうしても喜べないとき、つまり、あまりにも幼稚なプレゼントであったり、そうしたことが度重なるようであったならば、もう家族が崩れかかっているので、修正が必要になってきます。

そうしたらこんなになっちゃったのよ、と洋服ダンスいっぱいのガラクタを見せてくださったかたもいましたねえ。家族はとても壊れやすいものなのに、なんの疑いもなく平気で壊しにかかる人がたくさんいるから、ひきこもりや離婚が一般的になっちゃったんですけどね。

中二くらいにくる反抗期は子供が大人になれる唯一のチャンスなんですね。それを親が封じ込めてしまうと、子供は一生大人になることができません。あるいは反抗期がない子供は大人になることができません。

就職ができたとしても、いつ、子供部屋おじさんになってしまうか、ひきこもりになってしまうか、どうすることもできません。しかしそうなってしまったら、それは親が子供をオトナにしなかった責任があるわけですから、できる限り面倒をみなくてはいけません。