私どもは8050問題の日本の第一人者集団ですが、少数精鋭というところです。45歳から70歳のカウンセラーですから、両方の世代の時代背景や「その時代の常識」、そして人によっては20代の人のカウンセリングも行えます。

これだけ広範囲の年代のさまざまな職業のカウンセリングを行える人は実際には本当に少ないのです。これは私も気をつけないといけないのですが、カウンセリングが不十分な状態で意見を開陳してしまうと失敗してしまうのですけれども、こと8050問題解決には関係者が多いこともあって本当に時間がかかってしまうので、焦ってろくなことにはなりません。

私も、長らく、特に痛みもないので虫歯を放置していたところ、10本以上の歯に虫歯があるとのことで、すでに3ヶ月通ってますが、まだまだ道半ばにも行きません。

おそらくのべ20日はかかるでしょうから、半年くらいかかるのではないでしょうか? 今回は、ちょっと数字を並べて見ますね。数字でないと理解ができない、という人がとても多いですから。

余暇時間はどのくらいある?

「働き方改革」とか言ってますけど、私が20代だったころは、世の中中が、現在の基準ではブラック企業でしたね。土曜日は半ドンという日も年に何日かありました。

半ドンの日はカジュアルで通勤するのが習わしでした。土日に慰安旅行があったり、バーベキューがあったり、良く言えば家族的、ざっくりいってプライバシーやプライベートは侵害されまくっていました。

当時コンピュータが使える社員は少なかったので、私は純粋に仕事で毎日午前様であったので土曜日ぐらい睡眠をとりたかったのに、家に迎えの車が来るような有様でした。

広告の仕事をしていたので、10月11月の展示会シーズン、これはいまもそうなんですが、翌年度予算の最終確認のために、翌年度に発売する新商品を10月に展示するのですが、何しろ完成品はどこにもありませんから。

モックアップという展示用のダミーの料理見本のようなものを並べておいて、機能は裏側で人海作戦で頑張るわけです。今でもテレビで、階段の一部が動いていくのに、黒衣が一生懸命押しているようすが舞台やテレビで見られますけど、さまざまな仕掛けで、存在しないものをすでに存在しているかのように見せる苦労がありました。

そのため、4月から10月まで、実質の休みは二日間しかない、とか、休日出勤30日以上、申告できない休日出勤はそれ以上ということもありました。同居家族とほとんど顔を合わせない状態でした。

では、今はどうでしょうか? 東京と地方ではかなり状況が違います。地方都市であれば、車で30分以内で出勤できるところが一般的です。しかし、大都市圏では、通勤時間1時間は当たり前、片道2時間半という人も珍しくありません。

往復5時間だと、本が2冊は読めてしまいますが、今はスマホというものがあるので、映画を見たりニュースを見たり、わりと豊かな生活に見えます。しかし、その分家族と接する時間は減ります。

働き方改革で、昼食休憩1時間だとしても、9時間拘束、往復と準備時間考えて12時間拘束されるわけです。睡眠時間4時間とか5時間だった時代もありますが、7時間は取りたいところです。風呂、歯磨き、朝食、最低限の日常の家事で1時間は消えます。すごく頑張って4時間。頑張れないと1時間。

小さな子どもがいる家庭では、「一人の時間がほしい」という人は少なくありません。夫婦だけの時間というのが本当になくて、結婚して20年になるのに、お互いのことをほとんど知らないという夫婦も多く、熟年離婚などはそのせいで起きているのでしょう。

最近は週休2日のところも多いですが、それは大企業とか有名企業の話で、年間休日60日くらいの商売もいくらでもあります。ほとんどの中小企業は休みらしい休みはない、休みが会っても何していいかわからない、ということもあります。

親子が接する時間は年24時間

2年ほど前、大人の、別居している親子が接する時間はどのくらいなのか? ということに、答えが出されて、平均24時間とのことでした。お盆と正月の帰省で年に6日、そのうち、一日4時間接するのがふつうであると。

平均寿命まで生きたとしても、成人したら360日くらいしか会えないのが当たり前。しかし、私の肌感覚では、年に2回も帰省するのは多すぎる印象です。2年に1回とか3年に1回でも不思議ではなく、それも距離が近ければ日帰りとかも普通です。

今の80代が現役だった時代には、「故郷を捨てて」東京に集団就職した人も少なくありませんし、監視カメラなぞほとんどない時代から「監視社会」だった地域に嫌気がさして「anonymous」になれる大都会に逃げてきた人も多く、彼らは誰かが死なない限り帰省しないのがふつうでしたし、50世代でも、田舎は本当に嫌だ、と吐き捨てる人は多いのです。

年平均6日、一日平均4時間という統計はどういう分母で取られたのか全くわかりません。しかし二年前にはすでにテレビは高齢者のメディアでしたので、高齢者にとって納得性が高い数字がそれだった、ということなのでしょう。

二世帯住宅は没交渉

80世代は、「自分がない」世代であるのに、「世間体が大事」な世代なのに自己中心的な人が多い矛盾だらけの存在なので、「二世帯住宅」に強い憧れを持っていました。しかし、ほとんど失敗しています。

未だに二世帯住宅は、建築業界にとってはすごく美味しい商品なので、統計を巧みにごまかしておすすめしています。曰く、若い頃は見晴らしのいい二階に住んで、年をとったら、一階に住めばいい、とか。そんなことができるわけがないのです。そんなバカげた引っ越しなんて。

最初から両親を一階に住まわせて、というパターンが多いわけですが、いつの間にか子どもたちは賃貸マンションに住むようになる、ということが起きたり、あるいは限りない没交渉になります。

ただでさえ子どもがいても、子どもたちと遊んだり勉強を教える時間もないのですから、親に割ける時間はありません。そのため、老夫婦のどちらかがなくなっても、一人で住まざるを得なくなります。

805020世代が全員連れ立って、毎週買い物に行っている、などという風景は、ニュータウンでも都心でも見ることはありません。日本だけではなく欧米でも見ません。当たり前です。買い物なんか、一人で行けばいいからです。小さな子どもや子どもたちと両親が、という風景はありますが、ジジババ4人が連れ立って、というのは「地獄絵図」とまで表現されるくらい、稀有です。

高齢者を甘やかしすぎた日本

日本は70代以上の高齢者を甘やかし過ぎました。迷惑な老人が非常に増えています。これは、高齢者が非常に増えたせいで、自覚のない迷惑な老人が自動的に増えてしまったのです。

彼らは、非常に多忙な現役世代の時間を、あっさりと、悪気なく、奪っていきます。もはや「人間」とは呼べない存在です。社会性がない「人」は、人間ではありません。

人は一人では生きられません。すべてを自給自足するというのは幻想です。本当に限られた独立心が強く冒険心が強い人だけが、荒野へ向かい、世の中との連絡を絶ち、自分で死ぬ場所と時を選びます。

それ以外の人たちは、ある意味で「社会に迷惑をかけて」「社会にお世話になって」生きています。そして、社会は人々によって構成されており、その人々には、それぞれ、感情も自尊心もあります。

しかしながらある年齢以上の人たち、あるいは、ある程度の収入を稼いでいる人たちは、あたかも自分一人ですべてをやった、自分の能力でできた、と言います。運が良かっただけの話です。まれに、本当に頑張った人もいますが、それでも誰かに助けられています。

高齢者は、ほぼもれなく勘違いしています。自分は社会経験もあって、指導力もあり、世の中の役にたってきたから、尊敬され、あらゆる人にかしずかれるべきだ、と。非常に尊大です。私達は一個の人間ということで、老若男女同等の存在です。

また多くの高齢者は、非常に悲しいことに、物忘れがひどくなっています。これは本当にどうしようもないことで、救いがありません。人間の脳細胞は減っていくのに、社会はどんどん複雑化している。

昔は、ちょっとした事件が起きると1ヶ月ぐらい、あるいは、数カ月、ずっと同じ話をしていました。「ロス疑惑事件」など、本当に、実際のところテロでも大虐殺でもないような話なのに、本当に長い間、様々な雑誌やタブロイド紙、テレビが報道というのか、騒ぎ続けていました。

ところが、今はかなりインパクトがある事件でも、3日で忘れさられたりします。海外での惨劇などは、一瞬報道されるだけです。それは、どうしても日本国中が高齢化して、明るい話題が少ないので、テレビや新聞は高齢者から離反されたら終わってしまうため、潰してしまうのです。

しかし、高齢者が日本を動かしているわけではありません。たしかに第一次産業の従事者は高齢者が多くなっていますが、日本を動かしているのは少数派になってしまった、必要な教育を十分に受けられなかった若者たちです。

現在の高齢者たちは、後継者を育てなかったし、育てられなかった。時代についていけてない。しかし数が多く発言力が大きい。すごくいびつな構造です。このままでは日本は8050問題はおろか、国として空中分解してしまいます。

特に目に余るのが65歳以上75歳くらいのバブル期にとてもおいしい思いをした人たちです。自分たちの力で日本は世界ナンバーワンになったと思いこんでいる。そうした幻想の中で生きて、若者たちをいじめているのです。

高齢者は時間泥棒

多くの高齢者はさびしい人、です。本来は若者たちを救ったり、手伝ったり、支援しないといけないのに、そういう高齢者としての義務は果たさず、お荷物になってしまっている。

高齢者と10時間話をしても、一週間たつと、何も覚えていないことはしばしばあります。一般的な人は興味のあることしか覚えませんし、高齢者は若者をバカにしているので、とても重要なことを言っても無視されてしまうのです。

最近の企業では、高齢社員に、謙虚さを要求したり、「どっこいしょ」とか「うわっ」とか、つい発してしまう言葉や、ため息、さらにはくしゃみや咳までを禁止しています。あるいは禁止されないまでも、リストラ筆頭候補になります。

不寛容社会だ、と前期高齢者たちは勇ましく、「不寛容なやつは許せない」ととても不寛容です。つまり、不寛容社会を作り上げたのはまさにこの世代の人たちなのです。いざ自分たちが年寄りになってしまうと、居心地が悪く、生活が楽しくない。しかし社会をそういう形にしたのはこの世代の人たちなんですから、本当にどうしようもありません。

メモを取らない高齢者とは、私は話をしません。私ですら、翌日には前日の記憶が半分以上飛びます。高齢者は9割以上でしょう。多くの高齢者のゴミ屋敷を尋ねると「私はこんなものを買ったおぼえはない」と言います。

高齢者は時間泥棒です。何しろ、一日20時間くらい起きていますから。そして「輝ける将来」のための「努力」が存在しない。現在をよくするための努力もしない。ただ困るだけ。他力本願だけれどもお願いができない。自分で値段をつけることもできない。本当に世間知らず。本当に無知。まれに例外はありますが、それは本当に万人に一人。

テレビでは、すごく有能そうな高齢者がペラペラ喋っていたりしますが、それは編集していますから。3分のコメントを取るために2時間話をさせるのがテレビですから。

ハリウッド映画なんか、数百人の人たちが半年がかりで、たった90分の映画しか作れないわけですから。

実績として、8050問題の親世代は、「ひきこもり親の会」という互助会を作って活動していたけど、「生きる目標」を子どもたちに与えることには失敗して、政治の力をひたすら借りようとしている。それは正しい出口ではないのだけども。

高齢者から人生を奪われるな!

高齢者は現代社会において、ほぼ無力であり、想像以上に生活能力が欠落しています。若者と共生するのは不可能なレベルです。今の20代にしたところで、2歳のときからスマホをいじっている今の赤ちゃんたちと話が合うかどうか大変疑問です。

いわゆる若者、というのは20代でしょうが、今は20代の日本人は1200万人もいません。総人口の1割もいないのです。そして20年後には1000万人もいなくなります。

20代と何年も口をきいたことがない、という人がほとんどになるのです。20代の人が5分でできることを80代の人は死ぬまでかかってもできなかったりします。絶望的ですね。教えるだけ時間の無駄です。

50歳代の常識なぞ、本当になんの役にも立たなくなってきているわけです。50歳代のほとんども絶望的に無知です。60歳代もダメです。確かに60歳代以上の人たちは私達が知らないことを知っていたりしますが、いっぽうで、若者が知っていることの8割を知りません。

もう勝負にならないのですね。今の70代、80代の人たちは、自分の先輩たちはほとんど戦争に行って死んでしまっていましたから、偉そうな顔をして、なんでもできました。

ハラスメントどころか著作権もなかったので、外国語が使えればなんでも丸コピできたわけです。そして巨万の富を築くこともできましたし、皇帝のように君臨することができました。しかし人間的に優秀だったわけではないのです。

年寄りとおしゃべりする時間があるなら、Youtubeを見ていたほうがずっといいです。あるいは対戦ゲームで友達を作るほうが健康的です。年寄りと仲良くなっても年寄り臭く、めんどくさい人になるだけで、人生を消費されてしまうだけです。本当に注意してくださいね。

同居していても、一日15分以上話をしないことが重要です。理想は一日4分です。それで年間24時間になるわけですから。

同居して介護までして、3年間夫婦の時間が奪われても、別居して、たまにしか顔を出さない兄弟のほうが評判がよくて(たまにしか顔を合わせないから優しく接することができる)、遺産もほとんどそちらに行ってしまった、という悲しい話はみなさんが想像するより多いのです。なにしろ、すべて忘れてしまうわけですから。